166話B「交錯線」
◆7vhi1CrLM6
約15分後、YF-21のキャノピーから飛び降りるロジャーの姿があった。
一通り調べ終わって収穫はゼロ。ガイの行方に繋がる手がかりは何もない。
ただ遺体が無いという事は少なくともあの時ここでは死ななかったのだろう。
生きている。とりあえずはそれ満足したつもりになって、凰牙に戻ろうとしたその時通信が入った。
「ロジャー、そっちに向かって人が歩いてる」
「歩いて? 機体には乗っていないのか?」
僅かに眉を顰めて言う。その物言いに過敏に反応したソシエの声が返る。
「そうよ。どこにも機械人形の姿は見えませんもの」
おおよその位置を聞いた上で、これから交渉に入ること、待機していることを手短に伝えると通信を切った。
機体にも乗らず生身を晒して歩いている。そのことの意味を探る。
しかし、その答えが出るのよりも早く――
「よぉ、ネゴシエイター。クク……誰かと思ったらあんたかい」
その男はやって来た、慣れた足取りで瓦礫の海を乗り越えて。
オルバとテニアに会ったときとは違う。目が合ったときからこの男が放っている只ならぬ威圧感を感じた。
「前にどこかでお会いしたかな?」
「おいおい。あれだけ最初の場で目立っておきながらよく言うぜ。あんたを知らない奴のほうがここでは珍しい」
不安定な足場にも関わらず全く危なげのない所作で男は近づいてくる。
余りにも動きが慣れすぎている。そして、この廃墟の光景が余りにも似合いすぎていた。
それは味方にすれば頼もしいが、敵にすれば怖ろしい。念を入れるつもりで心中に身構える。
「なるほど。ここでは私は有名人というわけだ。それでどうやら私に会いにきたようだが、ご用件をお伺いしよう」
「何、大した用事じゃないんだがね」
男の視線が背後のYF-21へと注がれ、顎でしゃくる様にして指した。
「そいつに乗ってたパイロット――アキトの行方をあんたなら知ってるかと思ってね。それとまぁ情報交換と言ったところかな」
「アキト? ガイではないのか?」
「ガイ? そいつは知らねぇな。まっ、そいつでもいいか。そのガイって奴の居所を教えてくれ」
「ガイを探してどうするつもりだ?」
「別に。あんたにゃあ関係のない話さ」
あんたが気にかけることじゃない、という風に肩を竦めて見せた相手。
ガイの行方はこちらも気になることだったが、話にならない、と同じように肩を竦めて返す。
「ならば私も教える義理はないな」
「そりゃそうだ、と。まぁ、いい。で、ネゴシエイター、あんたは何だってこんなところに来たんだ?」
「それも答える義理はないな」
「おいおい、あんたが俺にしたのと同じ質問だぜ。俺が答えたんだ。あんたも答える義理があると思うがな」
懐からサングラス取り出しつつ「そうだったかな」と恍けた様子で返す。
さて、問題はこの男にJアークとナデシコの交渉について話すべきか否か、だ。
オルバとテニアには話した。だがそれは、二人がナデシコに関連する人物であるところが大きい。
その他に当るこの男に話すべきなのだろうか。
サングラス越しに男の様子を覗う。
どこか恍けた様子で薄い笑いを絶やさないこの男。身のこなしと漂わせている雰囲気から只者でないのは分かるが、どうにも評価を付け難い。
今、目にしている姿が虚なのか、実なのか、判別が付かない。かなりの曲者ということだろう。
交渉というのは、どの程度相手に信頼がおけるどうか、というのが大きく関わってくる。
その点においてえたいが知れないというのは、それだけで途方もないアドバンテージとなり得るのだ。
オルバよりもさらに場慣れしていると言える。
ではどうするか? このまま何食わぬ顔で情報を交換し交渉を終えるのか。あるいはこの男もあの場へと招くのか。
答えは決まっている。
受けた依頼の内容は『Jアークとナデシコの交渉の場を整えること』そして、『なるべく多くの者をその場へ集めること』だ。
ロジャー=スミス個人の判断が及ぶところではない。ゆえにこの男を例外にするわけにはいかなかった。
「実は今、場を整える依頼を引き受けている。ある場所へなるべく多くの者を集めるのが私の仕事だ」
「なるほど。それで人を探してここへ来たってわけか。残念だが、ここには俺しかいないぜ」
「なに、君も例外ではない。例え今あの化け物の言いなりになって人を殺めている者だろうと考える時間は必要だ。
どのような諍いや因縁であれ、話し合いで解決できるのならばそれに越したことはない。その為の場だよ。だが――」
一度言葉を区切る。
「だが、その場に争いを持ち込もうとする者は、この私ロジャー=スミスの名にかけて許しはしない」
凄みを乗せた声で言い切る。覚悟と信念の入り混じった声。脅しではなく警告だった。
だがそれを風と受け流し、目の前の男は答える。微塵も気圧された感は覗えない。
「そいつぁ、怖いな。いいぜ。参加してやる。で、どこなんだ? その酔狂な集まりはよぉ」
「次の放送前にE-3地区にあるクレーター、そこへ来てもらいたい。ラクス=クラインという少女が眠る墓の前だ。行けば分かるだろう」
僅かな後悔を感じながら答える。
この男が本当に交渉するに値する人物だったのかどうか、スッキリしないものを感じていた。
だが一度口にした言葉をなかったことにするというのは、不可能だった。
何かの分野において一流の人物が一癖も二癖もある者である、ということは多い。
そしてそういう人物ほど自分という人間を隠すのに長けている。この男は果たして大当たりか。大外れか。
今はまだ判断が付かない。どちらともなく情報交換に移る。
交渉の時間は割り切れない気持ちを残しながら、一見穏やかに過ぎ去っていこうとしていた。
◇
あらかたの情報を交換し終えてガウルンは考える。
ロジャー=スミスが把握している人間の位置。行動目的。危険人物。目ぼしい情報は既に手に入れた。
代わりに与えた情報はというとギャリソンとか言う祖父さんを始めとする死人のものばかり。それと出鱈目だ。
とは言え全くの出鱈目ばかりでもない。
例えばカシムとミスリルの連中の情報だ。無論カシムはここにはいないが、奴がいればどういうスタンスで行動したのかは想像に難しくない。
他の連中にしたって同様だ。
現実の人物像を元に創り上げた偽の情報。それを最もらしく流してやった。
下手な情報よりも現実に矛盾が発生しない分だけ問題が起こりにくい。何しろ真偽の程が分からないのだ。
それを調べ、偽物だということを立証しようと思えば、生存者のほぼ全ての情報が必要となる。
残り人数が分からない以上、誰も知らないところで誰かが生き延びている可能性を、完全に否定することなど不可能。
それにしても面白いことになってきた、と思いつつ気づかれないようにそれとなく周囲の様子を覗う。
機体の姿以外、声も、姿もばれていない事に付け込んで情報を得ることに関しては、予想以上の成果を得た。
ならば後の関心は統夜がどう出てくるのか、だ。
念を入れてマスターガンダムこそ隠して来たものの、統夜の自由を奪うようなことはしていない。
何も言っておらず、制限もつけていない。
ついでに言えば、自分がどう動くつもりなのか、それすら告げていない。
その状況下でどう動いてくるのか、それなりに興味があった。
これ幸いと逃げ出すようなら興醒めもいいところだが、そんな腑抜けならば最初から興味を持つ自分ではない。
何らかの行動を起こすはずだ、と妙に確信づいていた。
それに自分が統夜の立場なら、これを機会と見て自分を襲うだろう。そうすればマスターガンダムを出さざる得なくなる。
そのマスターガンダムは、過去の交戦でネゴシエイターに見られている。上手く行けば交渉人を味方に付けられるという寸法だ。
二対一の多勢を生かして厄介な俺を葬り去り、同時にネゴシエイターに取り入る。後は機会を見て面白おかしく暴れてやればいい。
信用させて裏切り、ネゴシエイターの間抜け面を拝む。中々に魅力的だ。想像しただけで愉快になってくる。
自分ならばまず間違いなくそれを選択するだろう。そして今の自分もそれを望んでいる。
一対二となれば、今はまだ発展途上で役不足の統夜と言えど楽しめる。知らず笑みが漏れた。
「どうした? 何か可笑しいのかね」
「何にって……そりゃぁ――」
どうした、統夜。お前はこの機会を逃すほど間抜けではないのだろう? 何をぐずぐずしている?
見ているだけでは機は失われていく。時間も余裕もない。ならどうすればいい? 簡単だ。
この好機を生かしてみせろ。今すぐ。今すぐにだ。さあ。さあ! さあっ!! さあッッ!!! さあッッッ!!!!
「そりゃぁ、あんたにさ。他人の本性も見抜けないでよく交渉人が務まるものだ。なぁ、ネゴシエイター」
交渉人が眉を顰め気色ばむのとほぼ同時に、瓦礫の山が跳ね上がった。
舞い上がる瓦礫を身に纏い、中空で身を翻す濃紺の機体はヴァイサーガ。それが鞘を払う。
その光景を背にガウルンは、呆気に取られたロジャー=スミスを無視して、高々と右腕を天に掲げる。
「クク……ずいぶんと遅かったじゃないか、統夜。首を長ぁーくして待ってたぜぇ。
どうした、ネゴシエイター。もっと楽しそうな顔をしろよ。楽しい楽しいパーティーの――始まりだ」
そして、指を弾く渇いた音が、辺りに妙に大きく木霊した。
「ククク……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!」
◇
地下道の天井をぶち抜き、折り重なる瓦礫の束を舞い散らしながら中空に躍り出たヴァイサーガ。
身を翻させつつ周囲の状況を確認して統夜は、歯噛みする。
――くそっ! 思ってた位置よりも大分遠い。
一度地上に生身で出て目測で二人の位置を確認していたとはいえ、利かないレーダーを頼りに入り組んだ地下道を移動してきたのだ。
増して、ヴァイサーガが移動できるほど大きな道はそれほどないときている。
思い通りの場所に出れなくてもそれは仕方がないと言えた。だが、それにしても遠すぎる。
――間に合うのか、この位置から。
入力するコードは風刃閃。五大剣の鞘を払い、空気を掻き乱す。
狙いは交渉人ロジャー=スミスとガウルン。この生身の二人を先制で叩き潰す。
「いや、間に合わせてみせる!!」
乱された空気が流れを変える。一方向に纏まり、円を描き、急速にその勢力を増していく。
そして、指向性を持った竜巻がその場に現出した。
吹き荒び渦を為す風の障壁が、瓦礫の折り重なる窪地に激突して全てを舞い上げるその刹那――
「こんのぉぉぉぉおおっっ!!!!」
――聞こえたのは女の声。逆回転の渦をぶつけられた風の渦が、相殺されて消え去る。
邪魔をしたのは、誰も乗っているはずのない隻腕の機体――騎士凰牙。
その残された右腕に誂られたタービンが高速回転を起こし、空気を掻き乱し、風刃閃と同レベルの竜巻を生み出した。
それは、GEAR特有のタービンを利用した波動龍神拳と呼称される技。
だが、そんなことは今更どうでもいい。防がれたのは残念だとは思うが、今更どうにもならないことだ。
それよりもあの機体に乗っていたのは誰だ? ガウルンの話だとあれは交渉人の機体のはずだ。
女の声。駄目だ、考えるな。今は忘れろ。忘れるんだ、紫雲統夜。頭を切り替えろ。
そう……聞こえたのは女の声。テニアと同年代か、それよりも若いくらいの。
視界の先でガウルンのマスターガンダムが動き始めている。だがそれよりも隻腕の機体に気を引かれていた。
乗り込んでいく交渉人の姿が見える。それを見て統夜は一つの結論に思い至った。
「ああ、なんだ。ハハ……そうか。そういうことか……俺だけじゃないんだ」
暗い呟きが空気を濁す。それは、憐れみの篭められた奇妙に湿度の高い声だった。
「ロジャー=スミス、あんたもその女に担がれてるんだな」
◇
天空の高みからは何者かが巻き起こした竜巻の激流が差し迫り、大地は隆起し瓦礫の中から何かが姿を現す。
その光景の最中、崩れる瓦礫の山に足を取られてロジャー=スミスは転がっていた。
転がりながら耳にしたのはガウルンの悦に入った笑い声。目にしたのは瓦礫を掻き分けて現れた機体。
逆回転の渦がぶつかり、地表寸前で迫る竜巻が消える。
だが、今のロジャーにそれは見えていなかった。
彼の目に映っていたのは唯一つ漆黒の体を持つ小型機――マスターガンダム。
その機体は目にしたことがあった。
そう、それはJアークとの交渉の邪魔をし、辺りを混戦へと引き摺り込んだ機体。
「ざまあねえなぁ、ネゴシエイター。易々と人を信じるからそういうことになるんだよ」
「貴様ッ!!」
乗り込むガウルンが見えて思わず気色ばんだ瞬間、少女の声が鼓膜を揺らした。
「何やってるのよ、ロジャー! 早く乗りなさい!!」
その声に現実に引き戻される。
凰牙が、腕を伸ばし、地面を転がる球をグローブで掬い上げるようにしてロジャーを足場ごと掬い上げた。
だが、その上方から矢のように大型機が迫っている。思わず「上だ!!」と叫んだその瞬間――
「おいおいおいおいおいおい。何をぐずぐずしてやがる。さっさと乗りこみな、交渉人。
機体にも乗ってないあんたを殺しても何の楽しみにもなりゃしねぇ」
――大型機の一撃をガウルンが受け止めた。
その隙を突いて距離を開ける凰牙。そのコックピットへロジャーは滑り込み、ソシエと目が合った。
「まったくその足で無茶をするものだ。だが、ここからは私に任せてもらおう」
「偉そうなことばかり言ってないで、お礼を言いなさい! お礼を!!」
「……そうだな。すまない。助かった。礼を言わせていただこう。そして――」
操縦が入れ替わり、凰牙の動きが変わる。上空の二機を見据えて力強く大地に仁王つ。
そして、その中でロジャーは喉を震わせ、あらん限りの声を振り絞りいつもの台詞をいつもの調子で叫んだ。
「チンピラが……私の忍耐にも限度というものがある。覚悟していただこう。
騎士凰牙、アアァァァァァァクションッッッッッッ!!!!!!!!!」
「五月蝿い!! 耳元で怒鳴るなぁ!!!!」
C-Part