175話A「Stand by Me」
◆YYVYMNVZTk
確実に切り裂くはずだった。
何も考えず、無心に、ただ刃を走らせて、その一撃は何よりも疾く、重く、強く。
けれど、確かに決意したはずなのに、あの声を聞いた途端に俺の心は揺れてしまった。
何故、どうしてと、疑問符が頭の上をくるくる回る。
「テニ、ア……」
ナデシコに近づいていく姿を遠めに見ていたときには気付かなかったが、テニアの乗る機体の損傷は、決して軽いものではなかった。
左腕は消失し、脇腹も痛々しく抉れている。それ以外にもはっと目に付く大きな傷から微細な傷まで全身無事なところがないほどだった。
テニアもまた、幾度となく戦ってきたんだろう。そして生き残ってきたんだ。
……どうやって、生き残ってきたのか。ガウルンからは聞いている。
だけど、俺はまだテニアからは何も聞いていない。
そう、テニアから聞いた言葉は、まだ一つだけ。
あの言葉が真なのか偽なのか俺には判断できない。
だからもっと、テニアの声が聞きたいと思ってしまったのだ。
ただ今、この瞬間だけは、自分が殺し合いに巻き込まれていて、自分もまた殺し合いに乗るつもりで、最後の一人になろうとしていたことを忘れていた。
ただの高校生だった自分を担ぎ上げてロボットアニメの主人公に仕立て上げてしまった三人の、最後の生き残りである赤毛の少女を自らの手で殺そうとしていたことさえも忘れてしまった。
突然殺し合いの場に放り出されてしまって、磨り減った神経を更に張り詰めさせて、その末にようやく出会えた知り合いと思わず寄り添いたくなるのだってなんら不思議なことじゃないと思いたい。
そうなんだよ。
俺はもう、疲れてるんだ。
本当は、大きな声を上げて泣いてしまいたいんだ。
誰かの胸の中で、子供みたいに甘えたいんだよ。
今まで散々毒づいていたのは誰だって、笑うか?
笑われたっていい。簡単に心変わりしてしまってるってのは誰よりも俺が分かってる。
あの時テニアに対して抱いた殺意が本物じゃなかったわけじゃない。
ただそれ以上に、俺が思っていた以上に、俺の心は弱かったんだ、限界だったんだ、ただそれだけの話なんだ。
「統夜だよね? 統夜なんだよね!?」
ようやく二言目が聞けて、涙が一粒落ちそうになった。
でも、そんな顔をテニアには見せたくないと思ってしまったのはきっと男の子の意地というやつなんだろう。
少しだけ顔を伏せて、鼻頭がツンと熱くなる感覚をやり過ごしてから顔を上げ、今の自分が持つなけなしの余裕で表情だけでも取り繕って、声を返した。
「ああ、統夜だよ……テニア」
「良かった……会えて、本当に良かった……!」
モニターに映ったテニアの顔は、何処か懐かしかった。
赤毛と、くりくりとした瞳。おてんばだったテニアには似合わない、とても疲れた顔をしている。
最後に会ってから二日と経っていないはずなのに、数年も会ってなかった様な気さえしてしまう。
どうしようもなく、どうしようもなく、目の前にいる女の子はフェステニア=ミューズだった。
カティア=グリニャールでも、メルア=メルナ=メイナでもなく、フェステニア=ミューズだった。
ただ一人だけ生き残ってしまった女の子がそこにいた。
「どうしたの、統夜?」
「いや、ただ――」
少しだけ、思い出していたんだ。
テニアたちと出会ってから今までのことを。
「何で今更、そんな昔のこと?」
思い出さなきゃ、きっと俺は前に進めないから。
格好悪いだろ?
「ううん、そんなことない。アタシ信じてたからさ。統夜が助けに来てくれるって。
そして統夜は――来てくれた。アタシを助けに、来てくれた!」
そう言ってテニアは、俺に向かって笑ってくれたんだ。
そしてようやく俺は、思い出せた。
なんで、いきなりロボットに乗り込めだなんて言われて、そのまま戦い続けてたのか。
いや、戦うことが出来たのか。
最初は自分のためだった。死にたくないから成り行きに任せて戦い続けてたんだ。
でも何時の間にか、理由はそれだけじゃなくなっていた。
こいつらだったんだ。カティアと、テニアと、メルア――三人がいたから、三人のために、俺は戦おうと思い始めてたんだ。
それが、俺が偽者の主人公を続けられていた理由だったんだよ!
くそっ……! くそっ!!
思い出したんだよ。忘れてたものを思い出したんだよ。
忘れたほうが絶対に楽だった。何も考えずに殺せるようになってれば、俺はきっと全てを捨ててでも、自分の命を守りにいけたんだ。
でももう駄目なんだ。
俺はテニアの声をもっと聞きたいと思ってしまってる。
テニアなら――俺に、主人公を続けさせてくれるんじゃないかって甘い希望を抱いてしまってる。
この場に及んで、俺は守りたいものを増やしてしまったんだ。
どんなに頑張ったって、一つしか残せないような、こんな場所でさ。
「テニア。お前が俺のこと信じてくれたんならさ――俺に、俺自身を信じさせること、出来るか?」
「いいよ。アタシは統夜のことを信じてるって言ったじゃん。
だから、統夜がアタシのことを信じてくれたなら――きっとそれは、アタシの中にある統夜のことを、統夜が信じることになる」
「俺はお前を信じたい。だからもっと聞きたいんだ。……俺が、俺でいられるように」
だから俺が俺を信じられるようになるまで、テニアを信じられるようになるまで――二人だけの時間が、欲しかった。
通信機のスイッチを入れる。チャンネルは既に合わせてある。告げるのは別離の言葉だ。
「……ガウルン」
『――ハ! お前が嬢ちゃんと向き合ってるってだけで、お前が何を言いたいのかくらい分かってるさ。
俺はお前のこと、なかなか見所のある奴だと思っていたが……とんだ見込み違いだったみたいだな?』
「幾ら罵ってくれても構わない。ただ俺は、あんたよりも信じたい相手が出来たんだ」
『あーあ、あれだけ忠告してやったのに――結局お前は、嬢ちゃんに丸め込まれちまったってわけかい』
「何と思ってくれてもいい。ただ――出来の悪かった弟子から師匠へ、最後に一つだけお願いさせてくれよ。
俺たちは二人だけになりたい。……今、笑っただろ?」
『そりゃあ笑うさ。ククク……この期に及んで色恋沙汰とは、若いねぇ?』
「茶化すなよ。あんたにとっちゃ笑い話でも、俺にしてみれば大事なことなんだ。頼む、少しだけでいい。俺たちが逃げ出せるまで時間を稼いでくれ」
『嫌だね。なんで俺がお前のためにそこまでしてやらなきゃいけないんだ? それで交渉のつもりなら、お粗末としか言いようがないな』
「……そうだよな。今更あんたに頼みごとなんて、俺がどうかしてたみたいだ」
『だがなぁ……元々、あの戦艦を狙うつもりだったんだよ、この俺は。お前に指図されたわけじゃないが――結果的には、同じことになるかもしれないな』
「はは、なんだあんた……案外、良い奴なのか?」
ブツンと通信は途切れた。
さんざ迷惑をかけられたが、終わってしまった今ならば、悪くなかったといえたのかもしれない。
いや、やっぱりそんなことはないか。
何はともあれ、これで準備は整ったはずだ。見ればナデシコから機体が一つ飛び出そうとしている。
これ以上、無駄な時間はなかった。
ブツンと通信は途切れた。
さんざ迷惑をかけられたが、終わってしまった今ならば、悪くなかったといえたのかもしれない。
いや、やっぱりそんなことはないか。
何はともあれ、これで準備は整ったはずだ。見ればナデシコから機体が一つ飛び出そうとしている。
これ以上、無駄な時間はなかった。
「テニア」
「うん」
たった五文字で通じてしまう。俺たちの距離は、こんなに近かったっけ?
いや、今は余計なこと、考えなくてもいいんだ。
視界の隅に、黒が現れた。ガウルンの乗るガンダムだ。放たれた光弾が、ナデシコから飛び出そうとした機体の注意を引く。
その一瞬の隙をつき、俺たちは走り出した。
何処へ向かうかなんて考えてなかった。ただ、少しでも早く二人だけになりたかった。
B-Part