152話A「家路の幻像」
◆7vhi1CrLM6
静まり返った何の飾り気も無い無機質な通路。病院のそれによく似た機能のみが優先されたその空間に、靴音が高く鳴り響く。
仰々しい衣装を身に纏い悠然と闊歩するその男――ユーゼス=ゴッツォが静寂を振り払い歩みを進めていた。
向かう先は格納庫の脇に設置されている事務室のような部屋。
最初にこの基地に腰を下ろして以来、すっかり集合場所として馴染んでしまったそこを目指していた。
時間だ。あと僅か数分で放送が始まる。
この首に繋がれた忌々しい首輪の解析と疲れを癒すための休息、特に休息の必要を感じてはいる。
一戦を交え、一つの重要な実験を終えた直後。疲れは重なっている。だが、集合を命じたのは自らであった。
例え相手がとりあえず協力者であろうともここは行かねばならない。
情報は必要だ。
誰が死に、何人が生き残り、何処が禁止エリアとされるのか。
カミーユ=ビダンが何を見、何が起こり、そして何故キョウスケ=ナンブがいないのか。
それらは重要だ。
それに、一先ずの解析はAI1に任せている。
解析結果のバックアップの為に管制塔に位置する司令室を探し当て、取り合えずの防壁を施した上でメインコンピューターと有線で繋いでもいる。
不測の事態が起こらなければ手を下す必要はなく、仮に起こってもそれは基地内のネットワークを通じてユーゼスに知らされる。開発室のほうも同様だ。
口元が笑う。
極めて順調。道は開けている。ならば一時的に目を離し、手を離しても問題は無い。
そう思い広大な基地内部を足早に歩いているときだった。
赤が目に留まった。
僅かな蛍光灯に照らし出されたまだ薄暗い通路。そこに赤い粒が点々と続いている。
――血。
誰のだ、と思い立ちめぐらせた頭に一人の男の顔が思い起こされる。
――バーナード=ワイズマン。
不運にも瓦礫の下敷きとなり死に絶えたはずの男。
あの男が生きていたのか――いつからだ? いつ奴は瓦礫の底から抜け出して動き始めた?
湧き上がる疑問に対する答えはユーゼスの中にはない。明るく開けているはずの道にほんの僅かな影が射す。
死んでいるものと決め付けていた。だから確認を怠った。
それは幾ら疲れていたとは言え失態だ。あの男がベガやカミーユに接触すれば事態がどう転ぶのか。
予測は難しい。だが、良いほうに転ぶ可能性は極めて稀。いや、それよりも奴がメディウスを見つければどうなる?
優先すべきはベガ達との合流か、ワイズマンの追跡か。
時間が経てば経つほど追跡は困難になる。あの男に渡した首輪のメモもある。野放しには出来ない。
膝を付き、溜まりを成している血に触れてみた。粘り気を帯びた血が手先に付着する。
まだ固まっていない。
そう遠くはないな。追跡は可能か……仕方がない。
僅かな逡巡を得て追跡を取ることを決める。
問題はこの血の道しるべ。どちらの端が奴へと続いているのかだった。
「手間を取らせてくれるものだな」
◆
『まずは長い夜を越え生き延びられたこと、お祝い申し上げますの』
幼い少女の声が響き渡る中、一人の青年――バーナード=ワイズマンは息を切らしつつ細い通路を進んでいた。
目指す場所はあるが、どこに向かっているのかが分からない。
前回の放送の前、ブラックゲッターの整備を行なったときに基地内の見取りは一通り頭に叩き込んではいる。
だが、気絶中に動かされたことが災いし現在位置を見失っていた。
今いる場所が分からなければ、地図など何の役にも立ちはしない。だから、指標となる場所を闇雲に探していた。
一人、また一人、死者の名が読み上げられていく。
聞きたくなかった。聞きたくはなかった。
死んだ人間の名を聞くごとに『自分は本当に生き残れるのか』という疑問が沸き立つ。
ついていただけだ。
既に三度も気を失い機体も失った。そのどこで死んでもおかしくはなかった。
ついていただけだ。それは誰よりも自分自身で身に染みて分かっていることだ。
失血からくるものか、頭がくらりと揺れた。歩みを止め、うつむき、壁に手をついて崩れ落ちようとする体を支える。
そのとき、一つの名を耳にして弾けるように天を仰いだ。
「嘘だろ……」
知らない名の中に混ざり込んでいたただ一つ耳に覚えのある名――シャア=アズナブル。
赤い彗星の異名を持ち、戦艦五隻をただ一人で沈めてみせたルウム戦役の英雄。
会った事はない。だが『通常の三倍の速度』の性能を引き出すとまで言われた彼は、生きながらの伝説となりつつある。
そんな男でも死んだ。
そのことがお前程度では生き残れない、と告げてくる。
歴戦の勇士に比べ撃墜数ゼロの新兵である自分はあまりにもちっぽけだった。
「なぁ、アル……こんな俺でも本当に生き残れるのかよ……」
弱音。滲んだ視界の向うにサイド6の光景が見える。
ホンの僅かな時間だけ滞在したその場所。里心が込み上げる。
中立コロニーでの戦闘。撃墜。アルとの出会い。再会。クリス。所属部隊の壊滅。核。
そして、ガンダム。
そこは余りにも濃密な時間を過ごした場所だった。
あの連邦の男は言った。サイド6にジオンの核攻撃はなかった、と。
だったらもう一度あそこに戻りたい。
約束したんだ。運よく生き延びて戦争が終わったら帰ってくると、会いに行くと。
それにアルやクリス、自分が守ったものを見てみたいんだ。見栄や虚栄心からじゃなく誇りたいんだ。
今度は嘘じゃなく、俺は本当に凄いんだぞってことをアルに言ってやるんだ。
生き残りたい。帰りたい。あの場所に帰りたい。……そうだ。
「俺は帰るんだ、あいつらが待っている……あの場所に」
言葉の最後は無理という思いに押しつぶされ涙声となって消えていった。
◆
「そんな……」
沈痛な面持ちで放送に聞き入っていたベガは、格納庫の一角に間借りしている事務所のような建物の中で、突然発せられた声に振り返った。
「知っている人?」と言葉を発しかけて異常に気づく。
顔に色が無い。口を開け、呆然とした状態のままでカミーユは立ちすくんでいた。
「カミーユ」
呼びかけるが返事がない。もう一度。
「カミーユ!」
やはり返事は無い。反応一つ返ってこない。
思わず歩み寄り、肩を掴んで揺さぶりつつ叫んだ。
「カミーユ、しっかりしなさい!! カミーユ!!!」
それでようやく顔がこちらを向く。しかし、焦点が定まっていない。
そのままどこを見ているのか分からない目、虚空を仰ぎ見る目でカミーユはぽつりと呟いた。
「戻らなきゃ……」
「えっ?」
急にもがき始めたカミーユを押さえ込もうと手に力を込める。
「カミーユ、落ち着きなさい」
「早く戻らなきゃ……」
「何を言って」
「だってそうでしょ!? あの人も、クワトロ大尉もいない。百式もない。そうだ、俺がここにいるってことはZだって無いかもしれない。
それでどうしてティターンズやアクシズの連中と戦えるって言うんだッ!! 離してくださいよ。早くエゥーゴに、アーガマに戻らないと」
何処を見ているのか分からない目。いや、カミーユの目はただ出口だけを見ていた。
そこだけを目指し、出て行こうと必死でもがいている。扉の先に何があるのかなんて考えていない。
ただ扉があるからそこに向かっている。その先はここよりも元いた場所に近いと思い、何とかそこに辿り着こうとしている。
押しとめようとして突き飛ばされ、応接用のソファーに仰向けにひっくり返った。
起き上がったときにはカミーユは既に扉を開け、事務室から格納庫の中へと進んでいる。慌てて後を追う。
「カミーユ、待ちなさい!」
その間にもカミーユは格納庫から通路へ、狭い通路を突き進みまた別の建物へ、と脇目も振らずに進んで行く。
何度も繰り返し名前を呼ぶ。聞こえていないのか、無視しているのか、返事は無い。
VF-22に向かうわけでもなく。その動きに一貫性はない。何となく目に付いた場所を横切り、ただ外を目指しているように見えた。
突き当たりの角を曲がったカミーユの背が消える。
追いかけて曲がったとき目の眩むような光が辺りを満たした。その眩しさに思わず手を翳す。
細めた視界に建物の出口と、その先で立ち止まり呆然としているカミーユの後姿が見えた。
清々しい朝の空気の中、太陽が昇っていた。
一歩基地の外へと歩み出し、格納庫や機体と遠ざかった場所に出ていることにホッとした。
もし外に出た目の前に機体があれば、そのまま何処かへ飛び去ってしまいかねなかった。
そんな勢いだった。
それも今はなりを潜め、ただ呆然と朝陽の昇る空を眺めている。
若干弾む息を整えてからゆっくりと側に寄って行く。
寄って行ってなんて声をかけていいか分からずに焦った挙句「綺麗な朝陽ね」と的外れな言葉を投げかけてしまう。
反応はない。しまったと思ったが、もう遅い。無言のまま五分十分と時間が流れる。何度か声をかけようとしたが、かける言葉はやはり見つからない。
そしてベガが途方に暮れ始めた頃、もう諦めていた返事がきた。
「……そうですね」
息をするように零れた言葉。何の考えも込められていないようなその言葉に優しい響きを何となく感じた。
放送直後とはうって変わった平静の光をその瞳に認めて安堵の息を吐く。
朝陽を眺めたまま無言の時間がまた流れていく。しかし、その空気が幾分か軽くなっている気がした。
しかし、そうではなかった。
「勝手なんですよ、あの人はいつも」
平静? とんでもない。触れれば崩れ去ってしまうような表情がそこにはあった。
処理しきれない感情を押し隠そうとしてどうにもならず、どうしていいのか分からなくなっている。
訥々と静かに語られる言葉の裏でどれほどの激情が渦を巻いているのか……。
「自分勝手で、臆病者で。大人の責任ばかりを押し付けてくるくせして、一人前の大人として扱おうともしない。
人に夢みたいなことばかりを説きながら、その気になれば戦争を終わらせられるだけの立場にありながら、大人の責任を果たそうともしない。
あなたにはまだやることがあったはずだ! あなたにはまだやるべきことがあったはずだ!! あなたはまだ果たすべき責任を全うしてない!!!
なのにッ!! なのに……こんなところで死んでどうするんですか……」
次第に激を増していった語調は、しかし急速に閉じられて擦れた様な声で幕をおろした。
不安定だ。そして、子供だ。置いて逝かれてしまった感情を愚痴に変換することで処理しようとしている。
そうする他無いその身が不憫に思え、引き寄せて慰めようとして――突っぱねられた。
「カミーユ?」
「同じだ、あなたもあの人と。俺にやるべきことや責任ばかり求めるくせに、そうしてすぐ子ども扱いしようとする。
なのに、そのくせして自分では何もしようとしない」
「そんなことは……」
やり場の無い感情が次なる捌け口を見つけた。
とめどなく湧き出てくる感情が自己の不満へと姿を変え、ベガに襲い掛かってくる。
「だったら何ですか? あの男の、ユーゼスのいいようにさせている。汚いやり口から目を塞いで自分は見ない振り、気づかない振りをしている」
「違……」
「違うと言うのなら何故、好きにさせているんです?」
カミーユのユーゼスに対する不満や反発は知っていた。ユーゼスの行動や発言も知っている。
しかし、その殆んどは一応の筋が通っているものばかりである。合理性を突き詰めればそうなるというものが多い。
ただ彼に抜けているのは、人を思いやるという行為。
それを説くことは出来た。でもしなかった。今理屈を説いてもおそらく逆効果。
感情に流された頭を余計熱くさせるだけのように思えて、ベガは言葉が見つからなかった。
「答えることも出来やしないじゃないか。そうやって反発の一つもしないで、物分りがいい大人を演じて。
それが汚い大人のやり方だって言うんですよ」
カミーユは捨て台詞を残し踵を返すと、基地の内部へと戻り始める。
何もしてない大人。そのように思われ、見られていたということが痛かった。自分は自分なりにやってきたという思いはある。
集団を集団として機能させるため、ユーゼスの力を十二分に発揮させるために、陰日向無く頑張ってきた。
それがまさかあのように見られ、不満を募らせているとは思いもよらなかった。
カミーユが絶対的な味方として自分を自分の側に置きたがっているような気はしてた。
しかし、それを子供の甘えと判断し、努めて中間に位置しようとしてきたのは自分だ。
それが間違いだったのだろうか? それとも知らず知らずのうちに少しユーゼスの側に寄りすぎていたのだろうか?
答えは出ない。出せばカミーユか、ユーゼス、どちらかを切り捨ててしまうように思えた。
それにこの後、二人が顔を会わせるとき、私はどうすればいいのだろうか? どうしたいのだろうか?
そう、私は――
意を決した顔が前を向く。カミーユの消えた基地内部へと続く入り口、そこを見据える。
自分がどうすべきなのか。自分がどうしたいのか。答えは単純だった。
私は――守りたい。
今のこの絆を、手の届く仲間を。
そして、導きたい。
例え自分は嫌われても、間違った大人にならないように人として正しい方向へと。
足を踏み出し入り口から基地の中へ、一歩一歩前へ。
そうやって消えていくその背中には母親の強さが滲み出していた。
「カミーユ、待ちなさい」
B-Part