137話「アキトとキョウスケ」
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体中の血管の中で蠢いていた子蜘蛛がいなくなる。
どろりとバターのように溶け出すと血流に呑まれて、一匹一匹と消えていく。
同時に視界が今までとは別の世界を捉え、急速にぼやけていっていた。
奇妙な感覚だった。
重い体が軽くなり、感覚が戻ってまた重くなる。
幻聴が消えて本物の音が戻り、また音が鈍くなる。
一瞬の通りすがりに正常な時間が存在する。だがそれはほぼ無意味ともいえる一瞬である。
正常な感覚の刻みつけ、あっけなく去っていく。また薬を服用するよう刻まれた暗示のように思えた。
ぼやける視界で時計の位置を確認すると、気だるく思い体を起こす。顔を近づけて時刻を確認した。
――4:34
服用から一時間半と少し。
薬の効果が三十分。副作用が一時間。アルフィミィの言に嘘はなかった。

「だが、これは後をひくな」

ずるずるとコックピットシートに沈み込みながらぼやいた。
一時間の副作用に振り回された体が、疲労の極みにあるのだ。ともすれば眠り込んでしまいそうになる。
そのままの体勢で手を伸ばし、アルトを再起動させる。
明るく灯るモニター。擦りガラス越しのようにしか見えないそこに、突然起動兵器が映し出される。
咄嗟に出た行動は――様子を見る。状況を確認する。薬を服用する。否。
それらを頭に浮かべるよりも早く体は攻撃を仕掛けた。両肩のハッチが開き、大量のベアリング弾が放出される。
咄嗟のことだ。狙いなどつけていなかった。この視界、この体でつけられるはずもなかった。
牽制にしかならない一撃。
だから撃ち終りを待たずに後退を始めた。そして、反転。全速でその場からの離脱を図る。
相手の被害は愚か姿すら確認していない。する余裕もない。出来る体ですらない。
ただ真っ直ぐに機体を走らせ、その場から逃げ出す。そのくらいの力は残されている。そう信じたかった。
世界が回った気がした。そして、沈み込むような感覚とドンと突き上げられたような感覚。

「アルトから降りて来い。悪いようにはしない」

降って来た声。それで自分が捕まったのだと知る。

 ◇

片足でバックパックを踏みつけ、オクスタンライフルを背中越しにコックピットに突きつけた。
小さく溜息を吐く。正直肝を冷やした。
支給品の中に何か役に立つものはないか。そう思いファルケンに戻った瞬間の出来事だった。
男の様子を見て目を離しても大丈夫だと判断した直後だったのだ。自らの見通しの甘さが苦々しい。
しかし、やはりまともに機体を動かせる状態ではなかったのだろう。
クレイモアを咄嗟に避け、追撃に移った目と鼻の先でアルトは勝手に転んで倒れた。
倒れたことにも気づいていない動きだった。それが憐憫の情に拍車をかける。

「アルトから降りて来い。悪いようにはしない」

暫しの沈黙の後、声が返ってくる。音声のみ。映像は繋がっていない。

「……信用できるのか?」
「さあな」

曖昧な返事。ゼクスとカズイを殺した。
それが間違いだったとは思わない。間違いだったではゼクスが報われない。
だが、一方では敵対した新兵を生かしたりもしていたのだ。
やることがあべこべで矛盾している。状況が違うというのは言い訳にしかならない。
そのことが返事を歯切れの悪いものにしていた。それに基地に戻ればユーゼスもいる。

「悪いようにはしない。俺に言えるのはそれだけだ」
「聞くことだけ聞いて撃ち殺す。そうしないという保証は?」
「それは約束する。保証は……そうだな。まずは俺から機体を降りる。信用がなければ踏み潰せ」

一時的な感傷。カミーユに必ず戻ると伝えたことも忘れ、捨て鉢な気持ちが体を支配していた。

「いいな? 降りるぞ」

 ◇

敵機が離れていく気配。そして、停止する気配。
本気か、こいつは。そう思いながら、機体を起こし立たせる作業に集中した。
汗が玉になって額に浮かんでくる。
いくら自由の利かない体とはいえ、その程度の体裁は取り繕いたかったのだ。
踏み潰せ、か。笑わせる。
ただ機体を立たせるだけでこの神経の削りようだ。狙ったところに足を踏み出すなど、とんでもない重労働だ。
だが、薬を使えば簡単だ。確実に一人葬れる。しかし、ここで使ってしまうのか?
あの時アルフィミィは言った。まだゲームの参加者は三十人近く残っている、と。
あれから三、四時間。そう数が減っているとも思えない。
僅か五錠しか残っていない薬を使っていいのか? それで俺は生き残れるのか? 奴らを根絶やしに出来るのか?
優先すべきは生き延びること。同行者を得れば生存率は上がる。だが、本当にこの男は信用できるのか?
渦を巻く思考。心の拠り所を求めるように腕が薬へと伸び、握り締めた。そして、異変に気づく。

――ないッ!!

有るべき所に薬はなかった。
正確には、取り出しやすいところに入れておいた二錠がなくなっている。
念を入れて、別個に分けておいた三錠。そちらは無事だ。
握り締めた腕に力が篭り、ぼやけたモニターに映し出されている男を睨みつける。
薬の行き先は一つしか考えられない。
暫くして険のある表情を解いた。何にしろ、これでもうこの男を信用するしかなくなったのである。
薬を服用して踏み潰す。一緒に取られた薬も潰れて残り二錠では、どうしようもない。
だが、出て行くからには最大限利用させてもらう。薬を取ったということはこちらの状態を知っていることだ。
その上で抱え込もうというのだ。病人怪我人は保護すべきと考えているのだろう。
ならば立場を最大限に利用して守って貰う。疑われる余地はない。副作用がなくとも障害持ちなのだ。
そうすることによって薬の消耗を防ぎ、同時に奴に取られた薬の在り処も突き止める。
その後で仮宿は捨てればいい。
その為にもまずは協力の姿勢を見せることだ。ロジャー=スミスの情報など喜ばれるかもしれない。
接触できれば自分が危険ではないことの裏も取れる。
外部スピーカーのスイッチを入れ、「今、降りる」と答えを返した。
かくして大切な者を失い残された二人の男は顔を会わせ、数分後には協力することとなる。
その最初の道すがら、アキトはふと思った。この薬、健常者が服用すればどうなるのだろうか、と。



【テンカワ・アキト 搭乗機体:アルトアイゼン(スーパーロボット大戦IMPACT)
 パイロット状態:マーダー化、五感が不明瞭、疲労状態
 機体状態:胸部に軽度の損傷。3連マシンキャノン2発消費、スクエアクレイモア2発消費
 現在位置:G-8
 第一行動方針:キョウスケに情報を提供して同行する
 第二行動方針:ガウルンの首を取る
 最終行動方針:ユリカを生き返らせる
 備考1:首輪の爆破条件に“ボソンジャンプの使用”が追加。
 備考2:謎の薬を三錠所持】

【キョウスケ・ナンブ 搭乗機体:ビルトファルケン(L) (スーパーロボット大戦 OG2)
 パイロット状況:頭部に軽い裂傷、左肩に軽い打撲、ユーゼスに対する不信
 機体状況:胸部装甲に大きなヒビ、機体全体に無数の傷(戦闘に異常なし)
      背面ブースター軽微の損傷(戦闘に異常なし)、背面右上右下の翼に大きな歪み
 現在位置:G-8
 第一行動方針:アキトの保護
 第ニ行動方針:基地へ戻る
 第三行動方針:首輪の入手
 第四行動方針:ネゴシエイターと接触する
 第五行動方針:信頼できる仲間を集める
 最終行動方針:主催者打倒、エクセレンを迎えに行く(自殺?)
 備考1:アルトがリーゼじゃないことに少しの違和感を感じています
 備考2:謎の薬を二錠所持】

【二日目 5:05】


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