125話A「心、千々に乱れて」
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あくびをし、寝ぼけ眼を擦りながらカテジナー=ルースは起き上がった。
暗い闇の中手探りで灯りをつけるとレーダーを覗き込む。
何かが近づいてくる。そういう気がしたのだ。
根拠は何もない。ただ感じただけ、そういう気がしただけ、それでもそれは確信に近いものだった。
レーダーに映し出された二つの光点によって、程なくそれが正しいものだったと証明される。
レーダー類の不調のせいで距離はそう遠くない。
最初はかなり速い速度で接近してきていたのが、暫くして静止した。
おそらくはこちらの姿が見えない為警戒をしているのだろう。あるいは迷っているのかもしれない。
彼女は今湖の底に隠れていた。
「迂回をしてくれるようなら楽なのだけれどね」
あくびを一つ噛み殺してぼやく。
疲れが抜け切っていないのか、どうにも眠たかった。
接触を図るよりも今はまだもう少し寝ていたい。それが本心だ。
しかし、そんな思いを裏切るかのように光点がすっと接近を始める。
「やっぱりほうっておいてはくれないわよね」
女の見栄というか、習性のようなもので身支度を整えながら、思案を練り始める。
今の動きで分かったことがある。
まずは二人組という点でおそらくは好戦的な相手ではないということ。
そして、二対一という局面において一度動きを止めたということは、用心深い性質の持ち主がいるのか、あるいは戦力に不安が残るということ。
にも関わらず接近していたということは、捻じ伏せるか、逃げ切るか、どちらかの自信があるという現われ。
それを念頭において逃げるべきか、接触すべきかを考える。
逃げようと思えば逃げることは可能だった。
なにしろまだ互いに姿を見せてない上に、こちらは視界の悪い水中だ。
一度レーダーのレンジ外に抜けてから物陰に身を潜めれば、相手を撒くことは難しくない。
「だけど……接触すべきでしょうね」
いかにも乗り気でないといった態度。緩慢な動作でシートに腰を掛けなおす。
何かを潰したような感触があった。驚いて腰をずらしてみると、三種の樹脂マスクが出てきた。
あの核ミサイルに乗った男から得たボイスチェンジャー付きのそれは、正体を隠しつつ交渉するという点において、これほど都合の良いものはない。
だが、それを何の躊躇もなしにぽいっとコックピットの後方へ投げ捨てる。
理由は特にない。強いて言えば似合わないからである。
そういえばこのマスクを持っていたのも二人組だった。
核ミサイルなどというふざけたものを乗り回し、追い回してくれたことは、今思い出しても頭にくる。
だが、その二人はもういない。
カテジナ=ルース、彼女自身が手を下し核の炎で葬った。
理由は単純。必要ない、利用する価値もない存在だと判断したから。
その点、最初に出会った二人は違った。
ギャリソン時田とユウキ=コスモ。この二人は外れ機体引いた自分の盾になってくれたという面で非常に役に立った。
そして、熱気バサラと彼を知る一人の少年。彼らもまたラーゼフォンを運んできてくれたという点と、その性能を試させてくれたという点において役に立っている。
ならば、と彼女は思う。
ならば今度の二人組は何をもたらしてくれるのか、それを思うと気持ちが僅かに上向きに修正された。
既に距離はかなり近い。
いきなり攻撃を仕掛けられてもつまらない、と思い、ラーゼフォンをゆっくりと上昇させる。
湖面を抜け開けた視界に二機の人型機動兵器の姿が飛び込んできた。
「こんばんは。こんな夜更けに若い女の子に会いに来るものではないわよ」
眉間に皺を寄せて不機嫌を装い、口を尖らせる。
それで相手が機嫌を取ろうとすれば御の字。主導権を握ることができる。
だから殊更に嫌悪感を露にして言葉を続けた。
「もっとも、夜這いにでも来たって言うのならば話は別でしょうけどね」
むっとした様子を年若い方が顔に出すのが見えた。対して年嵩の男のほうの顔色は変わらず判断が難しい。
機体間の距離は遠くはない。しかし、不意をつけるほど近くもない。
そして、左右に分かれている。それもごく自然な動作でその配置についていた。
場慣れしているといっていい。
「何か不機嫌を買うようなことをしたのなら謝ろう。キョウスケ=ナンブという」
「カミーユ=ビダンです」
「カテジナ=ルースよ。何の用かしら?」
「単刀直入に聞く。敵か? 味方か?」
「敵よ。生き残れるのはただ一人なのだから、この世界にいるのは全員敵。
でも今のところ交戦の意志はないわ。あなたたちの出方によるけど……」
言い切り、動きを伺う。
嘘は言っていない。考え方にも不自然なところはないはずだ。
そのうえでどう出てくるのか、それに少し興味があった。最悪戦闘になる覚悟は出来ている。
「こちらにも交戦の意思はない。情報の交換を行いたいのだが構わないな?」
「構わないわよ」
そうして暫く情報の交換が行われる。
受け取った情報は、補給ポイントとG-6基地で交戦したという複数の機体、それに獅子を模した胸部装甲の機体について。
対して提供した情報は、ギャリソン・コスモ・バサラ、そして最初に交戦した黒いガンダムについて。
もちろん、情報に手は加えてある。
コスモ・バサラという味方を装った二人組に騙されて襲われ、同行していたギャリソンさんは死亡。自分も命からがら逃げ出した、といった塩梅にだ。
そうすることで二人と距離を置いている理由が説明できる。同時に争いの扇動にもなる。
見たところこの二人は戦闘慣れしている。そんな人間を二人も相手取るよりも、どこかであの二人と潰しあってくれたほうが得という算段だった。
「カテジナさんも一緒に来ませんか?」
「えっ?」
突然、予想外の言葉をかけられてはっと顔をあげる。
その言葉は青い髪の少年――カミーユ=ビダンのものだった。
「まだG-6基地には二人の仲間がいます。
そこのほうが一人より安全だし、上手くいけば殺し合いをしなくてすむかもしれない」
言葉を探す。
答えは決まっていた。しかし、頭の中に言葉が浮かんでこない。
何故――迷っているとでもいうのか?
ちらりとキョウスケという男の顔を盗み見る。
相変わらずの能面面。人工的な笑みの一つくらい浮かべてみせても損はないだろうにと思う。
だが、黙っているということは、黙認するということだろう。
基地に仲間がいるというのは、この男があえて伏せていたはずの情報だ。
それを口走っても止めない程度の信用は築けたということか。十分だ。これ以上の深入りは望むものではない。
「一緒に行きましょう、カテジナさん。あなたは殺し合いなんかしちゃいけない人なんだ」
何を根拠にそんなことを、と思う。
そう思った後で、ウッソに似てるなとふと感じた。
何処がではない。このカミーユと名乗る少年の容姿・性格はウッソのそれとは大きく異なっている。
纏っている空気も雰囲気も違う。
それでもこの少年から受けるプレッシャーは何処となくウッソに似ていた。
となると迷っている心はウーイッグに対する里心。未練か?
――馬鹿らしい。
それで合っているのかは分からなかったが、ようやく胸の内に言葉が浮かんできた。
「無理だよ。少なくとも私はあなたたちを完全には信用できはしない。
そんな相手と一緒にいれるはずがないだろう?」
「何故ですか?」
そう。目の前の少年が放つ気はウッソのそれに似ており、私を惑わせ、苛立たせる。
この少年と同行するのは危険だ、と直感が告げている。
「甘い言葉を使って騙してくる者もいる。ここでは自分以外を信用できるはずがない。
お別れだよ、坊や。次は敵同士だ」
そう言い残し、逃げ出すようにラーゼフォンはその場から飛び去る。北に向かってただ一直線に、ただひたすらに。
煩わしい、と思う。何故私が逃げなければならないのか、とも思う。
だが、あの場から逃げ出したかったのは事実なのだ。
――この私がいたたまれなくなったとでもいうのか? 馬鹿らしい。
情報は得た。
奴らはG-6の基地を本拠に行動している。ならばやることは決まっている。
これから出会う参加者全てに情報を吹き込み、送り込めばいい。善良そうな奴には危険人物が潜んでいると、危険な奴には参加者がいるとただ吹き込む。
それだけで奴らは勝手に潰しあい、やがて全滅するだろう。
そんなことを考えつつ十数分ほども飛んだときだろうか、唐突に一つの考えが頭を過ぎった。
「地球クリーン作戦やギロチンと同じ?」
腐らすものは腐らせ、焼くものは焼く。汚い大人たちは潰して地球の肥やしにしてしまう地球クリーン作戦。
そして、リガ・ミリティアのような反目するものを黙らせるためのギロチン。
この二つはザンスカール帝国が掲げるマリア主義の為の必要悪。
ならばこの殺し合いも危険因子を摘み、黙らせ、古いものを次代の肥やしにする必要悪? だったら何故――
「何故、私が巻き込まれている?」
分からない。分からない。分からない。
頭の中が混乱し、思考にノイズがかかる。不愉快極まりない。
そして、ドンッと何か重くて巨大な塊に体当たりされたかのような衝撃が奔った。
B-Part