152話C「家路の幻像」
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髪を焦がし、凄まじい熱波がうなじを灼いていた。帯電した空気が爆ぜ、衝撃波となって吹き荒れる。
背にしていた隔壁が粉々に砕け、飛び散る破片に弾き飛ばされる。
仰向けにひっくり返るような格好で、したたかに後頭部を打ちつけた。鼻から脳天に痛みが突き抜ける。
鼻の奥がきな臭い。吸い込んだ空気が熱い。
何が起きたのかは分からなかった。何故こんなことになったのかわからなかった。
警報が鳴り響き、赤色灯が点ったかと思うと、隔壁が猛然とした勢いで降ってきたのだ。
そして、次に起こったのがこの急な爆発だ。暫くは身を小さくしておさまるのを待つしかなかった。
そんな状態で正確な状況が飲み込めるはずも無い。
だから今は、砕けた隔壁の代わりに比較的大きな瓦礫を見つけると、その影にほうほうの体で逃げ込んでいた。
そのまま身を潜め、じっとしている。そのまま致命的な爆発が起こらないことだけを祈っている。
どれほどの時間そうしていただろう。実際には大した時間ではなかったのかもしれない。
だが、動くに動けず、近くで爆音が起こるたびにその身を竦ませて、逃げ出したい衝動を押さえ込んでいる立場からすればそれは永久の長さに感じた。
全ての喧騒が遠くなり、自らの荒い息遣いが感じられるようなって、やっとカミーユは瓦礫の下から這い出した。
盾にしていた頭上の大きな瓦礫から小さな破片がパラパラと頭に降ってくる。見上げてみるとそれは壊れた隔壁の一部だった。
崩れた豆腐のように不規則に粗い断面。そこから突き出している鉄筋と鉄骨を足場にして、大きな瓦礫の上によじ登る。
よじ登って広がった視界にカミーユは息を忘れて立ち尽くした。
コンクリートの瓦礫、むき出しの鉄筋と鉄骨、帯電したケーブル、硝子の砂。それらからなる瓦礫の荒野が遠くまで広がっていた。
ここはこんなに見晴らしがよかったか? どうにか動いた思考が考えられたのはそれだけだ。
僅かな建物が申し訳なさ気に佇んでいる。
爆発前と変わらない物はそれぐらいのもので、おそらく無事であるだろう機動兵器も瓦礫に埋もれてしまったのか見当たらなかった。
呆然と見回す視界の中、遠くで時折小規模な爆発が巻き起こる。その爆風に運ばれてオゾン臭と焦げ付くような臭いが流れてきた。
そう、何かが焼ける臭い。
植物やゴムといったものではなく、どちらかと言えば魚よりも肉に近いような……ハンバーガー店の厨房から漂ってくるようなこの臭い。
そこまで考えて強烈な吐き気が込み上げてきて、戻した。
ここで焼けるような肉など一つしかない。ここはこれまでに数度の戦闘を繰り返してきた場所だ。
死んだ者の中にはきれいさっぱり蒸発してしまった者もいただろうが、そうでない者も当然いたに違いない。
胃液と唾が混ざり合った苦い唾液を吐き出して、口の中の嫌な味をごまかす。
そこで、ふと気づいた。

ベガ……さんは?

周辺を見回す。
身を隠せそうな程大きな瓦礫。堆く積もっている小さな硝子の破片。盾に使えそうな壁。千切れて大蛇のようにうねっているケーブルの脇。
どこにも動くモノはない。何もない。時折細かい破片がパラパラと音を立てるだけ。
――死。
脳内に湧き上がってきたそれを振り払うように、喉を震わせて声を張り上げた。

「ベガさん、何処ですか? 返事をしてください!!」

自分の声が山彦のように反響するだけで何の返事もない。
余計に死が色濃くなり、それを拭い去ろうと躍起なって搾り出すように声を張り上げる。
張り上げながら、思い出そうと混線する記憶の糸を必死に手繰っていた。
何をしていた? 爆発の起こったとき、起こる前、隔壁が下りたとき、何処にあの人はいた?
思い出せ!! 何処だ? 何処に、あの人は――

そして、思い出す。
通路を足早に歩く自分を追いかけ、五月蝿く纏わりつき、口をすっぱくして小言を漏らしていた彼女。
それに反発を覚えて、罵声を浴びせていた。そのまま口論に鳴りかけたときに警報が鳴り響き、出し抜けに突き飛ばされたのだ。
それで隔壁を一枚隔てて左右に分かれることになった。
そのときは隔壁の下敷きにならずにすんだことにも気づかず、突き飛ばされたことにただ腹を立てて、顔をつき合わせずに済むようになったことに清々してて。
それで何か壁越しに言い募るあの人の言葉を聞こうともしないで。そして、あの爆発が……。
はっとして今自分が足場にしている壊れた隔壁を見下ろした。
この隔壁だ。この隔壁が自分とあの人を左右に分けた。だったら、あの人は直ぐそこに。
滑るように隔壁を伝い瓦礫の中に足をつく。細かく砕けた破片が砂利のような音を立てた。
分かってはいる。この周辺で原型を保っている隔壁はこの一枚と背後の一枚。そのただ二枚しか存在しない。
その中で無事な隔壁に運良く挟まれた自分を除いてどうして人が生存など出来るのだろうか。
分かってる。全て分かってる。それでも、それでも掘り出す作業を続けずにはいられなかった。
重い瓦礫を持ち上げ、細かい硝子の破片を掻き分ける。腕で持ち上がらないモノは全身を使い脚で蹴り出す様にして押し出す。
それでも無理なモノは折れた鉄筋を梃子にして横にどけた。
だがどうやっても持ち上がらないものがある。動かないものもある。中には熔けて断面が灼熱しているものすらある。
一人の力で全ての瓦礫をどかして一人の人間を見つけようなど土台無理な話であった。
それでも動かずにはいられない。いられなかった。傷を拵え、汗を拭い、肩で息をしながらカミーユは思う。
何も聞いていなかった。
あの人は何を言っていた? 何を必死で説いていた?
拗ねて当り散らすだけ当り散らした俺に何を教えようとしてた?
邪険に扱われ、粗末に扱われ、それでも何かを伝えようとしてたあの人の言葉を俺はどれだけ真剣に聞いていた?
腕が震える。視界が濁る。
駄目だ……何も思い出せない。俺はあの人の言うことを何も聞いていなかった。
俺は馬鹿にしてただけだ。あの人の言う注意も何もかも、自分ならもっと上手くやってやると自惚れて。
あの人は何て言っていた? 隔壁が閉じた後、爆発が起こる前。耳には届いていた。届いていたはずなのに、何も思い出せない。
壊れたスピーカーの立てる砂嵐のようなノイズ音がやけに耳についた。耳について気づいた。

――人の声が混ざってる?

『――ロプス隊所属バーナード=ワイズマン。もし……もし誰か生きているのなら聞いてくれ。
 こんなことを言ったところで俺のやったことはなくならないし、許してもらえやしないのは分かってる』

言葉が区切られる。ノイズ音だけになったスピーカーに苛立つ。
誰だ? いやそれより、何だ? 何を言っている?

『俺は生き残りたい。帰りたい……すまない。俺のやっていることは間違っているのだと思う。
 生きて帰りたいからといってこんな……災害を巻き起こして許されるはずがない。でも仕方がないんだ』

ワイズマンと名乗る男はところどころ息を呑み込みながら、苦渋に満ちた声で話している。
だが、カミーユのその相手の様子に気づく余裕はない。自己を喪失しそうになりながら呆然と話を聞いている。
今……何て言った? 貴様のやったことか?

『俺には……帰りたい場所がある。帰って会いたい人がいる。だから……俺はこの間違った光景を振りまき続けると思う。
 自分では止められない。帰りたいんだ。会いたいんだ……どうしようもなく。あいつらの顔が見たいんだ。
 だから、お願いだ。誰でもいい。誰か……俺を、俺を止めてくれ……』
「ふざけるなッッ!!!」

頭が熱くなるのが分かる。カッとしたものが込み上げ来るのを自覚しながらも、自分ではどうにもできない。

「生きて帰りたい? 会いたい人がいる? 何でその気持ちでもう少し下に居る人達のことを考えてあげられなかったんだッ!!
 殺しちゃいけなかったんだよ! この人にも帰る場所があった!! 帰りを待ちわびている人がいた!!! まだしなきゃならないことがあったんだッ!!!!
 死んでいい人じゃなかったんだよッ! それをお前は殺したんだッッ!! 一方的に!死んだという自覚すら与えずにッ!! 命を奪ったんだよッッ!!!
 それで自分は間違っているから止めてくれだって? ふざけるのも大概にしろ! そんなに死にたきゃ一人で勝手に死ねよッッ!!! 死んじまえよッッッ!!!!」

固く拳を握りこみ、一息に言い終えて息が切れる。荒い息継ぎをしながら落ち着かない。
許せなかった。許せるはずがなかった。
気持ちが治まらずに見上げた視界には遥かな高度に佇む機体が一つ。たしかゼストと言ったか? ユーゼスの機体だ。
その空を赤い閃光が南北に駆け抜けるのを、そのときカミーユは目撃した。


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