149話A「二つの依頼」
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空が白みを帯びていく中、少女は一人こっそりと草原の中に穿たれたクレーターの穴へと近づいていった。
その中心で少年は固く膝を抱え、顔の下半分をうずめて、身じろぎもせずにじっとしていた。
瞬きもせずに光らせている目は少女を見ようともしない。
人が近づいてきたということに気づいてもいないのかもしれなかった。
やがて虚空を見つめていた瞳だけを動かし、呻くように言葉が漏れる。
「慰めごとはいらない。もう少し一人にしてくれないかな」
「そんなんじゃないわよ」
少女は動かず、じっと少年を見つめている。
どんな説得も、慰めの言葉も、今の少年には無意味なように思えた。
無力感とやりきれなさが混在しているのだろう、疲れて息を吐くように少年は言ったものだ。
「ソシエも僕に死んだ人の遺志を汲みとれって言うんだろ?」
自嘲と皮肉の響きが込められた口調だ。
「心配しなくてもいいよ。今だけだから……もう少ししたら今までと同じように頑張れる。そうしなきゃ誰も助けられないんだ」
無気力な響きだった。好きでするわけではない、仕方がないから嫌々やるのだという風にさえ聞こえてくる。
その様子にわずかに眉を顰めた少女は少年に近づき、並んで座り込んだ。
「キラはどうしたいのよ? ラクスさんの遺志を継ぎたいの? それとも何もかもここで投げ出してしまいたいの?」
「両方だよ」
投げやりに少年は答えた。
「ラクスは平和な世界を望んでいた。だから、この殺し合いを良く思わなかっただろうし、生きていれば止めるために力も尽くしたと思う。
その遺志は汲みとってあげたいと思う。添ってあげたい。だけど……ラクスがいない。いないんだ」
低く呻く。
「君の言うとおりだ。もう……何もかもがどうでもいい」
少年から視線を動かし、空を見上げた。重症だ。
身近な者を失ったときの絶望の深さを、少女はよく知っている。それだけに言葉が見つからない。
『皆様、おはようございますですの』
不意に幼い少女の声が響き渡り始めた。
それはこの世界中のどこにでも響き渡る声のはずなのに、ただ一つ目の前の少年の心には響いてこない声のように感じられる。
事実少年はこの放送が耳に入ってないかのように無関心な態度をとり続けていた。
だが、一度二度その腕に力が篭るのを少女は見ていた。
放送が過ぎ去って、どうすべきか迷った末に少女が口を開く。
「アスランって知ってる人? それとカズイって人も……」
少年の体が大きく震える。それを返事と少女は受け取った。
「そっか……」
再びの沈黙。ややあって少年がその重い口を開いた。
「もういい。もう十分だ。そう思ったはずなのに……」
「ここに集められる少し前、お父さまがお亡くなりになられたんだ」
割ってはいる形で発せられた少女の言葉に、少年の表情が動いた。
「ビシニティの成人の日に突然ね。月から降りてきた連中と戦争になったのよ……それに巻き込まれて……。
私もしばらくベットに潜り込んで泣いていることしかできなかったわ。私がどれほどムーンレィスを呪ったかあなたにわかる?
そしたらメシェーがやって来て、あのロランが戦っている教えてくれたわ。お布団にもぐりっぱなしの私に向かって言ったのよ。
『ソシエが寝込んでたら、お父さんなんて言うかね? ハイム家を継いでくれなんて絶対に言ってくれないよ』って。
『手伝わない? お父さんの仇を取りたくない?』って。私は仇が討てるんだって思ったわ」
少年はしばらく黙っていた。真顔で少女を見つめている。
「復讐はいけないことだとは言わないんだ」
「そんなこと言えるわけないじゃない」
いかにもそれが当然と言わんばかりに胸を張って、少女はあっさりと言い放つ。
身近な者を失った直後に襲ってくる身が竦むほどの深い絶望。それ知っている少女にとって、それは自然な言葉だった。
とは言え、内心はそれほど簡単な話でもない。
少女は知っている。いつの間にか姉と入れ替わっていた月の女王さまと月と地球の間で板ばさみになった身近な少年二人の苦悩を、みんな知っているのだ。
「キラはどう思うのよ?」
「分からないよ。殺されたから殺して、殺したから殺されて……それが正しいとは思えない……それは分かるけど」
歯切れの悪い少年の言葉に、少女は言い含めるようにして話し出す。
「そんな奇麗事はある日突然理不尽に親を失ったこともなければ、へんてこな殺し合いに呼ばれて友達や恋人を失ったことのない人達に言わせておけばいいのよ。
いい? 他の誰も言わないのなら、私が言ってあげるわ。
あなたには仇を討つ権利がある。無念を晴らす義務も。虚しい事だったなんていうのは、やってみてそう感じたときに言えばいいのよ」
無論、少女もその言葉の全てが正しいこととは思っていない。だが、自分はそうやって立ち直っていったのだ。
生きる気力を根こそぎ奪っていくほどの絶望から今ここで立ち直らせる方法を、他には知らないのだ。
時間が全てを解決してくれる。それが頭にないわけではない。それも正しいのだろう。
だが今ここではその時間が圧倒的に足りないのだ。気がすむまで悲しみ泣き暮れるための時間がここでは許されないのだ。
だから少女は仇を討てと憤然と言い放ち、復讐を肯定した。それが少年の為になると信じて。
黒い深い瞳にゆっくりと強い光が戻っていくさまを、少女は僅かな罪悪感と共に見ていた。
「ありがとう」
「何がよ?」
「ムサシさんが死んだとき、君が止めてくれていなかったら僕は取り返しのつかないことをしていたと思う」
後頭部をさすりながら言う少年に、少女は急にしどろもどろになってバツの悪そうな顔を向けた。
バールのような物で力一杯強打したのだ。返す言葉があるはずもなかった。
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