154話「古よりの監査者」
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星の砂を撒いたかのような明るい宇宙に、巨大な球体が大小一つずつ浮かんでいた。
他の氷の結晶に薄い色をつけたような天体とは、明らかに異なる物体。
その小さいほうの名はネビーイムと言った。
ある世界において地球を襲い、数多くの人間の運命を狂わせた白き魔星。
その中枢へと一人の少女が足を踏み入れる。
本来の主であるレビ=トーラ。その少女の緋色とは対照的に蒼い髪を棚引かせた少女――アルフィミィ。
現在、このネビーイムを掌握しているのは彼女であり、ジュデッカの代用品としてその中枢に据えられているのはデビルガンダムである。
そのデビルガンダムとネビーイムの再接続を行ないつつ、アルフィミィは悩んでいた。
「やっぱりネビーイムを使ってはいただけませんの……」
このネビーイムは本来『箱庭』の管理の為に用意したものではない。
崩れ行く主の体。その代わりとして、ある世界から持ってきた物だ。だが、主は使ってはくれなかった。
主の身体は弱っている。
かつて、全宇宙の命運を賭けた一つの大戦があった。
その戦いの最中、激動の地上を征し、激震の宇宙を切り抜け、決戦の銀河にて主の前に立ちはだかった者たちがいたという。
始まりの地で生まれ、宇宙へと広まっていった命の種子……禁断の知恵の果実を口にし、欠陥の生じた生命体。
人間。
その戦いに主は勝利した。だが同時に深い傷を負い、その力の大半を失った。
新たなる宇宙、完璧なる生命を生み出す力は残されておらず、この閉じた空間に引篭もり長い眠りにつく他なかったのだと聞く。
しかし、時は傷を癒してはくれなかった。どれほどの時を治癒に当ててきたのか、アルフィミィは知らない。
だが、悠久の果てとも言うべき長き時間を眠りに費やしてきたのだということは、分かる。
その膨大な時間は主の体に化石化を起こさせ、身体の自由を奪った。現在この空間に潜んでいる主は傷ついた体のまま、指一本動かすことすら出来ずにいる。
だから、だ。だから私が生み出された。
ただ使役されるだけではなく、主に頼ることなく自立的に判断し行動することの出来るアインスト。
その最大の目的は、新たな身体の憑代となるべき身体を手に入れることだと、アルフィミィは理解している。
その目的に沿って幾多の次元を渡りアルフィミィが選び出したのが、ネビーイムであった。
しかし、主はこの白き魔星を使ってはくれなかった。
理由は分からない。主の衰弱具合は、最早進退の余地がないところまできているはずだ。それは眼下に目を向ければ嫌がおうにでも分かる。
この白き魔星の眼下に広がるのは、茶褐色から白の中間色を幾層にも重ねたような柄をしたもう一つの球体。
もしこれを地球圏の人間が見れば即座に木星と断ずるほど、それは太陽系第五惑星に似ている。
しかし、それは木星ではない。
実物の木星に比すれば驚くほど小さく、大気に代わって次元境界面が内外を分断している。
浮かぶ大赤斑と表層の縞模様は境界面が安定していない証であろう。
事実内包されている空間は歪に曲げられ、強引に平面を成されているが為に不安定だ。
明らかに木星型惑星とは異質の存在。異なった空間。
しかし、ある世界の住人が見ればきっとこう答えたことだろう。東京ジュピターにそっくりだ、と。
その異質な空間に正式な名はなく、ただ便宜的に『箱庭』と呼ばれていた。
それの不安定さが示している。
確かに数日保てばいい急ごしらえの空間。だが、安定しているに越した事はない。
無理なのだ。憑代に転生を行なう最後の力を除けば、その程度の力も主には残されていない。
新たな宇宙で古き宇宙を塗り潰そうとまでした存在が、もはやこの程度の空間を安定さ
せることすら不可能になっている。
「急がねばなりませんの」
『箱庭』に浮かぶ大赤斑の直上、この白き魔星――ネビーイムの中枢で、一人再接続作業を進めつつアルフィミィは呟く。
急ぎ、新たなる憑代を選別しなければならない。
ペルフェクティオ、メディウス・ロクス、神聖ラーゼフォン、ゲッターロボ、そしてデビルガンダム――候補は幾多挙がっている。
だがネビーイムを超え、主の憑代たるに最適な状態でそれらを得るだけの力は、自分にはない。
だからこの宴を開いた。
自身の力でも得ることの出来る状態で集めたサンプルを、憑代たるに相応しい状態へと移行させる。
その為に弱った主の力を借り受けてまで、アルフィミィはこの宴を開いた。
しかし、それはあくまで自分の目的。主は主でまた何か別の思惑があるように感じられる。
まるで何かを見極めようとしているかのような……。
「……んっ!」
僅かな電流が背筋を走り抜ける感覚に襲われ、くぐもった声が漏れた。接続が完了した。
同時に不在の間ネビーイムに溜め込まれていた種々の情報が吸い上げられ、流れ込んでくる。
サンプルの現在位置、ここ一時間余りの大まかな行動、そして声ではなく思念。
最大時で五十名を超える人数。それぞれが発する声を同時に聞き取ろうとしようとも出来るものではなく、ざわめきと化す。
それは思念でも同じことだが、思念の方が感情の色が付き易い分直感的な判断が可能でより分かりやすい。
それに強い思念は群衆の中で声を大にして叫ぶのと同じだ。思念が強ければ強いほど声は大きく、色は明確になっていく。
だから分かる。何を考え、何を思い、人は最期のときを迎えるのか。その最期の声を聞き逃すことはない。
ゆえにアルフィミィは聞いてしまった。聞こえてしまった。自らと同じ造られた生命、人を模した生き物の最期の声を。
その声は喜びに満ちていた。その心は誇らしげに笑っていた。
自らは人間ではなく、人間になどなれぬ事を知りながら、その一方で己は人になれたのだという確信と満足感がそこにはあった。
「……うらやましいですの」
何もない中空を見つめ、ぽつりと言葉が漏れる。
素直にうらやましいと思う。
人と混ざりメリオルエッセではなくなりながらも人にもなれず、宙に浮いた足場に揺れ動き続けた者。
だが最期の最期で人になれた。少なくともそう思うことが出来た。
それがうらやましい。
そしてもう一人。誰でもない身でありながら、強烈な意思の力で自分を演じ続ける者がいる。
そういえば、私は二人目なのだとノイ・レジセイアは言った。
一人目のアインスト・アルフィミィを作成した際に、蓄積されたデータ。それを元に作られたのが自分だ。
ペルゼインの内部にいなくとも崩壊しない体。
外に出ることすら適わなかった一人目よりも、より人間に近づいた存在。それが自分。
人を模したアインスト。立場は似ている。しかし、決定的に違っている。
完全な生命の失敗作。人にはなれない存在。その結論は既に一人目で下されている。
どれだけ人に近づこうとも、生まれながらに出来損ないの烙印を押されているのが自分だ。
それを考えればむしろ自身の生い立ちはあの兄弟に近いのかもしれない。
それに、と思う。それに人間にそれほどの価値があるだろうか?
人を模して造られた。だが、追い求めるだけの価値が本当に人間にあるのだろうか? いや、そもそも私は――
「……人間を求めていましたの?」
小首を傾げたその上に、特大のクエスションマークが浮かんだ。
求めていた……ような気もする。でも違うような気もする。どうにも曖昧ではっきりしない。
当然答えが出るはずもなく、所在無さ気に宙に浮く思考。そこに突然巨大な思念が流れ込んできた。
「!?」
誰かが死ぬ。閉じられた箱庭の中で誰かが今死のうとしている。
首輪を通じて流れ込んでくる巨大な思念。それは取りとめもなく様々なことを思い出し、次第に一つに纏まっていく。
それに触れ、繋がると言うことは、その者の人生を追体験することと同じことだ。その者の魂に触れるということと同義だ。
快と不快しか知らなかった感情が喜怒哀楽を理解し、複雑に分岐していく。達成感・歪んだ愛憎、怨み辛み、期待希望、妬み、野望――様々な感情が湧き上がる。
命が最期の燃え上がりをみせる。
託すべき相手を見つけ、託す。敵を捉え、侮る。しかし、火種が足りない。燃え尽きる。
時間が欲しい。もう半秒生きていたい。まだ死にたくない。自分はまだ何も為していないのだ。
その思いを突き抜け、最期に見えた姿はこうありたいと思う自分。こうあって欲しいと願った母の姿。
それがこの人の本質なのだ、と理解した瞬間――
「……また一人……逝ってしまいましたの」
――命の残り火は燃え尽きた。巨大な思念は霧散して既に跡形もない。
息が弾んでいた。白い肌は高潮して桜色に染まり、心臓の脈打つ音が間近に聞こえる。
汗でおでこに張り付いた前髪を右手でかきあげながら思った。
――慣れませんの。
既に三十を超える数、同様のことを繰り返した。だがそれでも慣れない。
一人一人が違いすぎるのだ。同じ人間という種のくせに個々の違いが甚だしい。種族全体を統一する意識もなければ、共通の意識野も持たない。
不純物が多く、共通項が少ない。
――人間とは何ですの?
自分達アインストはこんなことはない。ノイ・レジセイアの巨大な想念の元、一つに統率され動いている。
本当にそうか、と疑念が持ち上がる。
アインスト全体としてみれば疑う余地はない。だが、自分はどうだ?
主の目的を読みきれぬ自分。自身で判断し行動を起こせる自分。人というモノを模して造られた自分。
本当に自分は統率された意思の元で動いているのか? もしかしたら――
そこで気づいた。思考が取りとめもなく右から左へと揺蕩っている、と。
――おかしいですの?
少なくとも一日前にこんな考えを抱くことなどなかったはずだ。誰が生き残るのか、この無邪気な遊びを心待ちにしていたはずだ。
いつからだろう、と記憶を遡った思考が、そういえば、と別の方向に揺れる。
そういえば、エクセレン=ブロウニングは自分のことを知っていた。だけど自分は彼女のことを知らない。
ならば、何故彼女は自分のことを知っていたのだろうか? 彼女が知っていたのはもしかすると――
「一人目ですの?」
小首を傾げて発した問いに答える者はいない。答えられる者がいるとすればそれはただ二人――ノイ・レジセイアとキョウスケ=ナンブ。
だがこの程度のことで主の手を煩わせるわけにはいかない。箱庭に干渉を起こすことにおいては論外だ。
となると自分の中で結論を出す他ないのだが、答えは自身の中には存在しない。結果、疑問は宙に浮く。
腕を組み小首を傾げたままハテナマークが増え、周囲を埋め尽くしていく。そのハテナの山に沈みそうになった頃、アルフィミィは結論付けた。
「ま、どうでもいいことなのですの」
そう、どうでもいいのだ。ここ数十分の間に湧き上がってきた様々疑問。その全てがどうでもいいことなのだ。
自分が留意するべきはゲームの進行に関わることのみ。その他のことはどうでもいい。
その一方で、聞いてみよう、とも思っていた。
聞いてみよう。もしキョウスケ=ナンブが自分の前に立つことがあれば聞いてみよう。
彼だけではない。
次元を超え、自分の前で救命を訴えた男。己の生い立ちを呪い続ける兄弟。自分と同じ誰でもない身でありながら迷いなく自らを律し続ける男。
彼らには、聞いてみたいがことがある気がする。だから機会があれば聞いてみよう。そう決めた蒼の少女の顔は、どこか儚げに笑っていた。
【アルフィミィ
搭乗機体:デビルガンダム(機動武闘伝Gガンダム)
パイロット状況:良好
機体状況:良好
現在位置:ネビーイム
第一行動方針:バトルロワイアルの進行
最終行動方針:バトルロワイアルの完遂】
【二日目7:45】
理解……不能。
我は監査者……監視し、歪みや過ちを正す者。
だが、始まりの地から来た者達……言った。役割……進化を見守ることのみだったはず、と。
理解……不可能。
過ちは正さねばならぬ。混沌を正すために……『門』を開き古の記録に触れる者を排除するために……。
だが……何故。
何故、我は新たな生命を……人間を創れなかった……。
だが……何故。
何故、我は歪みを……新たな宇宙を創れなかった……。
『箱庭』……人間……変わらぬ。憎しみあい……殺しあう。問題。問題。問題……あり。
宇宙……静寂で…なければ……。憎しみあう……望んでいない……望んでいない世界……修正。
力……足りぬ。決戦の銀河にて失われたかつての力が……古き宇宙を新たな宇宙で塗り潰す力が……。
宇宙の静寂と秩序を守るために……始まりの地の者から不純物を取り除き、新たな……人間を……。
そのための……サンプル……、身体を……新たなる身体を……。
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