――Opening――




うっすらと目を開けて真っ先に考えたのは、どうして自分はこの冷たい床の上で横になっているのかという事だった。
まだはっきりとしない意識のまま、少年――キラ・ヤマトはゆっくりと体を起こした。
そのまま周囲を見回す。そして目に入ってきた光景に、キラはまだ夢の続きを見ているのかと思った。
見知ったアークエンジェルの艦内、ではない。そこは見覚えの無い、広いドーム状の空間だった。
照明器具の類は何一つ無いにも関わらず、ドームの天蓋全体がうっすらと発光しているおかげで
場内はかろうじて人の顔を判別できる程度には明るい。
どうやらこの部屋には他にも大勢人がいるらしく、ざわめきが部屋全体に反響している。
頭にも徐々に血が巡ってきた。しかし、依然として状況が飲み込めない。
記憶を辿ろうにも、ここに来る直前だけが何故かはっきりしない。
「どこなんだ……ここは」
「さあ……わたくしにも、その問いに答えることは出来かねますわ」
何気なく発した独り言に返事が返ってきたことに驚いて、キラは振り返った。
そこにいたのはキラも良く知る少女――プラントの歌姫、ラクス・クライン。
「ここは……君はどうしてここに?」
「分かりません。わたくしも、気がついたらここに……ただ、どうやら他の方々も、同じのようですわね」
ラクスの視線を思わず目で追う。
いつの間にか薄明かりに目が慣れて、さっきよりもはっきりと場の状態が把握できた。
不安げな表情の少女達が、互いに寄り添い合っているのが見える。
赤いアフロヘアーの少年が、苛立った口調で何か叫んでいるのが見える。
奇妙な仮面を着けた男が、腕を組み歩き回りながら物思いに耽っているのが見える。
確かに、望んでこの場所にいる人間はいないようだった。
キラの背中を冷や汗が流れ落ちる。
嫌な予感がする。何か、とてつもなく良くない事が起こるような。
――その予感は、それから程無くして最悪の形で的中することとなる。


『目覚めよ……人間達』

その声が『自分の頭の中から』聞こえてきた時、キラはこの異様な状況についに自分の精神が異常をきたしたのかと思った。
しかしどうやらそうではないらしく、ラクスも、場内の他の人間達も一様に同じ声を聞いたようだった。
ざわめきが場の空気を介して伝播する。
状況を確認しようとキラが口を開きかけた矢先、声が再び脳内に響いた。

『我が名は……アインスト……ノイ=レジセイア……』

混乱する頭を無理に急き立て、キラは何とか今の状況を把握しようと必死になった。
今、声は確かに自分の名を名乗った。という事は、この声の主はどこからか自分達の脳内に語りかけているというのか。
昔読んだ空想小説に出てきた単語が思い出された――テレパシー? いや、そんな非科学的な……
しかし次の一言で、キラの思考は今度こそ完全に停止することとなる。

『……これからお前達には……最後の一人になるまで、殺し合いを、してもらう』

場内を完全な沈黙が支配する。
しかしそれも一瞬の事で、戸惑いは細波のように部屋中に広がっていった。
戸惑いは徐々に増大し、やがて決壊する。
「ちょっと、誰だか知らないけど、いきなり人をこんな所に連れてきて、なに勝手な事言ってるのさ!」
赤髪の小柄な少女が、何処にいるのかも知れぬ声の主に向かって叫んだ。
慌てて、傍らの金髪の少女が腕に取り縋って制止しようとする。
「テ、テニアちゃん、落ち着いて!」
「落ち着けるもんかっ! ……ねぇ、聞こえてるんでしょ!? だったらさっさとあたし達を元の所に返してよっ!」
少女の決死の叫びに勇気付けられたのか、場内のあちこちから野次と怒号が飛び交い始める。
まるで自分の中の不安を、無理に動的なものに変えて吐き出しているように。
やがて、新たな声が脳内を震わせた――僅かな苛立ちを含んだようにも聞こえる声が。

『……愚かな……』

瞬間、ドームの床が、壁が、天井が、ぐにゃりと歪んで掻き消えた。
そして代わりにそこに出現したもの――その異様さに、誰もが戦慄する。
異形。それ以外に、その存在を形容する言葉が見つからない。
禍々しく伸びる角、おぞましく蠢く触手、生物とも無機物とも取れない怪物的なフォルム、原色を切り貼りしたような体色……

そして、暴力的なまでの大きさ。
あらゆる進化の可能性を内包した存在が、そこにいた。
会場内の誰もが、この異形の存在こそがその声の主である事を悟る。
再び響く声。

『人間共が……我に抗う事など……永劫叶わぬと知れ』

そして世界はまた逆回りに歪み、たちまち元のドームへと戻る。
先ほどの異形の存在が出現した痕跡など、何一つ残ってはいない。
何が起こった? パニックになりかけた意識で、キラは思考する。
(…………幻、覚…………!?)
それを否定するにはあまりに現実から乖離しすぎていて、それを肯定するにはあまりにリアルすぎる光景。
このテレパシーと同じようにイメージを伝えてきたというのだろうか、それとも……?
あの衝撃の後では、どんな理性的な思考ももはや空しい。
赤髪の少女もやはり無理をして虚勢を張っていたらしく、金髪の少女に抱きかかえられていた。
会場は水を打ったように沈黙を取り戻していた。

「ここからは私が…………アルフィミィ、と申しますの。皆様、お初にお目にかかりますの」

ドームの天蓋の頂点から、まるでスポットライトのように光が降りる。
その中心に、蒼い髪の少女が立っていた。
年恰好は十代前半といった所であろうか、どこか人間離れした神秘性を感じさせる。
どうやら場の主導権はあの声の主からこの少女へと移ったらしく、アルフィミィと名乗った彼女はゆっくりと話し始めた。
「まず……先ほどの通り、皆様には殺し合いをしていただきますの」
殺し合い。その言葉が聞こえた瞬間、場の空気が僅かに張り詰めた。
キラの隣で、ラクスが無意識に身構えるのを感じた。
「皆様一人ひとりには、それぞれ機動兵器が一機と食糧や地図などの最低限の荷物が支給されますの。
 各自それを受け取り次第、ここから『箱庭』へと転送いたしますの」
アルフィミィは淡々と説明を続ける。
「そこで最後の一人になるまで、殺しあっていただきますの。最後に残った優勝者は元の世界に戻してあげますの。
 それだけではありませんの、優勝した方には素敵なご褒美が――」
「……アルフィミィ嬢。少し、よろしいか」
説明を中断する声の主に、アルフィミィだけでなく会場全体の視線が集まった。
全身黒尽くめのスーツを身に纏った男だった。毅然とした態度で数歩前に歩み出る。
「あなたは……思い出しましたの。お噂はかねがね、ですの……Mr.ネゴシエイター」
「そのような社交辞令を聞くとは思わなかったが……まあいい。
 アルフィミィ嬢、三つほど質問がある。答えていただけるだろうか」
「熱心な方がいてくれて嬉しいですの。答えられる範囲でお答えいたしますの」
「それは結構」
ネゴシエイターと呼ばれた男は軽く咳払いをして、それから口を開いた。
「まず第一。そもそもこの殺人ゲームには何の意味があるのか。第二に、なぜ我々が選ばれたのか。そして第三に――」
彼はそこで一旦言葉を区切り、
「我々の何処にこの馬鹿げたおふざけに付き合ってやる道理があるのか、だ」
一気に言い切った。
会場中を、ざわめきが駆け抜ける。
(なんて人なんだろ……)
黒スーツの男の後ろ姿を見ながら、キラは内心で驚嘆した。誰もが聞きたくとも聞けずにいた事を、彼はあっさりと……
アルフィミィは僅かに思案しているようだったが、すぐに男の方へ向き直った。

「分かりましたの。順番にお答えいたしますの」
会場内の誰もが、彼女の言葉に耳を傾ける。
「まず一つ目は……秘密ですの。言えませんの」
「……何?」
「それから二つ目……これも言えませんの。言う必要もありませんの」
「……アルフィミィ嬢、貴女の対応には残念ながら誠意が欠けていると言わざるを得ない。
 それとも、そのような説明で我々が納得するとでも?」
「納得していただく必要はありませんの……私達の言うとおりにしてくれればそれでいいですの」
「…………」
黒服の男の表情が僅かに歪む。しかし彼が次の言葉を発する前に、アルフィミィは第三の答えを口にしていた。

「三つ目の答えは、あなたの首元にありますの」

訝しげに自分の首に手をあてた男の顔が、瞬時に強張った。その反応に不審なものを感じたキラも、思わず自分の首に――
そして驚愕した。自分の首に、冷たく硬い感触を持つ何かが装着されている。
咄嗟にラクスの方を振り返る。ラクスも同じ事を考えていたらしく、こちらを見る表情に戸惑いの色が浮かんでいる。
そして彼女の細い首に、鈍い金属光沢を放つ首輪が嵌っていた。
ラクスの反応を見るに、どうやらキラ自身の首に嵌っているのも同じものらしい。
どうやら他の参加者達も同様の事実に気付いたらしく、戸惑いの声が同時多発的に起こった。
首輪に手をかけ、何とか外そうと試みる人までいる。
アルフィミィは満足そうに頷き、再度ルール説明を開始しようとした。
しかしそれはまたしても遮られる事となった――今度は、女性の声によって。

「お嬢ちゃん……」
金髪をポニーテールに結んだ女性が、アルフィミィに呼びかける。
女性は、アルフィミィのことをまるで昔から知っているかのような、形容し難い表情を浮かべていた。
「……何か用ですの?」
「……最初にあなたがこの部屋に入ってきた時から、何となく嫌な予感はしてたのよ。
 ねぇお嬢ちゃん……これはいったいどういう事? あなたにはもうあの連中のいいなりになる理由なんてないはずだわ。
 それに何より、このゲームっていうのは――」
「……私は貴女を知りませんの。ですから、何の事だか分かりませんの」
「え……お嬢ちゃん?」
予想外の返答に、エクセレンと呼ばれた女性は狼狽を見せた。
代わりに彼女の恋人と思しき男性が、エクセレンの後を引き継ぐ。
「何かあるのかもしれないと思ってさっきから黙って聞いていたが……分からないな、どういう事だ? お前は――」
「知らないと言っていますの。用が無いなら話しかけないでほしいですの」
「アルフィミィ!」
「お嬢ちゃん!?」
「……もういいですの。貴女には、これからの説明の『実験台』になってもらいますの」
明らかに動揺を隠せない二人に残酷な言葉を投げつけ、アルフィミィは他の参加者の方へ向き直る。
「皆様! このゲームには、三つの禁止事項がありますの!
 一つ目は、一日二回の放送で発表される『禁止エリア』に侵入すること!
 二つ目は、この首輪を力づくで外そうとしたり、強い衝撃を与えたりすること!
 三つ目は、最後の死者が出てから24時間以内に誰も死亡者がでないこと!
 そしてこれらに違反した時はペナルティが与えられますの――それは、」
そこで言葉を区切り、アルフィミィはエクセレンの方へ身体全体を向ける。
アルフィミィの言動を目の当たりにして、エクセレンの顔に悲しみと寂しさと憂いとが同居した悲痛な色が浮かぶ。
「お嬢ちゃん……まさか、本当に私たちのこと……?」
「…………さよなら、ですの」
そして、少女は両手を小さく一度、叩いた。

炸裂音。

エクセレンの身体は二、三度大きく痙攣し、そのまま重力に任せて冷たい床に倒れ伏した。
一瞬遅れて雨のように降り注ぐ、血と肉の混合物。動かない彼女の周囲に、赤い水溜りが広がっていく。
彼女はもう何の表情も浮かべてはいなかった――いや、もはや表情そのものが存在しなかった。
なぜなら彼女のその端整な美貌は、突如爆発した首輪によって飛び散ってしまったのだから。
「…………エクセ、レン…………?」
すでに物言わぬ彼女の名を呼びながら、彼女の恋人がよろめきながら歩み寄っていく。
一歩、二歩、そこで床に広がる赤を見て、彼は茫然自失の顔つきのままその場にくずおれて膝を突いた。
無言で肩を震わせる彼を僅かに一瞥してから、アルフィミィは仮面のような表情のまま淡々と説明を続ける。
「皆様の首輪には、人一人殺すのに十分な威力の爆弾が仕込んでありますの……言う事を聞いてくれない悪い子は、お仕置き、ですの」

悲鳴を上げる者さえ、いなかった。
不自然とでも形容すべき静寂が、部屋中を満たしていた。
たった今誰もが目にした、あまりにあっけなくてあまりに現実離れした、死。
もはや、誰一人として疑う者はいなかった。
この首輪をつけている限り、自分達の生殺与奪の全ては赤の他人の手のひらに握られているということ。
そして、自分達はもはや殺人ゲームのコマの一つに過ぎず、主催者の言うとおりに殺し合う以外に道は残されていないことを。


【エクセレン=ブロウニング:死亡】
【残り53人】


【プログラム開始】


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