108話A「星落ちて石となり」
◆7vhi1CrLM6


 目の前で燃えさかる炎の濃淡は同じようでいて、一時も同じ形を留めない。
 集めてきた枯れ木を真ん中あたりで二つに折り、炎の中に投げ込む。
 焚火を眺めつつ、ぼんやりと物思いにふけっていた。
 思い出すのは、わずか数時間行動を共にし、自分の為に命を落とした青年のこと。

 最初は敵だった。襲いかかったところを気絶させられた。
 そのとき、殺そうと思えば殺せたはずだ。一人しか生き残れないルールだって知ってたはずだ。
 なのに、あいつは私を殺さなかった。
 そして、私をかばって……死んでいった。
 そう考えるのは自分の思い上がりなのかもしれない。実際はかばったのではなく、単に逃げ切れなかったのかもしれない。
 例えそうだとしても……あいつが死ぬことなんてなかったんだ。
 馬鹿だよ、あんた……。会いたい人だっていたはずなのに……。

 彼のことをラキに伝えると決めた。やると決めた。
 それで吹っ切れた。吹っ切れたはずだった――。
 けれども、やることに追われているときはともかく、少し余裕ができると頭はそのことにとらわれる。
 回り巡った思考は消極的になり、ついついそこに落ち込んでいく。
 そしてジョシュアの他にもう一人。自分たちを逃す為に身を残した男――アムロのことも気がかりだった。
 ――みんな、自分勝手だ。
 心底そう思う。
 身を犠牲にして人を庇うのも、庇って死ぬのも、気は楽だ。
 待たされるほうが辛い。残されるほうがしんどい。
 両膝を抱く手に力がこもる。うつむきがちだった顔がさらにうつむき、額がこつんと膝頭に当たった。

「アムロのことを心配しているのなら無用だ。私の知る限り、奴ほど優れたパイロットは他におらんよ。それに――」
 悩みを見透かしたかのような声が飛んできた。わずかに顔をあげて、目の前の男をぼんやりと眺める。
 そこにいるのは一匹の濡れ鼠。
 F-2の補給ポイントが湖の底だったため、強引に潜った名残だった。
 今は近場の岸で乾かしつつ、アムロを二人で待っている。
「それに?」
「それに私も奴も多くの者の犠牲の上に生き過ぎた。こんなところで死ぬなどということは許しては貰えんよ」
 目の前の男はどこか遠い目をして語る。
 多くの者と言ったが本当に心に残っている人はそんなに多くないのかもしれない。でもそれだけに大事な人だったのだろう――なんとなくそんな気がした。
「何より、私との決着をつける前に死ぬなど、この私が許しはせん」
 力強い声。そこに込められているのは一体何なのだろうか――。
「そっか……信頼してるんだ」
 そんな感想が知らずと口から洩れた。
 強い信頼、妄信ではない何かに裏打ちされた信頼。そしてそこにどんな感情が身を潜めているのか――予想もつかない。
 ふと自分はどうなのかと気になる。
 DCに所属していた分だけ人の生き死には並より多く見てきたという気はする。
 それでも外宇宙への夢があった分だけ前向きに生きていたと思う。
 でも、今は何が何でも生き残りたいという目標がない。
 決して死にたいわけではないけど、ここには私なんかより生きたがっている人がいる。
 それでもラキにジョシュアのことを伝えるまでは死ねない、そう思うのは我が侭なんだろうか……。
 今の私をみたら、きっとスレイはいつもの台詞を吐くのだろう、『負け犬』と。
「ジョシュアといったかな」
「えっ?」
「あまり悩むな。恨んでも悔やんでも、死んだ人間は、生き返らん。己が生き残れただけでも良しと思うことだ」
 どこか重い響き。その言葉には人生を生き抜いてきた一人の人間としての真実が込められている。そういう響きだった。
 まぁ、別に復讐を思って考え込んでいたわけではないのだけれど……。

 そんなことを考えていた時、突然の強風に襲われ、火の粉が舞った。煽られた焚火の火が消え、辺りは暗闇に包まれる。
「あらあら、灯りが見えたから、試しにきてみれば……こんなところで呑気な人たちね。いつ、誰が、あなたたちを殺しに来るのか分らないのに」
 頭上から声が降ってくる。向けた視線の先には大型機が静かに鎮座していた。
 月の照り返しを受けて白銀に輝くそれは、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。頭から羽根を生やしているという意匠が、神体を連想させているのかもしれない。
 だがパイロットが放っているのは、頭の上から爪先まで品定めをするかのような視線。嘲り笑うかのような口調。
 あまりにも機体の意匠からかけ離れているため、かえってそれらが際立って感じられる。思わず全身の毛が怖気立った。
「あなたたち、残念だけど……使えそうにないわね」
 逃げてごらんなさいとでも言いたげに機体の足を踏み出し、脅かしてくる。
 思わず後退りしたアイビスとは逆に、シャアが果敢にも一歩を踏み出す。
「アイビス、何故こうまで多くの争いが起こっていると思う」
「えっ?」
「病んでいるのだよ。この世界も、人の心も……。ここは私にまかせて貰おうか」
「うん」

 相手に向かって歩いていく後姿を見つめる。相手の機体の大きさに比べてその背中は、あまりにも小さかった。

「君は我々を使えなさそうだと言ったな。ならば、我々に用はないはず。お引取り願いたいものだな」
「あの化け物が言ったことを忘れたの? 私は生き残りたいのよ」
「あれが約束を守るとも限るまい。他の方法を考えてみても無駄ではないと思うのだが」
「現実的ではないわね。あの化け物を相手にするのより、ここであなた達を殺すほうが現実的だわ」
 圧倒的優位を自覚しているのだろう。その口調には余裕があった。
「なるほど。だが、君は分っているのか? あそこにある私に支給された機体は核ミサイルだ。あれが爆発すれば君も生きては帰れない」
 説得。その次は脅し。実に落ち着いた声で淡々とシャアは述べる。
 相手が沈黙した。表情を伺い見ることはできないが、おそらくは示された機体を確認しているのだろう。
 その隙に気付かれないように、アイビスはゆっくりと湖ににじり寄る。
「確かに核ね。でも、あなたのほうこそわかっているのかしら? 今、あなたを踏みつぶしてしまえば爆発なんてしないのよ」
 機体の手に光が灯し、笑いをこぼしながら彼女は言う。いまだに彼女の優位性は揺るがない。
「残念。寿命を縮めただけになっちゃったわね」
 その声にシャアはわずかに肩を竦ませて見せた。そして「君は何もわかってはいない」と言葉を投げかける。
「何故、私が外部シートを申し訳程度にあつらえただけのミサイルを操ることができると思う? 全てはこのパイロットスーツとメットから動かすことができるからだ。
 つまり、私は念じるだけで君を巻きこみ自爆することができるということなのだよ」
 相手の嘲笑が消えた。
 その様子を満足げに眺め、余裕を持った態度で男は言葉を繋げる。
「そこで一つ提案があるのだが、このまま我々を見逃してはもらえないか?」

 ――上手い。
 その様子を傍から見ているアイビスは、正直にそう思った。
 現状は互いの喉元へナイフを突きつけ合っている状態によく似ている。
 ただし、本物らしく見せてはいるがシャアのナイフはただの紙切れ、まがい物である。
 だからこそ核という無視できない手札を明かすことによって相手の意識をそこに縛りつけた。
 そうすることによって意識は手元の本物ナイフから離れ、相手の偽のナイフばかり気にするようになる。
 やがて重い口を開けた彼女は憎々しげに言葉を漏らす。
「そんな虫のいい話が通ると本気で思っているの?」
 虚勢と動揺の入り混じったような声。もう一押しだ。そう思った。
「そうか。ならば仕方がない――


                   ――私だけでも見逃してくれ」
「本気?」
「今ならこの樹脂マスク三点セットも付いてきて、よりお買い得だ。どうだ? 悪い取引ではないと思うが」
「それは魅力的ね」
「ボイスチェジャー機能付きの逸品だ。他人に化けることが出来る」
「こずるい人」
 混乱するアイビスを傍目に、交渉は進んでいく。
 あまりの出来事に、思考がごっそりと停止してしまったかのような感じだ。
「チャンスは最大限に活かす。それが私の主義でな」
「いいわ。あなたは見逃してあげる。でも、そっち娘は別よ」
 どこか安心したような声だったが、その内容は洒落になってない。
「いいだろう。感謝する」
「えっ? えっ?」
 口を挟む間もなく交渉は終了した。
 視界の中を、コックピットに向かって放り投げられた樹脂マスクが横切っていく。
「ちょっと、一体どういう」
「聞いての通りだ。後は頑張りたまえ」
 ようやく抗議するも、あっさりと突き放されて終わる。
 呆然とするアイビスの目の前を、男はゆったりと通り過ぎ、核ミサイルに乗り込む。
「一つ、言い忘れていた。この核は衝撃によって誘爆もおこる。今後も私への手出しはさけることだな」
 そして、一つ念を押すとあっさりと飛び去って行ってしまった。
 離れ行く噴射口の明かりが徐々に小さくなる。その様をなすすべもなくただ見送っていた。
 胸中に渦巻くのは『売られた』という思いだけ。
「残念。見捨てられたようね」
「うるさい! 黙れ!!」
 ジワリジワリと怒りが込み上げてきてつっけんどんに返す。なんか気持ちがささくれ立っていた。
 難題を押し付け、相手が渋ったところで一歩引いてみせる。交渉としては理に適ったやり取りだったのだが、切られた身としては納得がいくはずもない。
「やつあたり? ヒスおこしたって知らないわよ」
「黙れって言ってんのよ! おばさん!!」
「あたしはまだ17よ」
 そうして暫くぎゃいぎゃいと始まる口喧嘩。というより、一方的にアイビスが噛み付き、カテジナがそれをあしらっているだけなのだが。
 しかし、罵詈雑言を掴みかからんばかりの勢いで浴びせかけられたら、さすがに誰でも嫌気が指す。むしろよく耐えたと褒め称えたい。
「もういいわ。何であたしがあなたのヒスに付き合わなければならないの。今すぐ黙らせてあげるわ」
「やれるものならやってみろ! ブレン!!」
「……!!」
 月を映し出した湖面から、一筋の光が飛び出してくる。不意を付いた攻撃にカテジナは思わず跳びさがる。
 その様子を確認し、アイビスは湖に向って一目散に駆けた。
 補給中のブレンは湖底にいた。それがいい方向に作用し、隠れているという形になっていたのだ。
 牽制を行いつつ浮上してきたブレンが見える。躊躇なくコックピットに跳び移る。


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