115話A「鍵を握る者 噛合わない歯車」
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「また揺れだしたニャ」
「マ、マサキ、早く何とかするニャ」

 機体が猛烈に震え始め、黒と白、二匹の猫が悲鳴をあげて頭を抑えた。
 それに言い返しつつマサキは手元の操縦に集中する。

「少しは黙ってろ!」

 『絶対的な火力と強固な装甲による正面突破』をコンセプトに作り上げられた試作機アルトアイゼン。
 その極端すぎる設計思想は、ベースとなったゲシュペインストの機体バランスを著しく損ねている。特殊な能力は必要ないとはいえその扱いは難しい。
 それに加えて各部に受けた損傷が、操縦性の悪さに拍車をかける結果となっていた。
 今現在のアルトの乗り心地は、例えるなら急発進と急ブレーキしかできない車が未舗装の岩山を走っているようなものである。
 ようするに最悪ということだ――機動兵器に乗り心地を求めるのもどうかと思うが。

「まったく……扱い辛いったらありゃしねぇぜ……」
「私が代わってあげましょうか?」
「結構だ。まだ諦めてなかったのか」
「ソシエ、代わるニャ。今すぐ代わるんだニャ」
「なっ! シロ、お前裏切る気か!!」

 ふと耳にカチャリと陶器が立てる音を聞いた気がした。

「お前、何か飲んでるのか?」
「コーヒーよ。だって、暇なんですもの」



 そんなこんなでマサキとソシエが機体争奪戦を繰り広げている一方で、キラは自身に違和感を覚えていた。
 腹の中に何か重い石のようなものを抱え込んでいる気がする。
 ホンの少し前まではなかったはずの感覚だった。
 なんだろうと思って、その正体を手探りで探してみる。程なくしてその正体に気づいた。
 ――ああ、これは重圧だ。
 アークエンジェルに乗っていたころ、仲間を、友達を守ろうとして覆いかぶさっていたものにとてもよく似ている。
 でも、これは仲間とか、友達とか、そんなものじゃない。もっと高圧的で傲慢な物体。
 今度、守らなければならないものは、反応弾という名の核だった。
 それをキラが受け持つことになったのは、必然と言えば必然であったのかもしれない。
 これまでのように行き当たりばったりで行動しているのではない。今は無敵戦艦ダイを敵と見定め、距離を詰めている。
 交戦は当然のように選択肢の中央に座り込んでいるのだ。
 そんな中、いつまでも収納する場所もないガンダムに抱えさせておくには、あまりに非常識な代物だった。
 だから武蔵の申し出を納得し、キラは二つ返事で受け入れた――受け入れたはずだったのだが、意識のどこかに嫌なものを抱え込んでしまったという重石が圧し掛かっている。
 理屈じゃない。他にいい方法がなかったから自分が抱え込んだだけで、出来ることならば投げ捨ててしまいたかった。

「敵影二。前方に四足歩行型大型戦艦と人型機動兵器」

 トモロの声にハッとして、思考の波から意識を戻す。モニターに目指す敵機の存在を確認した。
 鎌首をもたげた二頭の巨大なトカゲ、まず間違いはない。

「トモロ、皆に伝達を。あと同時に武蔵さんとソシエに確認を取って」

 今は悩んでいる暇はない――そう思い、悩みは一先ず押し込めることに決めた。



 周囲一面は焼け野原だった。
 大きなビルも小さなビルも今はただの瓦礫となりはて、無残な姿をさらしている。
 視線を上げてみる。
 モニターに、二、三十キロ程も離れた場所にある岩山が映った。
 本来ならば宵闇に遮られて見えないはずのそれも、機械的に処理され補正された視界には関係がない。
 だから、岩山と重なるように移動していたそれらに、ロジャーはすぐに気が付いた。
 ――大きい。
 抱いた感想はそれだった。
 目を惹かれたのは一隻の戦艦。周囲に展開している三機が小人のようにしか見えない。
 そのあまりの大きさに気を呑まれかけて、ふと隣に佇む戦艦を思い出して苦笑いを浮かべた。
 たしかに大きい――が、単純に大きさだけで言えばダイのほうがはるかに大きい。
 こうやって見上げてみるとこの戦艦の巨大さは心強かった。
 視線を遠方の戦艦に戻す。真っ直ぐにこちらへ向かっているのか、その影は先ほどよりも幾分か大きくなっていた。
 ――女性の眠りを妨げるのは趣味ではないのだが、仕方があるまい。

「ユリカ君、来客だ。そろそろ起きたまえ」

 通信機越しに呼びかける。スゥスゥと気持ち良さそうな寝息が帰ってきた。
 思わず苦笑いを漏らし、ややあって途方に暮れる。
 ――肩でも揺さぶって起こしたいところだが、通信機越しではそうもいくまい。
 ふと、あのアンドロイドはどうやって自分を起こしていたのかを思い出し、含み笑いをする。
 抑えた笑い声が漏れ、また途方に暮れた。
 さすがに、今からここでけたたましくピアノが弾けるはずもない。ピアノもない。
 なのにそんなことを考えている自分が可笑しかった。
 ――さて、どうしたものか……。
 そうして、あれこれ思案を張り巡らせているうちに、モニター内の影はむくりと起き上がり、一つ大きく伸びをする。

「ようやくのお目覚めかな、ユリカ嬢」
「ロジャーさん、おはようございます」

 手早く髪を整えながら屈託のない笑顔で彼女は挨拶をしてくる。対照的に苦笑いが浮かんだ。

「寝起きのところ悪いが、お客さんだ。私はこれから交渉に向かう。
 君には一先ず下がっていてもらおうかと思うだが、いかがかな?」
「じゃあ、私はお留守番ですか……分かりました。では、交渉は専門家の方にお任せします。失敗した場合はどうします?」
「ネゴシエイションに値しない相手には、鉄の拳をお見舞いするのも私の主義でね」
「じゃあ、交渉に失敗したらこちらの指定するポイントまで敵機を引き付けてください」
「構わないが、どうするつもりだ?」
「私に任せてください。考えがあります」

 やけに自信満々に彼女は答える。
 その額に赤く浮かんだ袖の痕を見て、ロジャーはどこまで期待すればいいのやらと、何度目かも分からない苦笑いを浮かべた。



 ダイから離れ、一人凰牙を走らせつつロジャー=スミスは自問する。
 相手は三機と一隻、少なく見積もっても四人の参加者。
 対してこちらは二機と一隻……いや、一機出払っているので一機一隻の二人である。
 この状況でいかにして対等な立場で交渉を始めるか、それを一瞬だけ考え、一笑にふした。
 ――馬鹿馬鹿しい。
 対等な立場と言えば聞こえはいいが、今頭を過ぎったのは互いが機体に乗った状態。
 銃をその手にいつでも引き金を引けるという状況。
 そこにあるのは距離だ。銃を突きつけたままの言葉を誰が信じるものか。
 ロジャー=スミス、お前に誇りを取り戻させた少女は一体何をした?
 彼女はただ見せつけたのだ。
 信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても己を貫く、そういう精神の高貴さをだ。
 ――ならば彼女の代弁者として、私も見せねばなるまい。
 凰牙を停止させ、ギアコマンダーを引き抜く。
 そして、コックピットを開け放つと一人夜の草原へと足を踏み出した。
 ひやりとした夜気が肌に気持ちいい。
 視界に映るのは、青白い月夜とそれに照らし出された草原。
 その中にぽつんと一人放り出されて、我ながらちっぽけな存在だと自嘲する。
 同時に、悪くない――そう思った。
 振り向き凰牙を一度見上げ、また正面に向き直る。暗がりに慣れ始めた目が白亜の戦艦を捉えた。

「宙に浮かぶ方舟とはまたご大層なものだな」

 一度足元を確かめるように一歩を踏み出し、しっかりとした感触を確かめる。
 そしてそのまま二歩目を踏み出し彼は歩き始めた。真っ直ぐに前だけを見つめ、怖気づくことなく。
 まずは距離のない対等の席に着かせる――そのことだけを考えて――



 狂人は一人身を潜め、笑っていた。
 見つけた獲物、それに近づいてくる獲物。
 そう彼にとって全ては獲物でしかない。何を考え、何を思い動いているのか、それらは一切関係ない。

「ひい、ふう、みい……合わせて六匹か。クク……大漁だねぇ」

 まるで品定めをするかのように一人一人に視線を合わせ、舌なめずりしながら数え挙げていく。
 これは面白いことになる――そう彼の嗅覚が告げていた。
 そういった彼の野生の勘は、これまでの人生で当たることも多かったが、外れることもままあった。
 だが、こときな臭い臭いに関しては外したことがない。だから彼は動き出す。
 その結果、六匹全てが敵に回るのか、獲物同士での潰しあいが起こるのか、それはどちらでもいい。
 ブラインドに使っていた瓦礫を抜け、視界が開ける。
 目の前の三機が三機ともネゴシエイターに気を取られ、こちらに気づく様子はなかった。
 ――あのトカゲだけは奴の為に取っておくとして、後は……戴いちまうとするか。
 歪んだ笑みが口元に浮かぶ。

「よぉ、楽しそうなことやってるじゃねぇか」

 一番の近場にいた獲物を選び、ホンの戯れ程度に声をかけて突撃した。
 他の獲物がこちらに気づく。叫び声があがる。獲物がこちらを振り向く。
 振り向いた獲物の間合いにガウルンは紫の光跡を残しながら躊躇なく踏み込んだ。

「遅せぇんだよ、バーカ」



 何を考えたのか機体から降りてきた黒尽くめの男を見て、まずいって思った。
 え? なんでかって? 
 知った顔だったから。アタシだけじゃなくてみんなが知ってる顔。
 目の前の男が説明のときに、一歩も引かない毅然とした態度を貫き通したってことは、誰だって覚えている。
 だからむやみに手が出せない。まして丸腰だったらなおのこと。
 その証拠に、後方のキラはわかんないけど、一緒に先行してきた武蔵とマサキはどうすればいいのか分からずに迷っている風だった。
 そうこうしている間に事態はどんどん悪くなってった。こっちに向かって堂々と歩いてきた黒尽くめの男が言ったんだ。

「私の名はロジャー=スミス。ネゴシエイターを生業として者だ。
 君たちの代表者と話がしたい。誰か一人機体から降りてきてはくれないか?」

 アタシはやられたって思ったよ。
 だって、この男は話し合いに着たんだ。そりゃあ盾が増えるのはいいことだけど、それにも限度ってものがある。
 最後にはみんな殺さなきゃいけないんだ。アタシ一人で五人も六人も殺せるなんて思っちゃいない。
 理想としては、盾は多すぎず少なすぎず。最終的にはみんなボロボロ、アタシは元気ってのがベスト。
 だから、やたらと仲間が増えすぎるのも考え物だったんだ。

「テニア、避けろ!!」
「危ねぇ!!」

 そのとき、武蔵とマサキが突然叫んだんだ。でも考えることに集中していて、アタシの反応は遅れた。
 顔を上げたそのときには、もう既にその紫の光は迫っていて、それが視界いっぱいに広がったかと思うと物凄い揺れがアタシを襲ってきた。

「遅せぇんだよ、バーカ」

 でも、揺れは一瞬でおさまった。
 恐る恐る目をあけてみると、そこには頭部を潰され黒煙を上げるガンダムとそれによく似た黒い奴が立っていたんだ。

「罠だ!」

 誰かが短く鋭く叫ぶのが聞こえた。
 そして、黒い奴が動かなくなった武蔵のガンダムを持ち上げて投げ飛ばすのが見えたんだ。
 投げ飛ばされたガンダムはまるで玩具の人形の様に飛んでいって、市街地のビルを巻き込んだ。
 アタシには何が何だか分からなかった。
 でもアタシはそのとき――この混乱に乗ることに決めたんだ。



 ――この状況はなんだ?
 ロジャー=スミスは茫然とその場に立ち尽くしていた。
 一瞬前まで彼はその場で交渉をしており、それは白い機体から『少し話し合いたいから待ってくれ』という返答を貰うところまで漕ぎ着けていた。
 少なくともこちらの話に耳貸さない輩ではない、と一息ついたところだった。
 突然、黒い機体がその場に割り込んで来て、瞬く間にその場は戦場と化した。

「なんなのだ、これは――」

 声に出して呟く。誰かが罠だと叫び、勾玉を背負った機体の銃口がこちらに向けられる。
 それを察知したのかダイから砲撃が飛び、爆音が背後で炸裂する。

「一体、貴様はなんだというのだ!!」

 そんな様子に構うことなく、予期せぬ乱入者を睨み付け、衝動に任せるまま叫ぶ。
 そして、固く握りしめたギアコマンダー――それを天に突き上げ、彼は呼んだ。

「騎士凰牙、スクランブルッ!!」
 
 ギアコマンダーに赤い光が灯る。それに呼応するように凰牙が動き出す。
 そして、彼は乗り込み、いつもの台詞を有らん限りの声で叫んだ。

「騎士凰牙! ショウタァーイム!!」



 戦場が混乱を始めたころ、後方ではJアークもまた動き始めていた。
 交渉中に黒い機体が乱入し、武蔵のガンダムが損傷。マサキがこれとの交戦。
 誰かが罠だと叫び、テニアがダイの砲撃を受け、交渉を持ちかけてきた機体もまた動き出した。
 それがキラとトモロが確認した戦況の全てであった。

「トモロ、敵戦艦との通信は」
「圏外だ」
「仕方がない。前進して無敵戦艦ダイを叩こう」
「いいのか?」
「いいんだ。あれを放っておくわけにはいかない。それに――」

 戦場に砲撃を始めた無敵戦艦ダイをとめねば被害は拡大していく。
 罠だと言うのが本当かどうかはわからない。だが、ソシエが砲撃を受けたという現実とムサシの話がある。
 そして、今現実に仲間がその砲撃に晒されている。
 白か黒かの二択であれば、キラから見た彼らは黒に近かった。
 あの化け物に対する反抗を企てている以上、自分たちがここで倒れるわけにはいかない――そんな思いもあった。
 だから現状をズルズルと引き摺り、悪戯に被害が拡大する前に動き出す必要がある。

「――今ここで僕たちが倒れるわけにはいかない」



 元々、武蔵・マサキ・ソシエの三人には無敵戦艦ダイに対する不信感が充満していた。
 だからだろうか。ガウルンの奇襲から咄嗟にテニアを庇った武蔵は、気づくと『罠だ!』と叫んでいた。
 頭部を破壊され、メインカメラを失ったガンダムの中で、武蔵はそれをわずかばかり後悔している。
 幾らなんでも気が逸りすぎだったという思いがある。
 だが、それを伝えるのもままならない状況におかれていた。
 メインカメラを潰されたあとに、どこかに投げ飛ばされた。それは分かっている。
 そして、そのときに地面に打ちつけられた衝撃でガンダムの機能が停止した。同時に通信機能も。
 現在は、真っ暗なコックピットの中で首輪から得た知識だけを頼りに復旧作業中である。
 手元さえ見えない暗闇。慣れない機体。向かない作業。そして、うかうかしてられない状況。
 当然苛立ちが募る。

「あっ! 間違えちまった……」

 そして、募った苛立ちは、ちょっとしたことで爆発する。

「だいたいおいらにこんな作業はむかねぇんだ。機械なんてものは叩けば治ると昔から相場が決まってらぁ」

 そう言って、コンソールに当り散らした。鈍い音が狭いコックピットに響き、腕が痛んだ。
 同時に低い唸り声のような駆動音をたててシステムが復旧する。サブカメラに切り替えたモニターに爆走してくる大きな足が映った。

「はい?」

 目を擦ってもう一回、モニターを眺める。
 一心不乱に邁進してくる大きな足が映った。
 それが頭上に高々と振り上げられ、大きな足の裏がしっかりと見える。
 叫び、動かし、咄嗟に脇に飛んでそれを避ける。跳ね上げられた瓦礫が装甲の表面で乾いた音を立てた。
 目と鼻の先を巨大な前足が、後ろ足が、そして長い尻尾が通過していく。
 それらが完全に過ぎ去ったのを確認して、頬を伝ってきた冷や汗を手の甲で拭い、ホッと一息をついた。
 状況を確認しようとレーダーに目を落とす。
 次の瞬間、突然の地震。足元が崩れ落ちる。背を地下道に叩きつけられて、意識が明滅する。
 そして、見上げた空からは老朽化でも進んでいたのか大量の瓦礫が降り注ぎ、ガンダムは地に埋もれた。


B-Part