130話H「Shape of my heart ―人が命懸けるモノ―」
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ざわり
空気が揺れた。クルツの巻き起こした爆発の余波による電波傷害は、未だ治まる様子を見せていない。だからレーダーに反応は無かった。
しかし、肌が不穏なモノを感じ取ったのだ。それは皮膚を焦がすように熱い闘争本能の塊。濃厚にして濃密。全てを焼き尽くさずにはおれない地獄の業火。
そういったモノが、廃墟の一部を荒野へと変えた爆発の中心地点のほうから迫って来る。間違いない。奴はまだ生きている。確信に近い思いでラキはそれを感じ取った。
顔が難しい表情を作り、思い悩む。悩み悩んだ後で、ラキは諦めたようにポツリと呟いた。
「……どちらにしてもこれしかないか。すまないな、クルツ」
クルツと自分の役回りが逆ならば、こんなことにはならなかった。クルツが命を落とすことなど無かった。
そして、今自分はクルツが残してくれた命を散らそうとしている。今度は自分の番。そう思い定めている。そういう意味での二重の謝罪だった。
通信をヒメ・ブレンへと繋げる。
「アイビス、さっきも頼んだようにこいつを頼む」
「えっ?」
モニターにアイビスの顔が映し出される。驚いた目が大きく見開かれるのが見えた。
恐らく死んでいったヒメ・ブレンの体をその内側までも綺麗に拭っていたのだろう。せめて綺麗な姿で弔ってやろう、そういう想いが、手に握り締められた汚れた布切れに込められているように思えた。
その光景にふっと頬が優しく緩むのを感じる。こんな奴だからだ。こんな奴だからこそ、ジョシュアも守って死んでいったのだろう。そういう気がした。
「ギンガナムがそこまで迫っている。私はこれからあいつを止めに行く。心配するな。お前だけは何があっても絶対に守るから」
「待って! 私も行く。ラキ、あんただけに戦わせるなんて出来ない」
懸命な目と声が迫って来る。一心に言い募ってくるその必死さに思わず押し切られそうになりながら、しかしラキはゆっくりと諭すようにアイビスの言葉を退けた。
その語調には、子供に言い聞かせる母親の温もりがどこか染み出ている。
「それは出来ない。今のお前では足手まといなんだ。分かるだろう?」
「でもそれじゃあ、あんたが……あんたも……」
「気にするな。メリオルエッセである私には似合いの最後だ」
アイビスが俯いた。分かっているのだ。自分が何の役にも立たないのだと。送り出せばもう帰って来ないのだと。
肩が震えている。泣いているのか?
そう思ってもどう声を掛けて良いのか分からず、途方に暮れながらも、何故かこのときラキはジュシュアに向けるのとはまた違った愛おしさが湧き出てくるのを感じていた。
生きた時間で言ってしまえば、ラキはアイビスの十分の一も生きていない。しかし、それは母親が愛娘に向ける愛情のようなものだったのかもしれない。
やがて袖口で目元を拭ったアイビスの顔が上がり、無理に貼り付けた笑顔を浮かべる。今にも崩れ去りそうな笑顔。しかし潤んだ眼差しは真摯に見つめてきていた。
「ラキ、あんたは……あんたはもう立派な人間だよ」
そうか、泣いていたんじゃない……この娘は考えていたのだ。もう止められないと思い、最後に何を伝えられるのか、その言葉を探していたのだ。
何だろう……胸が温かい。なんとなく分かった……これは一番私が欲しかった言葉なんだろう。
ふっと目頭が弛む。笑顔で返そうとして、涙が溢れてくるのを抑えることが出来ない。
「そうか……私は人になれたのか……」
ほぅっと溜息を吐くようにして言葉が漏れる。大事に大事に言葉を口の中で反芻し咀嚼する。あたたかい。胸に灯ったぬくもりが気持ちいい。
何よりの餞だ……私には過ぎた餞別だ。思えば誰かにそう言ってもらえるのを私は待っていたのかもしれない。ありがたい。
でも、だからだ。こんなことを言ってくれる人間だからこそ守らなきゃいけないんだ。
「アイビス、ありがとう。泣くな。胸を張れ。お前は精一杯頑張っている。
……会えてうれしかった。がんばれ」
溢れた涙が零れ落ちるのを頬に感じた。その涙の一粒でさえも今は温かい。
通信をそっと閉じる。暫くは体が震えて動くことが出来なかった。いや、胸中に湧き出てきたぬくもりを噛み締めていたかったのかもしれない。
ぐいっと潤んだ目を拭い、鼻を噛む。大きく長い溜息を一つ。
ちらりと横目で頭部を砕かれたヒメ・ブレンを確認する。その右手にはしっかりとソードエクステンションが握られていた。最後まで力強く戦った証だった。
これで憂いはもう何もない。後はどれだけ完全な状態でネリー・ブレンをアイビスに明け渡せるかだ。
キッと目元に力を込め、前方を睨みつけたラキは、いつもと同じ声、同じ態度でブレンに最後の戦いを促した。
「さぁ! 行こう、ブレン!!」
◇
D-3地区に広がる広大な廃墟。その一角を円形に抉り飛ばし、出現した小さな荒野の尽きるところ。
徐々に白んでいく空の下、何もない荒野と瓦礫の町の狭間でただ二つの機動兵器が全てに取り残されたようにぽつんと対峙していた。
装甲のいたるところに傷を拵え、金属特有の光沢を失っている蒼い機体ネリー・ブレン。
表面装甲の六割が膨大な熱量によって融解し、氷柱のように垂れ下がった状態で凝固しているシャイニングガンダム。
二つの機体はまさに満身創痍。だが、二機は戦う力も気概も失わず、かといって不用意には動くことも出来ずにただ睨み合いを続けていた。
全身が、汗にまみれていた。ギンガムの放つ圧力は並大抵のものではない。それを押し返し睨み合う。ただそれだけで疲労は蓄積されていく。
(ブレン、分かっているな?)
(……)
(すまないな。嫌な思いをさせる)
これまでの交戦で互いが互いの手を読みつくしている。ゆえに迂闊な初動は即座に死に繋がる。普通ならば容易には動けないものなのだが、この男にそんなことは関係なかった。
「名残り惜しい気もするが、そろそろこの戦いも終わりだな。ならば――」
装甲が焼け爛れたシャイニングガンダムが光を発し、黄金に染まる。
緻密な計算も、姑息な浅知恵も関係ない。全てを薙ぎ倒す力の信奉者ギム=ギンガナムは吼えた。
「この一撃をもってええぇぇぇえええ!! 神の国への引導を渡してくれるっ!!!」
刹那、ブレンが一歩を踏み出し、その場から掻き消えた。格闘戦専用機相手に真っ向から攻める愚は冒さない。かと言って、初手から死角を使う愚かさもない。
側面を突く。しかし、ギンガナムはもう、鋭敏に反応していた。
雄叫びをあげ、ブレンバーを振るう。ぶつかった。押される。抗えたのは束の間だった。圧倒的な力で押し流される。それを何とか撥ね上げた。皹が広がる音。
二撃目。力を受け流しきれずに、ブレンバーの刀身が半ばで砕け散る。三撃目は死。次は凌ぎ切れない。だから刺し違える。命を賭してならそれが出来る。そして、それはここしかない。
跳躍。ギンガナムの右後方――左腕からもっとも遠い死角――そこへ。ギンガナムがにやりと笑った気がした。
瞬間、相手の左腕が閃光を発する。動きはここにきて尚早い。ここぞというところを嗅ぎ分けるこの男の嗅覚には、思わず舌を巻く。
三撃目。砕けた刀身を突き出した。前へ。ただ前へ。暁を背に二つの影が交錯する。ぐしゃりと砕ける音。モノが潰れる感触。
光る腕は眼前で止まり、その光を失っていた。そして、ブレンバーの刀身はギンガナムを貫いている。
「生きて……いるのか? 私は……」
死を覚悟して前に出た。にもかかわらず生きている。何故、自分は生きているのか? 生きていることを喜ぶよりも先に、疑問が思い浮かんだ。
ジョシュアがギンガナムの右腕を持っていってくれた。クルツが多大な損傷を与えてくれた。その彼らが開いた血路のお陰で生き残れた。
それは分かっていたが、やはり生きているということが不思議でならなかった。緊張の糸が途切れたのか、どこか呆然としているという自覚がある。
心ここにあらずというのは、こういうことなのだろうか?
「貴様、たしか……クラゲエースとか言ったか?」
不意に声を掛けられてびくりとした。思わず声が上擦るのを感じながら、言葉を返す。
「……グラキエースだ」
「ふ……ふふ……グラキエース……グラキエースか」
不適な笑みをこぼしたギンガナムが、ブレンバーが突き立ったまま一歩前に出る。
そして、一歩が二歩に。ブレンバーはさらに奥深く突き立つこととなり、黒いオイルが血の様に噴出していた。
「貴様の名、覚えたぞォォ!! 我、魂魄百万回生まれ変わってもおぉぉおおお!!! この恨み、晴らすからなああぁぁぁああああ!!!!」
眼前の左腕が再び閃光を発した。近い。そして、反応が遅れた。避わせない。ブレンの頭部が捕まる。咄嗟に両腕でその腕を掴む。しかし、ビクともしない。
突然、恐怖が襲ってきた。この身が消え果るという本能的な恐怖。ブレンのものか、自分のものか、判別はつかない。
思わず胸をグッと掴む。あたたかい。そうだ。このあたたかさの為なら私は命を賭けられる。私が私のままで逝くことが出来る。
ジョシュアはよくやったと褒めてくれるだろうか? あいつは私の頭にぽんと手を置き、優しくなでてくれるだろうか?
きっと褒めてくれる。きっと優しくなででくれる。もう悔いは……ないっ!
「跳べ! 跳ぶんだ、ブレン!!」
怨嗟の念と自身への誇りを残し、一つの命を糧に二つの機動兵機がその場から掻き消える。そして、一ブロック南――D-4地区に余りにも小さな爆発音が人知れず鳴り響いた。
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