130話C「Shape of my heart ―人が命懸けるモノ―」
◆7vhi1CrLM6



 北西から南東に向けて一直線に粉塵が立ち上った。それは間に乱立し散在する廃墟の山を一切問題にしていない。
 粉塵の中に双眸が輝くのが確認できた。次はお前の番だとそれが何よりも雄弁に物語っている。思わず唾を飲み込み、薄ら笑いを浮かべた。
 強い。半端な敵ではない。それが素直な感想だった。小回りの効きが普通じゃないのだ。
 あの瞬間、アイビスの仕掛けた攻撃は受け流され、その場で半回転したギンガナムは背に一撃を加えた。その上で間接をロックし、加速して地面への衝突直前に叩きつけるという荒業をやってのけていた。
 結果、敵機は装甲表面に長さ2m程度の切り傷を残して健在。アイビスは恐らく沈黙だろう。
 アイビスの加えた攻撃は、タイミング・速度共に悪くなかった。それを物ともしない強さがある。自分の接近戦ではまず話にならないと言っていい。
 射撃戦を展開するにしても弾薬は尽きかけている。一戦はとても持たない。だがそれでもやりようはある。それにはまず距離を取ることだ。
 そう思い浮かべた瞬間、巨大な圧力がクルツを包み込んだ。距離を詰められた。読まれている。既に後退は間に合わない。
 前。咄嗟に思い浮かべたのはそれだった。活路はそこにしかない。雄叫びをあげ、馳せ違う。右脚部で鈍い音が鳴った。構うことなくフルスロットルで前進を続け距離を取る。
 だが速度が上がらない。ラーズアングリフは空を飛べない。鈍重なその体は格闘にも向かない。だから、脚部の損傷は致命的だ。
 追ってくる。振り切れない。駆けながら、窮地を脱するべく頭をめぐらせる。南下させられているのだ。いずれ禁止エリアに突き当たる。
 刺し違える。咄嗟にそう決めていた。このままでは振り切れない。追いつかれるなり、禁止エリアに追いやられるなりして、殺される。ならば強引に反転し立ち向かう。
 刺し違える覚悟で相打つ。それしか手がなかった。そして、それが一番生存率が高い。一つの廃墟が眼前に迫った。決死の覚悟で機首を巡らせる。
 装甲の厚いラーズアングリフだ。一撃で落とされることはない。まずは相打つ。その上で何か見えてくるものがあるはずだ。何も見えなければ死ぬ。それだけだ。そう思った。
 しかし、反転してクルツは唖然とした。距離がない。構える時間すらない。眼前には既にギンガナムが迫っていた。想像以上に脚部の損傷は速力を削いでいたのだ。
 重い音。衝撃。重厚なラーズアングリフが背にした廃墟に埋没する。肩から腕にかけて熱いものが走った。やけに鮮明な視界の中、ゆっくりと拳が近づいてくる。
 甘かった。敵の狙いはラーズアングリフのキャノピー。重厚な装甲など関係ない。足を止めたその後は、あからさまに弱点なそこを狙うのは当然といえた。
 死とはいつもすれすれの所で生きてきた。戦と死は古い友人のような気もする。それがついにやってきた。お前が俺の死か。そう思い、ギンガナムの機体を睨みつけた。
 その機体が不意にぶれ、横っ飛びに跳んだ。

「なっ!」

 咄嗟のことに頭がついて行かない。その眼前を七色の光が突き抜ける。そして、通信が一つ。

「クルツ、無事か?」

 ほんの半日前まで耳にしていた声がやけに懐かしく感じる。思わず笑みがこぼれた。

「へっ! 何処に行ってやがった。しかもこのタイミングでご帰還たぁ、美味しすぎじゃねぇのかぁ? おいっ!」

 ◇

 右腕が通信を繋げようと動き、モニターに一人の男の顔が映し出される。
 肩までかかる青い長髪がワカメのようだと一瞬思い、一度会った男だということが記憶の引き出しから出てくる。
 その男とモニター越しに目が合い。男の顔がにぃっと笑うのが見えた。瞬間、全身の血が身の内を駆け巡る感覚に襲われる。視線を交わしただけの通信が途切れる。
 ラキはそれ以上を必要としなかった。目が合った瞬間に理解し、訳もなく確信したのだ。
 待ちきれずに逸った気持ちからか、宙に浮いている錯覚を覚える。
 今、私はどんな顔をしているだろうか?
 きっと笑っている。
 何をしている?
 早く来い。
 お前も気づいたのだろう?
 私がお前の敵であると。
 理由も理屈もなくただそう思い、確信している。
 告げているのは負の感情を集めるために作られたメリオルエッセとしての性か。それともベースとなった人間の持つ原初の本能か。
 白い隻腕の機体が各部を展開させ、一歩を踏み出す。まるで鏡映しのようにネリー・ブレンも一歩を踏み出す。そのまま二歩三歩と間合いが縮まり、走り、駆け、疾走する。
 不意に全身が熱くなり、熱いものが込み上げて来るのを感じた。その熱いものが胸にぶち当たった瞬間、二つの機体は地を蹴り、激突した。

 ◆

「……嫌だ…嫌だ」

 立ち並ぶ廃墟をなぎ倒し、抉れた大地が一筋の巨大な爪痕になっていた。
 その爪の先で地に伏すヒメ・ブレン。その中でアイビスはうわ言を繰り返し呟いている。
 うつむき、小さく丸まり、膝を抱え、体は芯から奮え、瞳孔は開き、焦点の合わぬ瞳は揺れ、歯の根も噛み合わず、心も折れた。
 怯えが、慄きが、恐怖が全身を支配している。

「アイビス、無事か?」

 ――通信?
 僅かに顔を上げ、コックピットの内壁にぼんやりと開かれた通信ウインドウに目を向ける。
 端整な顔立ちの青年がそこにはいた。

「ク……ルツ?」
「動けるな? やり返すぞ」
「無理だよ!」

 息巻くクルツの声に咄嗟に反対の言葉が出る。本心だった。
 自身の無力を思い知らされ心砕けた少女を目の前にして、驚きの表情をクルツが浮かべる。

「何……言ってんだ?」
「……無理だよ。ジョシュアの敵討ちなんて……私には無理だったんだ。
 あんな奴に……勝てるわけがない。ねぇ、逃げよう。逃げようよ。ここから逃げちゃおう」
「お前、本気で言っているのか?」
「本気……だよ。だって仕方ないよ。勝てないんだ! 怖いんだ!! どうしようもないんだからっ!!!」

 ギンガナムを思い浮かべると何をするのよりも恐怖が先に立つ。涙がこぼれ、体が震えてどうしようもなかった。

「そうか……悪かった。悪かったよ。すっかり忘れてた。誰も彼もが戦闘に慣れてるわけじゃねぇんだよな。
 どいつもこいつも機動兵器の扱いに長けてやがるから、ついあいつらといる気になっちまってた。……俺は残るぜ」
「無茶だよ。あんたもうほとんど弾ないんでしょ……殺されちゃうよ」
「あぁ、その通りだ。だからアイビス、俺は無理強いはしないぜ。でもよ。ここで逃げちまってもいいのか?
 そりゃ俺だって死ぬのは怖いさ。逃げ出したくなることもある。だけどよ……命を懸けても絶対に譲れないことって……あると思うんだ。
 これさえやり遂げれば一生胸張って生きていけられる。そういうときってあるだろう? だから俺は諦めない。だから俺は戦う」

 思わず見上げた瞳に真っ直ぐな目をしたクルツの顔が飛び込んできた。その顔が一度にっと笑い、すぐに真面目な表情を作る。

「柄にもねぇことを言っちまったな。まぁいい。後は俺一人でやってみる。助けに入ってくれたラキは見捨てられねぇ。例え勝てなくても一泡吹かせてやるさ。
 お前は逃げろ。逃げてそのアムロとか言う奴に悪かったって代わりに謝っといてくれ。じゃあな。お互い生きてたらまた会おう!!」
「あっ! ま……」

 返事を返すよりも早く通信は途切れた。ノイズを伝えるのみになった通信機を前に呆けたように立ち尽くす。膝を抱え、丸く蹲り呟く。

「ずるい……」

 心の中では逃げ出したい思いと踏みとどまりたい思いが葛藤を続けていた。
 こんな自分でもまだ何かやれることがあると思う一方で、行ったってどうせ何も出来やしないといった思いがある。

「ラキが……ラキがいるんだよね」

 胸を張って生きていけるのかは分からない。でも、今逃げ出したら一生悔いて生きていくのだろうという予感はあった。
 少なくともここで逃げてしまえば二度とジョシュアに顔向けは出来ないだろう。シャアにもだ。

(でも……でも……ブレン、私はどうしたらいい?)

 お前は行かないのか、と耳元がざわめく。引け目を、負い目を感じながら生きていくのなんて真っ平ごめんだ、と何かが囁く。
 それでも足は前に出ない。どうしようもなく怖いのだ。もう一度ギンガナムとの交戦を考えただけで膝が笑い、腰が砕け、足が退ける。
 行きたい思いと逃げたい思いが交錯し、アイビスはその場から動くことは出来なかった。

 ◆

 蒼と白の巨人が踊っている。
 突き出した斬撃が防ぎ、捌かれ、かわされる。
 迫る拳を受け止め、受け流し、やり過ごす。
 目まぐるしく入れ替わる攻防は一つの流れとなり、流れは次の流れへと滑らかに変化していく。
 そんな攻防の中、奇妙な心地よさが全身を包んでいた。
 ブレンバーをなんでもなくかわしたシャイニングガンダムの双眸が閃く。
 さあ、来い。
 お前の番だ。
 重心の動きが見える。
 体重が左足に移り、右足が僅かに浮く。
 その動作をフェイントに、突然撃ち出される頭部のバルカン。
 それをすり抜ける様にかわす。
 音が消え。
 色が消え。
 五感が遠くなる。
 やがて体も消えた。
 何もない空間に残された意識だけが。
 飛び。
 交わり。
 火花を散らす。
 エッジを立てる。
 刃先が一瞬輝く。
 踏み込み、剣を振るう。
 手ごたえはない。
 そのことに心が湧き踊る。
 馳せ違い、反転。
 正対し、トリガーを引く。
 極小距離からの射撃。
 かわせ。
 生きていろ。
 もう一度、刃を交えよう。
 飛び退く。
 距離を取る。
 体中の体重を足に乗せ。
 もう一度、踏み込む。
 相手も重心を足に。
 そして、バネの様に前へ。
 いいぞ、速い。
 さあ、もう一度。
 交錯する意識と意識。
 剣と拳が擦れ違う。
 掠ったか。
 凄い。
 いい動きだ。
 楽しい。
 しかし、何だ?
 少し遅れた。
 何故だ?
 遅い。
 重い。
 どうした?
 どういうことだ?
 この不自由さは。
 このズレは。
 それに、声が。
 ――ラキ。
 男の声が。
 ――ラキ。
 聞きなれた声が間近に。
 ――ラキ、そっちじゃない。
 誰……ジョシュア?
 不意に長く暗いトンネルを抜けたかのような色鮮やかな景色が周囲を埋め尽くした。
 それに気を取られる間もなく、眼前に迫った豪腕の対応に追われて、咄嗟に身をよじる。
 装甲の表面で火花が散ったかと思ったときにはもう蹴飛ばされて、1km先の地面を転がっていた。
 何という素早さだ。
 こんな相手と今まで五分に渡り合っていたというのが信じられなかった。
 口の中を切ったのか血の味に気づき、五感が体に戻ってきたということを自覚する。
 戻ってこられたのはあの空間に介在していた二つの意思のおかげ。
 胸をギュッと掴む。消えたと思っていたジョシュアの心ともう一つ。
 ただの機械ではなく生きている機械、感じたズレの正体――ネリー・ブレンの意思。

(ブレン、ありがとう)
(……)

 視線の先では、急に不調を起こしたこちらをいぶかしみ、待っている相手の姿があった。
 その姿は語っている。『もっと戦おう』『もっと殺しあおう』と。

「ん?」
(……)
「大丈夫。もうそっちには引き込まれない」

 ――そう。ジョシュアの心の頑張りを決して無駄にはしない。



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