156話A「争いをこえて」
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両の眼を目一杯見開いたその顔は、驚きに揺れていた。
何故この遭遇を考えなかったのか。
あの大乱戦から約六時間。既にこの周辺にはいないとタカを括っていた。
六時間もこんなところで何をぐずぐずしていた、と自らを棚に上げて思う。
絶句した顔には苦笑いすら浮かびはしない。
カティアを殺し埋めた岩山の上空を抜け、G-6からE-6の平原に入り十数分が経過した時のことだ。
オルバが北から南下してくる機体を確認した。
黒を基調としたボディーに四肢に誂られた円筒形の赤いタービン。
切り裂かれた左腕は失われて久しく、耳の位置で左右に細長く伸びているはずの角もまた一方は失われている。
全てが一致している。間違いはない。
先の混戦で直に手を交えたあの相手――ロジャー=スミス。
「これやばいって……」
滲み出た声にはっとして通信機のランプを確認する。コンディションレッド、不通を確認して冷やりとした汗を拭う。
取巻く状況が難しいのだ。
三隻の戦艦がしのぎ合うあの混戦の中、最初に相対したのが不戦を訴えていたこの交渉人だ。
それに対して自身は敵対した。ソシエの怪我、無敵戦艦ダイの存在という根拠を持って葬り去ろうとした。
それ自体の筋は通っていないわけではない。
あの場においてムサシを始めとしマサキ・キラ・ソシエ、誰もがダイの脅威を疑わず、テニア自身も疑いはしなかった。
その結果、不慮の乱入者があったとはいえ戦端は拓かれたのだ。
しかし、とテニアは併走する機体に目を向ける。
しかし、ここでその理屈を振りかざし一貫した姿勢を交渉人に向けることは出来ない。
致命的な矛盾が生じる。
オルバを始めとするナデシコの面々に真実として語った出来事。
Jアークに拠る集団に非人道的な目に合わされたという、自身にとって都合のいい偽りの事実から外れてしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。八方塞がりにも等しい状況が焦りを駆り立てる。
大体にしてこのロジャー=スミスという人間が厄介なのだ。
最初のあの場で、ここに存在する全ての人間が見ている目の前で、自らの立ち位置を明らかにして見せた存在。
ほぼ確実にこの殺し合いに乗ることがないだろうと誰もが認めるその存在は、それだけで旗印となり一定の求心力を得ている。
その影響力を大袈裟に言えば、ロジャーに組する者は善、対立する者は悪の単純な構図が擬似的に成立しかねない。
少なくともオルバの言う『僕たちが信用できると思える人物』に当てはまり、『潔白』を証明しうる人物。
しかし、その証明の内容は矛盾を曝け出しテニアの足場を崩す言葉となる。やっかいなことこの上ない。
――考えろ。考えるんだ。
交渉人に睨まれず、オルバにも疑念を抱かせずにこの場を切り抜ける奇跡のような一手を。
もう接触までいくらもない。焦りが瞳を揺らす。
――このままじゃまずい。まずいんだって、テニア。
ここを切り抜けなければ全てが無駄になる。
勝ち取ったナデシコでの信頼、ガウルンとの交渉。
ムサシやメルアやカティアを殺したこと、殺してまでして固めた決意。全て無駄になる。
引き返せない道に足を踏み入れたんだ。今更なかったことになんてできない。できっこない。
でも……でも、どうしよう見つからない。
電波を受信した通信機が一瞬ノイズ音を立てた。その音に恐怖する。
「私の名はロジャー=スミス。フェステニア=ミューズ嬢、あなた方との交渉を望んでいる」
冷静に交渉を申し出てくるその声が、死神の鎌のように感じられ首筋に刃物の冷たい感触を錯覚する。
名前を呼ばれた。知らない。人違いだ、ではもう逃げられない。割ってはいるのはオルバの声。
「こんにちは、ネゴシエイター。直に顔を会わせるのは初めてかな?」
「その機体……君もあの場にいた者のようだな」
「そのようだね。オルバ=フロスト、覚えておいて貰おうか」
考えるその脇でオルバが名乗り、互い挨拶を交し合う。
その間にも頭の中で脳が答えを求めて奔走する。
二人の会話に混ざる余裕はない。だが、聞き逃しもしない。
「情報交換は僕としても望むところだ。テニア、いいね?」
「……うん」
振られた言葉。賛同するしかなかった。
名目上だろうとなんだろうと今は他者との接触を第一に行動しているのだ。否定できるはずがなかった。
同時に追い詰められていく身を自覚する。
「なら私から一つ提案がある。私はネゴシエイターとして話し合いの場に武器を持ち込まないことを決めている。
そして、話し合いとは互いの立場が対等な状態で行なわれるべきだ。
故に私は互いに機体を降りた状態での話し合いを希望する。了承が取れた場合、提案者である私がまず機体を降りよう」
考え込む振りをして口元に当てた手、その下で唇がにぃっと釣り上がり八重歯が覗く。
願ってもない申し出だ。これ以上ない申し出だ。ほとんど唯一といっていいほどの突破口。
それを与えてくれた。
今、この場を穏便に切り抜ける手段はやはり思いつかない。
だが、形振り構わないのであれば話は別だ。ロジャーとオルバ、二人が機体を降りたところを――
「大した心構えだね……いいよ。その提案を呑もう。安心しなよ、ネゴシエイター。
君が機体を降りた途端ズドンなんて真似はしやしないから」
降りたところを……って、読まれてる? いやまさかね……ハハハ。
そうこうしている間にも徐々に詰まってきていた距離は既に1kmをきっている。
その距離が残り500m前後になってロジャー=スミスの乗る機体が静止した。釣られてこちらも立ち止まる。
胸部のハッチが開放され、黒一色に身を包んだ男が姿を現すのが見えた。その男はそのまま機体から降り立ち、迷うことなくこちらに向かって歩き出す。
馬鹿な男、そう思い、後はオルバが機体から降りるのを待つだけ、そう思った。
そうなれば後は高々500m程度の距離なんてこのベルゲルミルの手にかかれば造作も――
「テニア、まずは君から先に降りろ」
って、やっぱばれてる! いや、まぁ、そんな気はしてたからいいんだけどね。
そんな都合よく物事が運ぶなんて思ってなかったから、べっつにぃいいんだけどさぁぁあ。
いや、全っ然良くないよ、アタシ。
ちらりと横目でオルバの表情を確認する。頑なな光がそこにある。
ホンの一時間ほど前「僕は君を信用していない」と言い放った姿を思い出し、ごねても無駄だと悟る。
信用してないと言い切ったオルバに対して、自分は信用させようとしている側にいる。今はごねてもごね損にしかならない。
それに、だ。それに、運悪くベルゲルミルはディバリウムの前に立った状態で静止している。
下手をすれば後ろから撃たれかねない気もしていた。
でも、ただ唯々諾々と従うのも主導権を握られているようで、どうにも気に入らない。気に入らないったら気に入らない。
「もう一度言う。君から……」
「あ〜、はいはい。二度も言ってくれなくても聞こえてるわよ。アタシから降りればいいんでしょ?
オルバさんはアタシをまだ信用してくれてないんですものねぇー」
不満をたっぷり塗りこめて一息に言い切ると、そのまま腹立たしさをぶつけるようにして勢いよくハッチを開け放った。
一瞬照らし出された朝日の陽光に目が眩み、雲一つない青空を認めて『今日も晴天だ』と場違いな感想が頭に浮かぶ。
同時に半ば感情的、反射的に機体のハッチを開け放った身を自覚して『アタシ、馬鹿だ』という思いが込み上げてきた。
何の方策も思いついてない。どうすればいいのかも分かってない。ただ流されて追い詰められていっている。
難解なパズルのような状況の中、見つからない答えを探して赤毛の少女はただ呆然と立ち尽くしていた。
「ちくしょう……お天道様が今日も目に眩しいぜ」
……立ち尽くしていた(※絶賛現実逃避中
◆
起伏の乏しいなだらかな丘に丈の短い草木が覆い茂り、彼方まで見渡せる緑の牧草地帯。
牧歌的な風景が彼方まで広がるその草原を進みつつ、それとなくロジャー=スミスは周囲に気を配っていた。
見晴らしのいいこの場所は、都合がいい。
頭にあるのは夜の暗闇の中、同じように一人生身で交渉に赴いたときのこと。
あの交渉における最大の失敗は目の前に気を取られすぎていたことだ。気負って力が入りすぎていたのはまだいい。
だがしかし、そこに入れ込むあまり周囲に対する警戒を解いていた。そこまで気が回らなかったと言えばそれまでだが、その結果があの乱戦だ。
あの黒い機体やキラやソシエ、もう一隻の戦艦を責めるまでもなく自身にも責はある。
だからこそ、二度と同じ轍を踏んではならない。
ざっと見渡したところビルのような遮蔽物は何処にもなく、また機動兵器が隠れられるほどの起伏もない。
それに、だ。それに万が一に備えてソシエを凰牙に残している。最悪の場合の役には立つことだろう。
もっとも気持ちよく就寝中の彼女を起こすのは、忍びなかっただけのことなのだが。
一先ずは問題ないと見て立ち止まり、視線を自らの交渉相手へと向けた。
機体の数は二つ。
一機は、まるで雷神の天鼓のようにその背に勾玉を巡らせた以外は、至ってシンプルな白銀の機体。
もう一機は人型ですらなく、その赤黒い色身と形状からラフレシアを想起させる異形の機体。
それぞれからそれぞれのパイロットが姿を現し、機体を降りてこちらへと歩みを進めていた。
そして、互いの表情が十分見て取れるほどの距離になって彼らもまた足を止める。
一人は、ミッドナイトブルーの短い髪をオールバックにした細身で中背の青年。
服装は落ち着いてはいるものの薄紫のタートルネックに原色の青と白のジャンパーという組み合わせは、どうにも趣味が悪い。
薄く笑いを浮かべるその表情が、上品下品の違いはあれどどことなくベックに似た印象を抱かせて僅かに眉を顰めさせた。
それに対してもう一人は、綺麗な赤毛をざっくばらんに伸ばした肉付きの良い少女。
奇想天外ではあれど動きやすさを重視したような服装が活発な印象を与え、そのお転婆そうな雰囲気はソシエに近いのかもしれない。
だが、どこか影がある。それがムサシを撃ったことに関係しているのかは、まだ分からない。
黒いサングラスの下で目線を鋭く走らせてざっと二人を見回し見比べた後、落ち着き払った態度でロジャーは口を開いた。
「御労足頂き、感謝する。改めて名乗らせて頂こう。私の名前はロジャー=スミス。ネゴシエイターを生業としている者だ」
「知っているよ。君は最初のあの場所でひどく目立っていたからね」
「私としては当然の質問を投げかけたに過ぎなかったのだがね。
まぁいい。今、私はある二つの交渉の依頼を別々の人物から受けている。それについて君たちと話がしたい」
「交渉? どんな?」
「正確には交渉の場を整えるのが私の仕事だな。ある戦艦とある戦艦引き合わせる、それが私の受けた依頼の内容だ。
君は白亜の戦艦に身を寄せているのだろう? キラ=ヤマトと言う少年が君たちに会いたがっている。伝えてはくれないだろうか?」
「へぇ……」
言葉に乗せて監視の目を走らせる。黒いサングラスで目元を隠しているのだ。視線を気取られる心配はない。
キラの名前を出したその瞬間の一時だけ、テニアの体が一度ぶるりと震えるのを見逃さなかった。
それが、怖れによるものか、慄きによるものか、はたまた不安によるものか、その判別は難しい。
だが、動揺を表したということは、何かしらの気に咎める部分があるのだろう、とロジャーは推察する。
「返答は?」
対して、現在のところ全ての受け答えを行なっているオルバ=フロストの様子は変わらない。
常に薄い笑みを絶やさないが、そのライトグレーの瞳は最初から一時も笑ってはいない。
むしろ冷淡とも取れる光を放ち続けるその目を見て、ロジャー=スミスは前言を撤回した。
この男にベックを見たがそれは違った。
むしろ、常に余裕を崩さないその姿勢は、アレックス=ローズウォーター――パラダイムシティの実権を握るあの男に近い気がする。
とは言え『似た印象を受けた』ただそれだけの理由でオルバとアレックスを混同して考えるほど、ロジャーも愚かではない。
だからこそ表情を崩さずに一本筋の通った姿勢で返答を待ち続けることが出来る。
「……その前に互いの情報を交換しておきたい。情報は必要だろ?
それは君の提案を呑む呑まないに関わらず、互いに不利益になるものじゃない。
だったら互いの立場が決まる前に交換しておく方が、信頼が持てる。そうだろ、ネゴシエイター?」
「その通りだが、それは我々が敵対することになった場合の話だ。協力関係になった場合、情報の信頼性は揺るがない」
『断った後に受け取った情報など信用できない。平等な交渉を続ける為にも先に情報をよこせ』と暗に仄めかしたオルバ。
『協力関係を築いた後の情報であるほうが、信頼が置ける。情報の交換は後でもいい。それとも事を構える気か?』と切り替えしたロジャー。
空気がピンと張り詰める。
それでも別に構わないよ、とでも言うような強気の姿勢を崩さないオルバを前に確認して、仕方がない、とロジャーは自らが折れることを決めた。
この相手は自分と相手の置かれた立場をよく理解している。ここでこちらが折れざる得ないことも計算の上なのだろう。
それだけの読みを持っているからこその強気だ。
今はあまり喜ぶべきことではないのかもしれないことだが、言葉の駆け引きをして面白い相手ではあるようだった。
もっとも、若いだけに我を押し通しすぎるきらいはあるが……。
「まぁ、いい。ここは私のほうが折れるとしよう。何から聞きたいのかね?」
ロジャーは二人の目の前で、お手上げとでも言うように肩を竦めて答えてみせた。
B-Part