107話 「暗い水の底で」 ◆7vhi1CrLM6
闇夜の中にぼんやりと光る壁がある。
周囲を明るく照らすほどではなく、見過ごしてしまうほど弱くもなく闇の中に屹立するそれは、昼間に見たときよりも遙かに幻想的な姿をしていた。
その果てを見ようと視線を左右に走らせてみるが、遙か彼方で闇に吸い込まれていてその光跡は辿れない。
ならば、と上空を見上げてみるが結果は同じだった。
見上げた視線の先に星空が広がっている。
光の壁に覆われながらもぽっかりと口を開けた空は、そこから逃げ出せるようにも、それ自体が周到な罠のようにも思えた。
――もしあそこから抜け出せたら……。
とりとめのないことを考えている。逃げ出せたら何をしたいかを今考えている。
考えても仕方のないことだと思う。今考えるべきは逃げ出した後のことではなく、いかに生き延びるべきかだということも分かっている。
それでも見上げた空は魅力的だった――。
思考が散漫になってきている。集中力もモチベーションも落ちてきているのは放送直後から自覚していた。
一つ大きく深呼吸。
伸ばした腕が光の壁に吸い込まれ、小石を水面に落としたかのような波紋が生じる。
注意深くすり抜けたその先で、壁の光りを受けた湖面がわずかに煌く。
しかし、それも壁のすぐ側だけの話で周囲は漠々たる闇に覆われていた。
――暗いな。すごく暗い。
名残惜しそうに明るい壁際から離れ、まるで引きずり込まれているような錯覚を覚えながら暗い水面へゆっくりと沈んでいく。
水の中は果てしなく暗かったが、コックピット内部には灯りがあったことが幸いだった。少なくとも闇に脅えずにはすむ。
――まずはゆっくり休もう。そして、目が覚めたら。
赤毛の少女の顔が頭の隅をかすめる。
――その先は起きてから考えよう。
耳につく甲高いアラームのような音に跳び起きる。
呼吸が荒い。体がだるい。疲れが全く抜けきっていなかった。寝ていたのは正味一時間くらいだろうか。
「くそっ!」
鉄とオイルの臭いが鼻をつき、顔をしかめた。住み慣れた自分の部屋、体になじんだ自室のベッドの上……ではない。
――コックピット?
未だに鳴り続ける甲高いアラームに無性に腹が立つ。
――アラーム?
はっとして周囲を見回す。鳴っているのは――
――接近警報!!
「カティア、敵は――」
いつもの癖でそこまで言いかけて、言葉を失った。
――いるわけないじゃないか……、彼女は……。
「くそっ!」
眉間に皺がよる。自分のうかつさが腹立たしかった。
しかし、そんなことにいつまでも気を取られている暇はない。慌てて状況を確認していく。
敵機はレーダー有効範囲内、ただし通信と目視の有効圏外。
通常ならばこの世界においてレーダーの有効範囲は目視のそれにはるかに劣る。
しかし、わずか数m先の確認すらも危うい夜の湖底に限って言えば、その関係は完全に逆転していた。
それは同時にかなりの近距離まで相手の接近を許していることを意味している。
ヴァイサーガの体勢を襲撃に備えたものに変える。巨体にかかる水圧のせいか動きが鈍い。
じりじりと距離が縮まっていく。
わずかな時間がひどく長く感じられた。やがて目視よりも早く通信圏内に互いの機体は収まる。
こちらから通信はしない、そう決めた。
進んで通信を行わないことのメリットは二つ。相手がこちらに気づいていない場合、やり過ごしと不意打ちの機会を得れること。
進んで通信を行うメリットは一つ。ニアミスの場合でも相手がテニアかどうか確認できること。
だがそこには期待と不安が入り混じっている。
確認したいという思いはある。会いたいという思いもある。でも少なくともテニアに会ってどうするか、まだ決めてはいない。
そんな状態で会うべきなのか――。
心が揺れ動く。自分は本当はどうしたいのか――答えは見えてこない。
そんな統夜に構うことなくピッと小気味のいい音をたてて通信が入ってきた。
「そこの大型機のパイロット、聞きたいことがある」
抜けるような青い髪の女。テニアではないことに安堵と失望を覚える。同時に頭の隅で打算的な考えも働いていた。
『大型機』と相手が口にしたことから、相手はこちらを既に視界にとらえていることになる。にもかかわらずこちらの目視圏外。ということはおそらく相手はこちらよりもだいぶ小さい。好戦的でもないようだしこのまま戦闘に発展させるよりは、一先ず通信に応じるべきだろう。
「なんだ?」
「ジョシュア=ラドクリフという青年を知らないか?」
「ジョシュア=ラドクリフ?」
その青年に会った覚えはなかった。しかし、名前を聞いた覚えはある。
――たしか、放送で呼ばれた……。
「知らない。だけどその人は死んだんじゃないのか。聞いてどうするつもりだ?」
死んだ人間について聞いてくる。そのことが気になった。
「私は知りたい。ジョシュアがここで誰と会い。何をして過ごし、そしてどうして……死んだのかを」
「あんたは敵討ちをするつもりなのか?」
その問いに女性は左手を唇と顎にあて暫く考える姿勢を示した。やがて顔をあげて彼女は答えを返してくる。
「わからない。いや、はっきりとは言えないが違うと思う。私は」
一度言葉が区切られる。そして彼女は訥々と語り始めた。自分の内側を一つ一つ確認するように。
「私はジョシュアが先に死んだときのことなど考えてもいなかった。まったくひどい女だ。ジョシュアは私が死んだら、きっと私の為に何かしてくれたと思う。
でも私は、ジョシュアが死んだというのに何をすればいいのかまったく見当がつかない。だからまずは知ろうと思う。
おかしなことに私はジョシュアのことをよく知りもしないんだ。こころまで繋がっていたのに、よく知っているはずなのに、思い返してみると知らないことがいっぱいあるんだ。
だから、ここにいるあいつのことを知っているやつと会おうと思う。会って知ろうと思う。そうしたら何かできることが見つかると思うから……」
そこで言葉は終わり、あたりを静寂が満たす。わずかな機体の動きによって生じた空気の泡が水面を目指す、それだけの音がやけに大きく聞こえた。
向けた視線の先にあるはずの相手の姿は望めず、漠々たる闇を見つめる。言葉を探すが何も出てこない。
「名前――」
呟くように発した言葉は聞き取りにくかったのか、はたまた彼女にとって突飛な言葉だったのか、やや間の抜けた声が返ってくる。
「名前、教えてもらえないかな? 他の人にあったら聞いてみようと思うから」
聞いてどうする、聞いた後からそう思った。言葉に窮して出た質問だ、あまり意味はない。
「グラキエースだ。ラキとも呼ばれている」
「ファミリーネームは?」
「知らん。とういうかファミリーネームというのは何だ?」
「グラキエースっていうのはファーストネームだろ? グラキエースの後ろについてくる名前だよ。例えば俺の名前は紫雲統夜で、ファーストネームが統夜、ファミリーネームが紫雲」
「それだと私のファミリーネームは、グラキエースという名前の前にあるのではないのか? というかファーストネームなのになんで後ろほうなんだ?」
「ああ、日本人の場合は順番が逆になるんだ」
「何故逆になるんだ?」
「日本の場合は文化が……何で俺はこんなこと説明してるんだ?」
急にまじめに説明しているのが馬鹿らしくなってきた。そもそもこんなことを聞くことに大した意味はないのだ。
「知らん。よくわからんが名前を二つに分けるのならグラキ=エースでいいのか?」
「そうじゃなくて……。やっぱりもういい」
もう説明する気も失せていた。何か疲れたような気がする。しかし、久しぶりに気を張らずに会話をしたような気もした。
そんなこちらの状態に頓着せずにラキは質問を投げかけてくる。
「もう一つ、聞きたいことがある。アイビスという女を知らないか?」
アイビスという名前にわずかにひっかかりを感じた。感じたがその元が何なのかが思い出せない。
「いや……。知り合いか?」
「違う。だがジョシュアがここで会った女らしい」
不確かな回答。おそらくは誰かに会ってそのことを聞いたのだろう。
暫くの会話の後、レーダーのラキを示す光点がゆっくりと動き出す。
「もう行くのか?」
「ああ、手間を取らせたな」
「見つかるといいな」
「そうだな……」
わずかな名残惜しさを感じつつも彼女の光点がレーダーのレンジ外に抜けていくまで見つめていた。
常識の抜けた、どこか変わった雰囲気を持つ変な女性だった。毒気を抜かれたような気もする。
彼女は死んだ知り合い(あの口ぶりからすると恋人だろう)の為にできることを探していると言った。その為に人を探しているとも。
死んでいってしまったカティアにメルア。彼女たちの為に自分は何かできるのだろうか? そしてまだ生きている少女もいる。
――馬鹿らしい。
ラキの知り合いはもう死んだ。死んだからこそ彼の為に何かしてやることができる。自分が生き残るという前提条件付きでだ。
しかし、テニアは生きている。一人しか生き残れないルールの内で生者にしてあげられることなど何もない。
そして、死んでいったカティアにメルア、彼女たちは自分よりもテニアの無事を願うだろう。わずかな時しか彼女たちと過ごしてない自分が、彼女たちの絆の間に割って入れているとは思いづらかった。
――寝よう。
毛布をかぶり、シートに体を預ける。軋んだ音が小さく鳴った。
阻害された睡眠時間を補充しよう。寝れるときに寝ていたほうがいい。体も疲れている。そしてできるだけ楽しい夢を見よう。この殺し合い自体がベタな夢オチなんかだったらもう最高だ。
そう思って目を閉じる。
もしテニアに会ったら自分はどうするのか――答えはまだ出ない。ギュッと毛布を巻きこんで丸くなる。
ここに呼ばれる前はいつも大抵三人娘の誰かしらはそばにいた。そして、さっきここに来てから初めて人と普通にふれ合った。そのせいか目を閉じていても人恋しさが込み上げてくる。
グラキエース、彼女はもし生きているジョシュアに会ったらどうするつもりだったのだろうか――。
――アイビス?
毛布を跳ねのけ起き上がる。汗がじわりと肌に浮かんできた。
知っている。聞いたことがある。確か小型の機体を踏みつぶしギンガナムを押しつけたときにあの青年が叫んだ名前。それがたしか――。
「アイビス」
――ということはあの青年がジョシュア?
『敵討ちをするのか』と聞いたとき、彼女は『わからない』と答えた。同時に『たぶん違う』とも……。
しかし、彼女は死んだ者のためにできること探している。
名前をあの二人に名乗った覚えがある。彼女はアイビスに会ったら、いったいどうするのだろうか?
「あいつも俺の敵だったんだな……」
【紫雲統夜 搭乗機体:ヴァイサーガ(スーパーロボット大戦A)
パイロット状態:疲労、精神状態が若干不安定
機体状態:無傷、若干のEN消費
現在位置:G-8水中
第一行動方針:朝まで休息
第二行動方針:他人との戦闘、接触を朝まで避ける
第三行動方針:戦闘が始まり、逃げられなかった場合は殺す
第四行動方針:なんとなくテニアを探してみる(見付けたとしてどうするかは不明)
最終行動方針:優勝と生還】
【グラキエース 搭乗機体:ネリー・ブレン(ブレンパワード)
パイロット状況:精神やや安定。放送の時刻が怖い
機体状況:無傷
現在位置:F-8水中
第一行動方針:アイビスを探す
最終行動方針:???
備考1:長距離のバイタルジャンプは機体のEN残量が十分(全体量の約半分以上)な時しか使用できず、最高でも隣のエリアまでしか飛べません
備考2:負の感情の吸収は続いていますが放送直後以外なら直に自分に向けられない限り支障はありません】
【時刻:21:00】
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