135話「夜明けの遠吠え」
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椅子を僅かに軋ませ、足を組み、片手で本を掲げる。
文字列を目が追い、情報を吸い上げていく。ふと、頁を捲る手が止まった。
「あなたはかわっていくのだろうか。そういう私も変わっていってしまうのだろうか……」
宙をぼんやりと見上げ、呟く。所在を失った右手が傍らのコーヒーカップへと伸びる。
カチャリと音を立てたカップは口元へと運ばれ、黒い液体が飲み下されていく。
所定の位置へとカップを戻した右腕は指先で頁の端を摘むと、ことさらにゆっくりと次項へと歩みを進めた。
「今日はお祭り楽し……っと、これは次のマンガか。心離れていく二人。
次回九月号に続く……ふむ。先が気になるな……む? オルバ、いつからそこに?」
こちらに振り返った兄と目が合い、ブリッジの入り口で立ち尽くしていたオルバの硬直が解ける。
「独り言を呟き始めたあたりからだよ」
頭を悩ませながらオルバは答えた。だが兄にそれを気にした様子は見られない。
小さな溜息を一つ。話題を変える。
「兄さん、それは……一体」
「これか? 彼を運び込んだときに医務室で無針アンプルを見つけてな。処置を施してみたところ、浮き出てきた。
IFSというらしい。思考をダイレクトにコンピューターに入力するシステムといったところだ。甲児君だけに施されたのでは不公平ゆえの計らいだろう」
背表紙に『月刊うるるん八月号』と記された少女雑誌を片手に、手の甲をかざして見せながら兄は話す。
そこにはオメガの中に丸を書き足したような印が現れていた。
「処置直後は不快感を伴うが、これが意外と便利でな。こういう芸当も簡単に出来る」
その声を皮切りに周囲に複数のモニターが宙に現れ、四人の少年少女の現在の様子を映し出す。
「へぇ……便利だね。でもいいのかい? それは誰でもオモイカネにアクセスできる可能性があるということになるよ」
つまり密かに監視を施していることがばれる可能性があるいうことだ。
この殺し合いの状況下で誰彼構わずに監視の目をつけている。それは、ともすれば余計な誤解を招きかねない要因でもあった。
「野放しにしておけない者もいるのでな。それと甲児君だけには艦内カメラへのアクセスが可能であることを説明しておいた」
「スケープゴートという訳だね、兄さん。でも何故彼なんだい?」
兄弟二人――つまり、以前から親密な者のみの秘密としておけば排他的な印象を与え、リスクは大きくなる。
それの緩和策として他の人間に情報を与えておくのは悪くない。それは理解できた。
しかし、なぜ兜甲児なのか? それだけは解せない。
「簡単なことだ。兜甲児をこちら側に立たせることによって、対図が我ら兄弟とその他から男女のそれに変わる。
そうなると問題化した場合における事の本質が根本的に変わってくるのだ。分かるな? オルバよ」
普通に考えて、万が一問題化したとすればその形は「監視した/された」という形だ。
そしてそれは、何故そんなことをしたのかということに及び、疑念を生む。
それが兜甲児に漏らすことによって変わる――理解は出来なかった。
「兄さん、僕にはわからないよ」
「兜甲児の品性を考えればこの問題は単純だ。私は彼にこう言った『艦内カメラを通じることによって、恐らく艦内の何処でも自在に見ることが出来るだろう』と。
それに彼は少し考え、真顔でこう聞き返してきた『シャギアさん、それは大浴場もなのかい?』とな。つまり――」
「皆まで言わなくてもいいよ、兄さん」
そこまで説明されてようやく全てが理解できた。ようするに兄はこう言いたいのだ。
兜甲児を巻き込むことによってこの問題は「覗いた/覗かれた」の形に変わる、と。
そして、それの理由は単純明快だ。煩悩、この場合においてそれ以上の行動原理はあの男にはないのだから。
モニターの中の当事者を一瞥し、視線を兄へと戻す。
「まったく……品位を疑わずにはおれないね」
「同感だな」
――兄さん、少女漫画雑誌片手に力説していたあなたもです。
大きな溜息を一つ。頭のネジを何処かに置き忘れてきたかのようなこの兄の言動に関しては、この一日を通して既にあきらめの境地に達している。
だから、そんなことよりも、と視線を別のモニターに向けた。
「気になるのか?」
「そりゃあね。彼の生存は僕達にとっては完全なイレギュラーだ。気になりもするさ」
向けた視線の先には、丸眼鏡の青年が医務室のベッドに横たわる様が映し出されていた。
D-7市街地の攻防戦のあと、積んでいた小型機のコックピットをこじ開けてみたら出てきたのだ。
それからニ時間半。小型機を拾った時点から考えると実に九時間半、彼は眠り続けている。
そして、その脇には兜甲児の姿があった。
「休憩時間を当ててまでご苦労なことだな。だが彼にばかり負担を懸けるわけにもいかんか。
様子見がてら、一度顔を出すとしよう」
「そうだね。それもわるくない」
そう言って立ち上がったシャギアの右腕に握られていた油性マジックを、オルバは見ない振りをしていた。
◆
夜風が吹き抜けていった。暗く寒い甲板の縁に座り眼下の街並みを見つめている。
「ミューズさん」
突然、名前を呼ばれて振り向くとそこには一人の少女が立っていた。
「ええっと……比瑪さん」
「名前、覚えてくれたんだ。比瑪でいいわよ」
「じゃあ、アタシもテニアで」
そんな他愛もない会話を交わしながら比瑪が並んで座り込む。
再び吹き付けた風が髪を巻き上げ、暗い夜空に赤毛と栗毛が棚引く。
「何見てるの?」
「街をね……見てたんだ。この街のどこかでメルアが眠っているから……」
悪意のない質問に無理に笑顔つくり返事を返した。同情を引くそんな顔でだ。
『しまった』という表情が比瑪に浮かび、「そう……」と弱々しい声が返される。
そして、僅かに考えるような仕草を見せたかと思うといきなり比瑪は立ち上がり、大声を上げた。
「おーーーーーーーーーーーい!!」
廃墟に大声が響き木霊する。思わずギョッとして見上げた。
こちらをチラリと見た比瑪と目が合い、手を取られて無理やり立たされた。
「ほら、テニアも」
「えっ?」
奇行の意味が理解できずに頭が真っ白になる。何が正解か分からない。
こんな場合、仲間の死に弱った少女はどう演じればいいのか。それが全く分からない。
そんなテニアに構うことなく「ほらほら」と比瑪は急かし立てて来る。
「この街にメルアさんが眠っているんでしょ? だったら私は元気だぞーって教えてあげなきゃ」
「へっ?」
意味は分かった。理由も理解できた。だけどここで大声を上げるのが正解なのか、それがさっぱり分からない。
それでも強引に勧めてくる比瑪に押され、半ば自棄になりつつテニアは決めた。
もうこうなったら思いっきり叫んでやれ、と。
明けの空に声が木霊する。
夜明けの澄んだ風に乗り声は偽りの街に降り注ぎ、そして天に昇る。
並んで立つ比瑪が再び大声を挙げ、もう一回声を張り上げた。
肺の中の空気を振り絞り、息が続かなくなる。膝に両手でつっかえ棒をして肩で息をする。
息が弾んでいた。
「どお? 少しは楽になった?」
呼吸を整えながら見上げた視界の先で、比瑪が笑って立っていた。
笑顔を返事にする。
それに満面の笑みを残して比瑪は朝日を眺めた。小さな背中が視界に広がる。
どうもおかしなことになっている。そう思った。
そして、宇都宮比瑪というこの少女の独特な雰囲気に、ペースが狂わされている。
そう思ったときに魔がさした。
目の前に背中がある。その先はもう空だ。
――押してしまえ。
何かが呟く。
――突き落としてしまえ。
何かが囁く。
ゆっくりと手が伸び、そして――
――引っ込めた。
今はまだそのときじゃない。今ここで比瑪を突き落とし、格納庫に駆け込みベルゲルミルで暴れまわって内部からナデシコを沈める。
それは出来るかもしれない。でも今はまだそのときじゃない。
残りが何人いるのかも分からない現状で、自らの盾を失うのは利口とは言えなかった。
「どうしたの?」
何か気になったのか比瑪が振り返り、声を掛けてくる。きっと元気がなさそうに見えたからだろう。
だからアタシはそれに曖昧な笑みを浮かべつつ、言葉を返した。
「何でもない。ちょっと夜風に冷えただけ……」
◆
その頃、医務室ではシャギアと甲児が同時にピタリと動きを止めた。
「今何か聞こえなかったかい、シャギアさん?」
「そろそろ夜明けだ。鶏でも鳴いたのだろう。そんなことよりも甲児君」
音を立てて油性マジックのキャップを引き抜くとシャギアがベットに横たわる男に近づく。
「なんだい?」
「さっきの話を覚えているな」
キュッキュッと小気味のいい音を立てて『肉』の一文字が額に書き込まれた。
「もちろんさ。適当な理由をつけて別行動隊を作るから、そのときにオルバさんとテニアを『二人きり』にしてあげるんだな。しかし、オルバさんも隅に置けないね」
続けて今度は甲児がヒゲを左右の頬に三本づつ書き足す。
「すまんな、手のかかる弟で。しかし、兄としては最大限のことはしてあげたくてな。
それにこの極限状態だ。吊り橋効果も期待できる。これはオルバにとって好機なのだ。
重ね重ね頼むぞ、甲児君」
「まかせとけって」
悪戯と同時進行で放送後のチーム分けの手回しが着々と進行していた。
オルバ=フロスト本人ですら与り知らぬ所で……。
【シャギア・フロスト 搭乗機体:ヴァイクラン(第三次スーパーロボット大戦α)
パイロット状態:良好、テニアを警戒
機体状態:EN60%、各部に損傷
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ医務室)
第一行動方針:休息
第二行動方針:首輪の解析を試みる
第三行動方針:比瑪と甲児を利用し、使える人材を集める
第四行動方針:意に沿わぬ人間は排除
第五行動方針:首輪の解析
最終行動方針:オルバと共に生き延びる(自分たち以外はどうなろうと知った事ではない)
備考1:ガドル・ヴァイクランに合体可能(かなりノリノリ)、自分たちの交信能力は隠している。
備考2:首輪を所持】
【オルバ・フロスト搭乗機体:ディバリウム(第三次スーパーロボット大戦α)
パイロット状態:良好、テニアを警戒
機体状態:EN60%、各部に損傷
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコブリッジ)
第一行動方針:休息
第二行動方針:テニアと共にナデシコと別行動をし、テニアを殺害
第三行動方針:比瑪と甲児を利用し、使える人材を集める
第四行動方針:意に沿わぬ人間は排除
第五行動方針:首輪の解析
最終行動指針:シャギアと共に 生き延びる(自分たち以外はどうなろうと知った事ではない)
備考:ガドルヴァイクランに合体可能(かなり恥ずかしい)、自分たちの交信能力は隠している。】
【兜甲児 搭乗機体:ナデシコ(機動戦艦ナデシコ)
パイロット状態:良好
機体状態:EN80%、相転移エンジンによりEN回復中、ミサイル20%消耗
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ医務室)
第一行動方針:ヒメ・フロスト兄弟と同行
第二行動方針:ゲームを止めるために仲間を集める
最終行動方針:アインストたちを倒す
備考1:ナデシコの格納庫にプロトガーランドとぺガスを収容
備考2:ナデシコ甲板に旧ザクを係留】
【宇都宮比瑪 搭乗機体:ナデシコ(機動戦艦ナデシコ)
パイロット状態:良好、ナデシコの通信士
機体状態:EN80%、相転移エンジンによりEN回復中、ミサイル20%消耗
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ甲板)
第一行動方針:テニアを慰める
第二行動方針:甲児・フロスト兄弟に同行
第三行動方針:依々子(クインシィ)を探す
最終行動方針:主催者と話し合う】
【フェステニア・ミューズ 搭乗機体:ベルゲルミル(ウルズ機)(バンプレストオリジナル)
パイロット状況:非常に不安定
機体状況:左腕喪失、マニピュレーターに血が微かについている、ガンポッドを装備
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ甲板)
第一行動方針:ナデシコの面々に取り入る
第二行動方針:どのように行動を取ればうまく周りを騙せるか考察中
第三行動方針:とりあえず甲児達についていく
第四行動方針:参加者の殺害
最終行動方針:優勝
備考1:甲児・比瑪・シャギア・オルバ、いずれ殺す気です
備考2:首輪を所持しています】
【パイロットなし 搭乗機体:ぺガス(宇宙の騎士テッカマンブレード)
パイロット状態:パイロットなし
機体状態:良好、現在ナデシコの格納庫に収容されている
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ格納庫内)】
【熱気バサラ 搭乗機体 プロトガーランド(メガゾーン23)
パイロット状況:神経圧迫により発声不可、気絶中、顔に落書き(油性マジック)
機体状況:MS形態
落ちたショックとマシンキャノンの攻撃により、故障
現在位置:C-8市街地北東(ナデシコ医務室)
第一行動方針:新たなライブの開催地を探す
最終行動方針:自分の歌でゲームをやめさせる
備考:自分の声が出なくなったことにまだ気付いていません】
【二日目5:40】
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