152話B「家路の幻像」
◆7vhi1CrLM6

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「見つけた」

薄暗い司令室の中、無機質なモニターの明りが燦然と並び立ち無数の文字の羅列を浮かび上がらせている。
襲撃や占拠に備えた迷路の如く入り組んだ造りに迷いに迷い、どうにかこの司令部を見つけ出したのが十数分前。
そこから僅かな時間で目的のシステムを探り当てた。それは性質的に咄嗟に発動できないような造りにはなってはいないとはいえ、まずは上出来と言える。
瓦礫の底から抜け出した後、バーナード=ワイズマンは何よりも優先したことがある。それは機体の確保でもなく、傷の手当てでもない。
その優先するものの為に基地のシステムにアクセスできるポイントを探し、ここを見つけた。
その目的の目途は立った。しかし――

上げた視界がメインモニターを捉えた。
そこでは無数の数式や文字の羅列が表れては消え、消えては表れている。
目で追う暇もないほど目まぐるしく書き換えられていく文字列。
「これは……なんだ」と首を傾げた瞬間、耳が靴音を捉えた。同時に響く聞き覚えのある声。

「解析結果だよ。開発室で行っている首輪の解析とはまた違う役目、バックアップと万が一に備えた解析結果の保存、それが私がここに与えた役割だ。
 まさか生きていたとはな。不運な男と思っていたが、存外に悪運が強いものだ」

硬質な音を響かせゆっくりと規則正しく誰かが迫って来る。背筋が凍りつくのを感じた。
迷いに迷い歩いても誰にも出くわさなかった。だからここに、少なくともこの棟に人がいる可能性は低いと思っていた。
それは単なる幸運な思い違いだった、と知る。その思い違いが一番会いたくなかった人間をここに運んだ。
怖気の走るような雰囲気を纏った男。奴とは顔を会わせたくは無かった。苦みばしった声が漏れる。

「ユーゼス=ゴッツォ!!」
「その通り。この私だ」
「どう……」
「どうやって生きていると知った? どうしてここが分かった? 簡単だ。放送に名前が無いようではすぐに分かる。
 もっとも放送以前に気づいていたがね。
 それに、その出血。何と言ったかな? 獣が狩人に追われているときに足跡を重ねて戻り、大きく跳ねて離れ、逃げるあの性質。狼などイヌ科の仲間によく見られるあれだよ。
 二股に道を分ける。突然跡を消す。血の跡を自覚し、それと似たようなことはしていたようだが無駄な足掻きだ。その程度のことで私を撒けるはずがない」

質問に先んじて与えられた答えに臍を噛む。急く足を抑えて施した術が撹乱にもなっていない。
悔しかった。貴様の浅知恵など何の役にも立たないと言われている様で、それは悔しい。だが、まだ手はある。

「動くな! これ以上俺に近づくな」

警告。
しかし、それに頓着することなく、一切の気を払うことなくユーゼスが歩を進める。ゆっくりゆっくり、しかし確実に間合いが詰まってくる。

「そういえば、まだ答えを聞いていなかったな。三度目だ。返答を聞こう。この私に協力するか否かをな」

くぐもった声でユーゼスは愉しげに笑う。
こちらが敵愾心を抱き始めているのを承知の上で、それを意にも介していない。こちらの答えなどどちらでもいい。
最初からこいつはそうだ。自分以外の人間など認めていない。自分さえいれば何でも出来ると思っている。
ゆえに人を駒と断じて臆すことも、恥じることもない。人に手駒となれというのにいささかの躊躇も持たない。
そんな人間について行けるはずが無い。だから答えは――

「答えはノー! 絶対にノーだッ!!」

答えると同時に手元のキーボードを叩く。手順は簡潔。既に確認済み。後はエンターキーを押すだけだ。

「俺は警告したぞ、ユーゼス。これ以上俺に近づくなって」

基地内に赤色ランプが灯り、警報が鳴り響き始める。一拍遅れて機械の駆動音が響き、ユーゼスの真上に位置する天井が動いた。

「何だと!?」

隔壁が直上から落下する。ユーゼスと自分の間に降ろされる隔壁の数は二枚。
ユーゼスはその二枚目の真下だ。手前の一枚目が重音を鳴らして降り切り、視界を塞いだ。
これでいい。例え、直撃を免れても一枚目と二枚目に挟まれ、ユーゼスは行き場を失う。
終わりだ、ユーゼス。もうお前はどうすることも出来ない。
同質の重低音が続いて鳴り響く。連鎖的に巻き起こり基地全体が震えたかのような”ズン”と腹に響く重い音は司令室にいても十分に感じ取れた。
開閉機能にロックをかけてほっと息を付く。
基地内のそこここに設置され有事の際には使用される隔壁を全て降ろした。これで基地内部にいるはずの人間の行動は著しく制限される。
ユーゼスと言わず全ての人間は閉じ込められたはずだ。後は現状を維持したまま機体を手に入れれば、全てにかたがつく。
不安なのは外部に人がいて内部の異変に気づくことだが、ここから確認できる動きは今の所は無い。
気づいていないだけなのかもしれないが、それは上手く閉じ込めたことを祈る他なかった。
気を取り直して上げた顔、その耳に耳障りな機械音が聞こえた。
先ほどと全く同じ機械音。降り切っていなかった隔壁がまだ残っていた? 馬鹿な。音はすぐ背後から聞こえてくる。
隔壁が巻き上がっていく。

「嘘だろッ!! ロックはかけたはずだ……向こう側にも端末があるにしてもこんなに素早く隔壁の解除なんて出来るはずが……ない」
「全く度し難い愚かさだな。基地の全ては掌握している」

分厚く重厚な弾丸すら通さないその壁体の向うに冷え冷えとした鋭い眼光を感じた。

「君程度の浅知恵で私を閉じ込められると思っていたのか、この空間からの脱出を謀る私を」

通れるようになるまでにはまだ間があったが、そのどす黒い声に全身の肌が音を立てて粟立つのを感じた。
逃げなければと半ばパニックになった頭が働き、隠れ場所を求めて司令室内部をグルリと見渡す。
青白く浮かび上がるディスプレーと端末が整然と並び立ち、その後ろはぽっかりと穴が空いたように空間の開けている指揮所。
隠れる場所などない。あって精々デスクの下、という程度である。
それでも視線は世話しなく動き逃げ場所を探す。
司令室の出入り口は一つ。そこは隔壁で塞いでしまった。なによりもその間にユーゼスがいる。
何か、何かあるはずだ。それでもその思いが視線を巡らせ、メインコンピューターから束になって外へと向かっている有線ケーブルに気づかせた。

――外に何かある。

振り返る。丁度その時、潜り抜けられる高さまで上がった隔壁の闇に青白い仮面が浮かび上がった。

――ユーゼス=ゴッツォ。

迷っている暇は無かった。
度重なる戦闘で割れた窓枠に手をかけ外を覗く。伸びるケーブルの先、巨大な機体がそこに佇んでいる。
ついていると思う余裕も無く腕に飛び移り、つんのめる様にコクピットに身を滑り込ませる。
途端に首輪から脳内へと湧き上がってくる情報の束。疑いも不審がる暇も無くその情報そのままに起動シーケンスを踏んでいく。
スタンバイ状態から復旧したメディウス・ロクスの瞳に光が灯ったその瞬間に、間髪入れず上昇。
とにかくその場から離れたかった。
上空を目指しながら、ディスプレイに次々と表示される機体のコンディションに目を通す。
損傷多数。ENの残量も50%未満。余り状態は芳しくない。
しかし、何だ? 損傷修復中? EN回復中? メンテナンスフリーを実現した機体だとでも言うのか?
だとすれば永久機関が搭載されている? そんなこと可能なのか?
いや、今はそれより……。
湧き上がる疑問を一先ず隅に置き、すっかり全景が視界に収まりきるようになった眼下の基地を見下ろす。
目視で確認できる機体は数機。ユーゼスは仲間が三人いると言っていたが、その数よりも遥かに多い。
破損の激しいものから無傷なものまで様々。だが、あの機体が見当たらない。
あいつはこうも言っていた『内二人は此処にはいないがな』と。

「なら、いないのは……あいつか」

そこに一抹の不安を覚えたが、今現在起動している機体はこのメディウス・ロクスだけ。
つまり残りの機体は未稼働。恐らくここにいるパイロットは隔壁内に閉じ込められている。ならば――

顔が苦渋に歪む。
抗う術はなく、何が起こったかさえ分からないまま人が死ぬ。
人の、生き物の尊厳を無視したその考えを憎悪し、嫌悪し、嫌忌し、そしてそれを行なうことを受け入れた。
初めての機体。万全とは言い難いコンディション。
エネルギーゲインを一目見れば、メディウス・ロクスがMSやMA、ブラックゲッターと比較してさえも規格外な程の性能を秘めているのは分かる。
分かるが、それでも今はまともに一戦を交えたくは無かった。
なによりもあのコロニーに、あいつらの元に帰るためになるべく確実な手段を……だから。

「……すまない」

搾り出すように漏れた言葉が空気を揺らし、メディウスの胸に明かりが灯る。
その明りは大きく赤黒い残照を一瞬吐き出すと、一際鋭く中央に集約されていく。
一撃だ。一撃で中にいる人ごと基地を薙ぎ払う。その準備が整った。
後はトリガーを引き絞るだけ。
出来ることなら誰か止めてくれ、と願った。本当はこんなことしたくないんだ、と思った。
そう念じつつ指をかけた。
震える指でゆっくりとゆっくりと躊躇いがちにトリガーが引き絞られ、願う邪魔者は現れず閃光は解き放たれた。
ターミナス・ブレイザーと呼ばれるそれが、地獄の業火と呼ぶに相応しい赤黒い奔流を伴って降り注ぐ。
予想外の威力に僅か機体が揺らぎ目標にズレが生じたが、それはもたらされる結果からすれば無視して構わない程度の誤差に過ぎない。
大地と言う遮蔽物に遮られたそれは一瞬地表でマグマの吹き溜まりのような光球となり、爆ぜ、広域に広がっていく。
建ち並ぶ倉庫群。基地らしく質素にして剛健に誂られた建物達。あらゆるものが薙ぎ払らわれ焦土と変わる。
膨大な熱量に晒されたモノは粟立ち、瞬く間に熔けて消えて行く。蒸発という言葉がピタリと当てはまる破壊。
直撃を免れた建物も高圧空気の衝撃波に押し潰され、粉微塵となって吹き飛んでいく。
砕かれた破片は渦を巻く爆風に遥か高くまで舞い上がり、上空1000mの高さで佇むメディウス・ロクスの装甲を叩いた。
その破壊が過ぎ去った後、眼下に残されていたのもまた破壊だった。
瓦礫の山が散乱している。そこここで火災が発生し、飛び火した火の粉が被害を免れた火薬に燃え移り、爆ぜ、連鎖的に爆発が続いている。
遺棄された機動兵器達に残されていた弾薬が爆ぜているだけでこの惨状なのだった。
通常、二重三重の防護が施されている弾薬庫とはいえ、そこが空であったことは不幸中の幸いと言えるだろう。
それでも巻き上がる膨大な量の黒煙は周囲を満たし、燃え上がる炎の熱量が機体を焦がす。観測されている外部温度は場所によっては鉄すら溶かす。
僅か数秒前から様変わりした景色。焦土と言うに相応しい情景。
辛うじて原型を留めているのは、司令室の存在する管制塔とあと幾つかだけ。それも無傷とはとても言い難い。
それを改めて丁寧に壊しなおす気力はなかった。
剥き出しの鉄骨、鉄筋、砕かれひび割れたコンクリートの塊、それらが何処といわず混ざり合い散乱し、千に砕けた硝子がそこに混じって煌いている。
呆然と全てを眺めた後、顔が苦悩に歪む。自責の念に駆られて――愕然とした。
生き残りたいと願った。あの場所へ帰りたいと願った。
その為に人を殺すしかないのなら殺す覚悟を決めたのも自分だ。
だがしかし、その代償がこれなのか? 人を殺すのにこんな馬鹿げたモノが必要なのか?
MSが誇る火力とは比にならない。大量破壊兵器。その言葉で収まりきらないほどの強大な火力。
人一人の手には有り余る。人と言わず目に映る景色そのものをこの力は壊してしまう。
そんなものが、こんなものが人を殺すのに本当に必要なのか?
手が震え、未だトリガーにかけられたままの指に気づき、慌てて引き剥がした。
おぞましいモノを握っているような気がした。
何かが間違っている。
生き残る代償とはわかってはいても、目の前には人の生き死にとはまた別次元の破壊が横たわっている。
こんなもの徒手空拳の人間相手にふるっていいはずがない。それをやってしまった。
核が何故禁忌とされているのか、分かった気がした。
あまりに破壊が大きすぎる。人を殺すため、戦争を終わらせるため、その目的に対して相応な域を逸脱している。
何よりもその巨大な爪跡を背負える人間がいないのだ。
自らが押したボタン一つで眼下の光景が様変わりする。それを喜々として行なえる人間はもはや常人とは呼べない。
大なり小なり心が壊れてしまうのが人というものだ。だからその重荷を人は分けて背負う。
核を作った者、決断を下した者、命令を伝達した者、最後にボタンを押した者。
皆が皆、その重荷を感じ、少しずつ他の者に押し付けて軽くする。それでも耐え切れず潰れてしまう者はいるのだろう。
大き過ぎる力は人を狂わせてしまう。
無論、ターミナス・ブレイザーの一撃がもたらした被害は核に及ぶべくも無い。
それでも人と言わずあらゆる物が瓦礫と化したこの光景は、あまりに重い。気が進まない。
何よりも重荷を共に背負うべき存在がここにはいない。全ての重圧に自分一人で耐えねばならない。
だけどその一方で、生き残るためにはこの力が必要だという事実を自覚している。
もう自分では止められない。この力を行使せざる得ない自分が分かる。
生き残りたいんだ。帰りたいんだ。こんな光景を撒き散らしてでも……。
それほどに望郷の念は強い。荷が重い。自分で自分を呪い殺したくなってくる。それでも自分はきっとこの力を振るい続ける。

「嘘を言い通す根性もないクセに……か。どこで耳にした言葉だったかな。
 ハハ……その通りだ。アルやクリスにだけじゃない。自分についた嘘ですら俺は……」

卑怯者だと思う。根性無しだとも思う。こんなことをしたって俺がしたことが許されるわけじゃない。
『いつ』じゃなく。『どこ』でもなく。『今』俺はきっと道を間違えたんだと思う。自分に誇れるモノがこの道の先にはきっとない。
でも、もう戻れない。進むしかないんだ、この道を……なのに自分ひとりでは背負いきれない。だから――

ひどく震える指先でゆっくりと通信のスイッチを入れる。
ランプに通信可能を示すグリーンの光がゆっくりと灯るのを確認して、バーニィは渇き切ったその口を開いた。

「こちらジオン軍サイクロプス隊所属バーナード=ワイズマン。もし――」


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