Scenario IF 20話 「さらば優しき日々よ」 ◆ZbL7QonnV.
G−6エリア。夜の闇が周囲を満たす基地の一角に、その機体は闇に溶け込む形で鎮座していた。
黒の騎士、ヴァイサーガ。フューリーの騎士の血を継ぐ少年、紫雲統夜に与えられた機体。
一夜の休息を求めて基地を訪れた統夜は、周囲に敵機の反応が無い事に安堵の溜息を吐いていた。
「とりあえず、今の所は安全みたいだな……」
静まり返った闇の中、統夜は身体の力を抜く。
戦いとは縁の無い学生生活に慣れ親しんで来た統夜にとって、戦場の緊張感はあまりにも重過ぎた。
戦う事を決めはした。
元の世界に戻れるのならば、この手を血で汚す覚悟もある。
殺される前に、殺し返す。そうする事でしか生き残れないのであれば、そうするまでだと決意した。
……だが、彼の手は未だ血に濡れてはいない。
まだ、引き返す事は出来るのだ。
堕ちかけた修羅の道を引き返す事は、今ならばまだ不可能ではない。
まだ直接人の命を奪ってはいない、今の紫雲統夜ならば。
「あいつ……テニア、今頃どうしてるのかな……」
その証拠に、まだ彼は捨て切れていない。
優しさを。
人としての、温もりを。
「……死んだんだよな。カティアも、メルアも。
あいつ……ずっと、一緒だったんだよな。子供の頃から、ずっと……」
だが、それは甘えに過ぎない。
わかっていた。
こんな事を考えてみた所で、何が解決するわけでもない。ただ、迷いを引きずるだけだ。
しかし、それでも考えずにはいられなかった。
それが、意味の無い事だと知りながら。
「家族……みたいなもの、だったんだよな……」
思い出す、父の訃報。
両親を亡くして天涯孤独になった時、自分は何を思っていたか。
哀しかったか?
苦しかったか?
寂しかったか?
辛かったか?
ならば、きっと彼女も……。
「……くそっ!」
想像を、振り払う。
迷うな、悩むな、戸惑うな。
ためらいの先に待っているのは、自分の無残な最期だけだ。
あの放送で名前を呼ばれた、合計十人の参加者たち。それの仲間入りをしてしまってもいいのか?
「……いいわけが、ないだろうっ!」
不安、恐怖、孤独。それらの感情を吐き捨てるように、統夜は叫び声を上げる。
そして、ふと気を紛らわすように、レーダーに視線を向けてみて――
「戦闘の、跡……?」
それに、統夜は気が付いた。
「……ひどい、な」
もはや鉄屑と化した人型の機体。
バーナード・ワイズマンのブラックゲッターに破壊された、ヘビーアームズの残骸を見下ろしながら、統夜は表情を微かに歪める。
ひょっとしたら、これは自分の末路だったのかもしれない。
ほんの少しでも状況が違っていれば、ギンガナムとか言う男に殺されていたのかもしれない。
いや、それだけではない。
あの男以外にも、このゲームに乗った人間はいるはずだ。そういった奴らに命を狙われて、自分も殺されていたのかもしれない。
「殺し合い、か……」
沈痛な声で統夜は言う。
ぶるり。微かに、身体が震えた。
死者を悼む気持ちよりも、恐怖の方が先に立った。
いったい、どんなヤツが死んだんだろうか。
このゲームに乗った人物が返り討ちにあったのか、それともゲームに乗った人物の手で殺されてしまった犠牲者なのか。
願わくば、前者であってほしかった。見境無しに暴れ回る危険人物の生存は、統夜にしても簡便願いたかったから。
「……死んだんだよな。カティアも、メルアも」
ふと、得体の知れない不安が心を過ぎる。
ひょっとしたら、彼女達なのかもしれない。
この機体に乗っていたのは、カティアやメルアだったのかもしれない。
だが、それがどうした。もしそうだったとしても、二人が死んでいる事に違いは無い。
……違いは、無いのだ。
「レーダーに反応は……無い、か……」
だが、それでも心がざわついた。
「辺り……静かだよな……」
もし、あの機体に乗っているのが、自分の知っている二人だったなら。
そう考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。
「ちょっとだけ……見てみるかな……」
黒の騎士が、ゆっくりと膝を付く。
それは、少年の甘さだった。
優しかった過去の日々を捨てきれない、少年の甘い考えだった。
「…………」
ヴァイサーガの操縦席を無言で降りて、ヘビーアームズの残骸に歩み寄る。
操縦席の位置には見当が付いた
人が入り込めるくらいの、機体の装甲に出来た裂け目。そこから操縦席の中に身体を入り込ませて――
「……違う、か」
人違いだった。
カティアでも、メルアでもない。見覚えの無い、がっしりとした身体付きの中年男性だった。
……生きていた。
傷付き倒れてはいるようだが、浅い呼吸を繰り返していた。
意識は、無い。統夜にとっては幸いな事に、男は目覚める様子を見せなかった。
機動兵器を使った戦闘に慣れてきたとはいえ、特殊な戦闘訓練を受けた訳でもない高校生の統夜である。
見るからに荒くれ者といった感のあるモンシアを相手に、生身の白兵戦で勝つのは不可能であろう。
さりとて、どうする?
「殺し合い……か……」
紫雲統夜は、まだ人を殺した事が無い。
一度は固めた覚悟にしても、吹けば崩れる砂礫の城だ。自ら望んで殺し合いを行えるほど、紫雲統夜は歪みきっていない。
それは、統夜が未だ人の道を踏み外してはいない証だった。
……だが、それでは生き残れない。
この凄惨な殺し合いの中で、他人を蹴落とし生き延びる事など出来るはずがない。
そうだ、殺せ。
この男を、殺してしまえ。
迷いを断ち切り、殺してしまえ――!
「っ…………」
指が、肩が、身体が震える。
ばくばくと心臓は早鐘を打ち、耳の辺りが異様に熱く感じられた。
これから、自分は人を殺す。その事実が、統夜の心に重く圧し掛かっていた。
気絶した男の首に手を回し、それを全力で締めようとして――
しかし、迷いの為に、その手が途中で進まなくなり――
「ぅ……ぁ…………」
ふと、男が呻き声を上げた。
「う……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっ!!!!」
恐怖、そして絶叫する。
手の近くに転がっていた、装甲の欠片を拾い上げる。
それを思いっきり振り被って、男の顔面に叩き付ける。
ぐしゃり。鼻骨の砕ける感覚が手に伝わり、飛び散る血糊が統夜を濡らす。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっ!!!」
統夜が戦う事を決めた、たった一つの強い感情。
それは、死の恐怖。
殺さなければ、殺される。
だから、殺される前に、自分が殺す。
その恐怖が、男の呻き声によって呼び起こされてしまったのだろう。
狂ったような叫び声を上げながら、統夜は装甲の欠片で男の顔面を強打し続けていた。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――!
「が……っ! っっっっ! っっっっっっっっっっっっっっっ!!!!」
もはや言葉にもなっていない叫び声を上げながら、統夜は男の顔面を打つ。
鼻が崩れた。目玉が潰れた。耳が削げ落ちた。骨が砕けた。血が飛び散って、脳漿さえも撒き散らされた。
だが、それでも止まらない。
統夜は絶叫を上げながら、狂ったように手を振り下ろす。
そして、およそ十分後――
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ…………」
ようやく体力の限界を迎えたか、やっと統夜の手が止まる。
彼の前には、男の死体。もはや元の顔立ちがわからなくなるくらいに崩れ去った、ベルナルド・モンシアの死体があった。
……統夜の身体は返り血塗れだった。べっとりと身体を濡らす血の感覚に気付き、そこで統夜は我に返る。
とうとう、殺した。
踏み越えてはならない一線を、とうとう統夜は越えてしまった。
「お……おうっ、おげぇぇぇぇっ…………!」
血と脳漿の入り混じった臭いに、人を殺してしまった事実。それに統夜は吐き気を催し、そのまま胃袋の中身を撒き散らす。
殺した。
この手で、殺してしまった。
生きる為に殺すと決めた。他人を蹴落とし生きて帰ると、確かに覚悟は決めたつもりだった。
だが、それがどれだけ甘い覚悟であったのか。
……知らなかった。人の命を奪うというのは、これほどまでに怖気が走るものだったのか。
ヴァイサーガの武装によって男を殺していたのならば、気付く事は出来なかっただろう。
死とは、これほどまでにおぞましいものだったのか――
「あ……あがっ……、あが……ぁっ…………!」
震える。
自分の身体を強く抱き締めながら、ぼろぼろと涙さえも流して――
「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!
ふ……ざけるなっ! ふざけるなっ! ふざけるなっ! ふざけるなっ!」
怯える心を打ち払うように、やおら統夜は叫び声を上げた。
「やれって言うからやったんだ、俺はっ!
カティアだって、メルアだって殺された! 俺だって、やらなきゃやられてたんだ!
何が悪い! 何が悪い!? 何が悪いって言うんだよ!!
俺は何も悪くない! 殺すんだ……殺して、俺は生きるんだ!!」
そうだ、殺せ。
殺して、殺して、殺し尽くせ。
このゲームに乗った連中も、このゲームに乗る気が無い連中も、一人残らず殺し尽くせ。
そして、生き延びるのだ。生きて、元の世界に帰るのだ。
そのためには、殺さなければならない。
なによりもまず、これまでの弱い自分を殺さなければならない。
たった一人殺した程度で震えるような、弱い自分は必要無い。
修羅に堕ちろ。
ヴァイサーガ。あの黒騎士に相応しい、非情の魂を手に入れるのだ。
そのために、どうすればいい?
どうすれば、この弱い自分と決別する事が出来る?
「……………………殺そう」
ぞっとするような、凄惨な響きの入り混じった声。
これまでの、どこか弱気な印象のある少年の声からは程遠い、鬼の声で統夜は言う。
そうだ、殺そう。
過去の自分と決別する為には、自分の過去を消し去らなければならない。
少年・紫雲統夜にとって過去の象徴と言える存在、フェステニア・ミューズ。
この手で彼女を殺した時、自分は過去を乗り越える事が出来るのだ。
もう二度と引き返す事の出来ない修羅道に、身と心の総てを捧げる事が出来るのだ。
ああ、そうだ――
「殺れって言うなら、殺ってやるさ……!」
ヘビーアームズの操縦席を抜け出しながら、殺意の視線で虚空を見上げる。
ヴァイサーガ。黒の騎士は何も言わず、主の決意を受け止めていた。
もう、戻れない。
もう、帰れない。
あの優しかった日常には、決して引き返す事は出来ない。
【紫雲統夜 搭乗機体:ヴァイサーガ(スーパーロボット大戦A)
パイロット状態:返り血塗れ
機体状態:無傷、若干のEN消費
現在位置:G-6基地
第一行動方針:テニアを殺す
第二行動方針:テニアを殺すまで余計な戦闘は避ける
第三行動方針:殺せる相手は確実に仕留める
最終行動方針:優勝と生還】
【ベルナルド・モンシア 登場機体:ガンダムヘビーアームズ改(新機動世紀ガンダムW〜Endless Waltz〜)
パイロット状態:死亡
機体状態:大破(運用不能)】
【残り43人】
【初日 20:15】