140話A「穴が空く」
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ベガと未確認機の接触から約十分。ユーゼスは基地の施設の中一人、探査機器に注ぐ目をそらした。
二つの光点はその動きを止めている。
それは悪くないことだ。
まだ確定とは言えないが、新しい手駒を現在の戦力を削ることなく得ることが出来た。そう思えば上々の出来と言える。
だが――

『黙』と黙り込み、わずかな逡巡を経たユーゼスの口元が笑う。

「だがしかし、何事かが起こって欲しかったのだろうな、私は……」

そこにもっともらしい理由を探すとすればAI1の教育、更なるの進化の可能性、といったものを付ける事は出来るのだろう。
最終的には、単機でアインストと渡り合える状態までメディウス・ロクスを持っていきたい、という欲も存在する。
しかし、違う。もっと根源的で、純粋で、単純なものだ。
それは少年達がカブト虫を闘わせたがるようなものだ。
百獣の王と密林の王者が出会えば、人はそこに何かを期待する。そういった類のものだ。
まぁ、いい。と踵を返そうとしてもう一度探査機器に視線を注ぎこんだ。
場はまだ張り詰めている。グラス一杯に注いだ水が表面張力だけで持っているようなものだ。
ここに一石を投じればどうなるのか。はたして均衡を保ちえるのか。
一石は何でもいい。例えばあの青年でも……。
密やかに笑い、メディウスを見上げる。AI1に行なわせている作業は二つ。
一つはベガの動向に対する観察。これは、探査機器が軒並み不調な状態を基地のデータとリンクさせることによってカバーし、行なっている。
そして、二つ目がアインスト細胞と未知のナノマシン、そしてゲッター線の解析だ。解析率はまちまちだが概ね良好。
最も進んでいるアインスト細胞は現状で約五割の結果を弾き出している。既に半分近くは解き明かされたのだ。
だが裏を返せば、まだ半分も未解明な部分が存在するとも言える。
そして、自らの手で分解を行なった半壊した首輪。こちらは損失された部分を含めても七割から八割程度の解析は終えている。
つまり玉を壊せばアインスト細胞は消失するという前提が正しければ、解析はほぼ終了しているといっていい。
そう結論付けたユーゼス=ゴッツォはその場を後に動き出す。
手駒の一つとしてここで賭けてみるのも面白い。一石として投じるのも悪くは無い。
どちらに転ぶにしても事は、愉快に進む。

 ◆

夜明けを待つ空はまだ暗く、夜気は未だそこここに満ちている。
その静寂を裂き、流竜馬が一人歩く。
迸る生気は余りにも猛々しく、際立っている。身を晒すことにいささかの躊躇もそこにはない。
悠然と草原の中、歩を進めてきた竜馬はそのど真中に陣取ると仁王立ち、敵機を見上げた。
目測で二、三十メートル上空。開け放たれたコックピットカバーの向うで、黄金の髪が棚引く。
仮面の女が見下ろしていた。
二つの視線が交わる。五秒十秒時が止まる。

「どうした? こっちは機体から降りてきてやったんだ。そっちは降りてこねぇのか?」
「今、降ります」

そう言うと女は実に流麗且つ軽やかに飛び降りた。
――馬鹿な、正気か?
思わず自分の目を疑ったその前で、全身のバネを柔らかく使い女が着地の衝撃を吸収する。ふわりと埃が舞い上がる
だがそれだけだ。派手な落下音など何処にもない。
ちょっとした段差。ほんの一メートル程の段差から飛び降りた程度の動きも無かった。
――なんてぇ足腰してやがる。

「どうかしましたか?」
「いや、何でもねぇ」

二、三十メートルの落差から飛び降りたことを、気にも止めていない。
何食わない顔で、ごく普通のことのように思っている。
そのことが相手が普通ではないことを、突きつけていた。
――チッ、そう上手くはいかねぇってことか。
女一人を縊り殺す程度ならば、多少の疲労など問題にもならない。そう思っていた。
だが出て来たのは、それが通る相手ではなさそうだ。
チラリと赤い敵機を盗み見る。大した損傷の無い機体。欲しいのはこいつだ。
だが、聳え立つ大型機相手に素早く乗り込む手立ては、流竜馬にはない。ならば――

「ベガです。よければ情報の交換などしたいのだけれど、いいかしら?」
「流竜馬だ。あぁ、いいぜ」

差し出される右腕。
それを握り返すと女は微笑んだ。柔らかい、人を包み込むような優しい笑顔だ。
竜馬も笑い返す。獰猛な、身震いするような笑みだ。
竜馬が腕に力を込めてベガを引き寄せた。ベガの体勢が崩れる。竜馬の両腕が首筋を通り過ぎ、うなじの位置で巻きつく。
さらにベガが引き寄せられ、竜馬の胸板が眼前に迫る。

「えっ?」

虚を衝かれたベガはただ困惑するばかりで、事態を未だ正確に把握していない。
その隙をついて腹部に強烈な膝蹴りがめり込んだ。一瞬息が止まり、絶息したベガが咳き込む。
首相撲から見事な膝蹴り。ムエタイで言うところのティーカウである。

「悪いな。手前の機体、貰っていくぜ」

さらに二、三発。そして、最後に勢いをつけた膝蹴りが顔面にめり込む。
仮面が砕け散る。呻きを挙げたベガが倒れこむ。手ごたえは十分。骨を折った感触は膝に残っている。
これで暫くはまともな動きは取れないはずだ。身のこなしさえ封じてしまえば、警戒するものはなにもない。
後は確実に止めを刺し、物言わぬ肉塊に変えればいい。
右腕を伸ばす。無造作に、無遠慮に、荒々しく髪を掴み引き起こそうとした、そのときだった。
倒れまともに動くことは出来ないはずの人影が大きく跳ねた。
よける暇も無い。腹部を強烈な衝撃が襲い、蹴り飛ばされた。意識が歪む。
しかし、さすがにそのまま倒れこむような失態は犯さない。瞬時に体勢を立て直した。
距離が開く。
むくりと起き上がる人影。それが揺れて消える。
一瞬、動けなかった。馬鹿な、と思う。
いくら暗がりの中とはいえ、人間などそうそう見失うものではない。
が、驚愕に立ちすくんだのもほんの一瞬。頭よりも体が先に反応を起こす。反射的に右腕が頭を庇った。
ガードした右腕ごと頭蓋を持っていかれそうな重い衝撃。その蹴りの鋭さは尋常ではない。骨が軋み、肉が悲鳴をあげる。
そのままの体勢。空中でもう一撃喰らわそうと女の逆足が動く。
その一瞬、女の顔が苦痛に歪み動きが鈍った。蹴り足を掴み取る。振りかぶり大地に叩きつける。
そして、間髪入れずに頭蓋目掛けて踏み下ろした。
が、同時に足を駆られて転倒。飛び起きたのは同時だった。
上段回し蹴り。それを女は仰け反るようにかわし、そのまま後へくるくると回転して距離を取る。
鉄錆びのような味が口内に広がり、唾と同時に吐き捨てる。視線は相手から片時もそらさない。
遠目に見ても呼吸がおかしい。やはり骨は折れているのだろう。
だが、およそ人間からは懸け離れた身のこなし。それはまだ残っている。

「聞きたい事があります」
「……なんだ?」
「金色の機体の名前は百式というのではないですか? パイロットはどうしました?」
「さぁな。しらねぇなぁ、そんなことは……だがあれを真っ二つにしたのは、この俺だ」

ベガが揺れている。本当に揺れているのは自分なのかもしれない。あるいは両方か。
頭部を狙ってきた鋭い蹴りは受けたものの、確実に脳を揺らしていた。
この相手を素手で倒そうと思えば骨の一本や二本ではすまない。そう思わざる得ない。
最悪、殴り合いの末に相打ちもありえる。そう覚悟させるほどの相手だった。
そして、それはよくない。だからといって今更殺り合わずに済むという状況でもない。
ちらりと背後の大雷凰を盗み見る。機体はまだ替えが利く。しかし、体は痛んだから取り替えるというわけにはいかない。
半歩機体ににじり寄る。
やりあうなら生身よりも機体でだ。そして乗り込むなら大雷凰だった。
聳え立つ赤い大型機にあの女よりも素早く乗り込む手立ては、自分にはないのだ。
次の瞬間、竜馬が全速力で駆け出した。
同時にベガも動き始める。どちらが相手よりもどれだけ早く機体に乗り込むか、それが勝敗を左右していた。

 ◆

闇に靴音が響く。それでハッとした。
時間が分からない。
後ろ手に縛られたまま流れた時間。与えられた思考の時間。
それが短いようで長かったのか。それとも長いようで実は短かったのか。
孤独な夜は時間間隔を奪い去っていた。

「ではバーナード=ワイズマン……いや、親しみを込めてこう呼んだほうがいいかな?
 バーニィ、時間は十分に与えた。君の返答を聞かせてもらおうか」

親しみを込めて? 腹の底で唾棄する。
抑揚のない、感情の一切が篭らない声。人間扱いされていないことは嫌でも感じ取れる。
『あんたが興味あるのは自分のこと。ただそれだけだ』そう、罵ってやりたかった。
だが、それが出来る状況でないことは分かっている。
今は立場が弱い、何も言うことが出来ない。強い者には従うだけ、そんな自分が惨めに思えてきて、情けなくなる。
だが、今はどうすることも出来ない。
それでも素直に従うことには抵抗があった。だから口を開く。

「答える前に根拠が欲しい」
「根拠……何のかね?」
「あんたに協力すれば生きて帰れる。そう思えるだけの根拠だ」

不機嫌を買うことを怖れながらも、どうとでもなれという気持ちがあった。だから言葉を重ねる。

「あんたの言っていることが丸っきりの嘘だとは思っていない。
 だけど、あんたに従っていれば簡単に生きて帰れる、そう言われて簡単に納得できるほど俺は子供じゃない。
 だから根拠が欲しい。このままだと俺は、あんたの言葉にYESと口だけで答えて、あんたを裏切るぞ」
「この状況で私を脅すか……見かけに似合わず勇敢な男だ。
 だがそんなことを言ってもいいのか? 君の命は私の手に握られているのだぞ」

その通りだった。現時点で命を握られているのは疑いようのない事実なのだ。
それを引き合いに出されれば、従わざる得ない。所詮、自分はその程度の小さな人間だ。
突きつけたのは、ユーゼスの側からすれば無視をしても一向に構わない条件なのである。
だが、このまま唯々諾々と言われるがままに従うのは受け入れ難かった。
思考を止めればきっと恐ろしいことが待っている。そういう気がしていた。
だからこれは賭けであり、抵抗だ。小心者の自分に今出来る精一杯の抵抗だ。
それこのまま終わらせたくはなかった。
無言を答えにして返す。視線を逸らすなと自分に言い聞かせる。体が震えだそうとするのを必死に堪えていた。
そのまま五分十分と睨み合いが続く。ふっと仮面の奥底に潜む目が笑った気がした。
その気配の禍々しさに思わず背筋がゾッとする。取り返しのつかない提案をしたんじゃないのか、そんな気さえした。

「まぁ、いいだろう。ここに二つ、君とって有益な情報の入った封筒がある。
 見せてやろう。ただし一つだけだ。好きなほうを選ぶがいい」

そう言って掲げられた二つの封筒には表題が振ってあった。
一つには『首輪』と。もう一つには『脱出』と。
選択肢の存在に驚き、どちらを取るか迷い、そして手の平で踊らされていることに気づいた。
どちらを選んでもいいという事は、両方に本物の情報が記されていること。
それを一つは見せ、もう一つは見せないことによって手綱を掴む。
見た情報が有益ならば従わざる得なくなるのは、自明の理だ。何も知らないままよりも身動きは取り辛くなる。
ユーゼスが「どうした? 必要ないのであれば……」そう言って、封筒を持つ手に力が込もる。
音を立てて破り割かれようとしたその瞬間――

「脱出だッ!!」

叫んでいた。ピタリと手が止まり、男が満足気に目を細めた気がした。

「ならば受け取るがいい」

そう言って差し出された封筒には『首輪』と書かれている。

「は?」
「何を驚いている? 誰がわざわざ欲しがるほうなどくれてなどやるものか」
「…………」

ひでぇ……なんて嫌な奴なんだ。心底そう思う。
目の前に首輪の封筒が投げ出され、それに手を伸ばそうとして……伸ばそうとして……。

「解析率は七割から八割。その図面を記しておいた。ただし、それが役に立つのはまだ……どうした?」
「な、縄は」
「それを私が許すと思うのか?」

視界に映るのは、見下ろすユーゼスの顔。その向うにある天井に折り重なる鉄骨。
それのそのまた向うに、巨大な何かが高速で突っ込んでくるのが見えた。
耳を劈くような轟音、そして激震。咄嗟に丸めた身に、剥がれ落ちたモルタルや金色の金属片が降り注ぐ。
数秒かけて轟音は小さな反響音に変わり、揺れはおさまった。天井を見上げる。
ぐにゃりと拉げた鉄骨、ひび割れ欠けて崩れたコンクリート、その奥に一目で異物と分かる塊があった。
目測で直径四メートル程のそれは、鉄骨に引掛かり、辛うじて落下を免れている。
何か小さな光を見事な金色が反射させている。断線したケーブルでも爆ぜているのだろうか、そう思った。
そして、頭の中で歯車が一つ噛合う。
――ここは何処だ?
視線を目の前で駆動音を立てている機械に走らせる。
――そう。ここは発電施設だ。

「ベガめ。しくじったか……いや、それにしては……」

目の前でユーゼスが何か呟いていたが、そんなものは耳に入らなかった。
基地のエネルギーを一手に引き受ける発電施設。当然、その為の供給ラインはここからスタートする。
発電機かエネルギー供給ラインのメイン。そのどちらかに火の粉が飛べば――
背筋がゾッとして、天井を凝視する。
大きく、小さく瞬く光。それが一際大きく爆ぜるのが見えた。

「伏せろッ!!!」

短く、鋭く叫んだ声は、爆音に掻き消される。
降り注いでくる大量の瓦礫。それが視界一杯に広がっていた。


B-Part