158話A「黄金の精神」
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「こちらはJアーク、キラ・ヤマト。もしこの声が聞こえていたら、応答願います。こちらはキラ・ヤマト、戦う気はありません」

補給を済ませ、休息を取っていたアイビスの耳に届いたのは少年の声だった。
食べかけのパンを放り出し、慌てて物陰に伏せさせていたネリー・ブレンのもとへ戻る。
発信源を探すまでもなかった。声の主は巨大な戦艦で、なんら警戒もせずに街の中央に陣取っている。
あの位置からならクルツの機体が引き起こした爆発の痕跡を見てとれるだろう。
声の主はここで大規模な戦闘があったと推測し、生存者がいないか呼びかけているのだ。
呼びかけに応じるかどうか、逡巡する。
見たところあの機体、いや戦艦は100mはあろうかという威容で、大してこちらのネリー・ブレンはせいぜい10mといったところ。
機動性はさすがに勝っているだろうが、そこかしこに見える砲門やミサイル発射管は凄まじい火力を容易に連想させる。
こちらは一度でも直撃を食らえばそこで終りだが、あの巨艦はたとえ全力でチャクラ光を放ってもそう簡単に落ちはしないだろう。
戦力差から接触すべきではないか、という結論に落ち着きかけたところで、再び声が響く。

「もし誰かいるのなら、聞いて下さい。僕は主催者に反抗する仲間を求めています。
たしかに脱出するより勝ち残る方が生きて帰れる確率は高いのかもしれません。でも、それではダメなんです。
たとえ優勝できたとしても、その人が無事に解放される確証なんてないし、もしかしたら用済みだって殺されるかもしれない」

声にはどんどん熱がこもってきた。誰かに聞かせているというよりは、自分の中の想いを言葉にして確かめているという印象だ。

「僕には戦うことを……生きることを否定することはできません。大事な人が殺されたのなら、殺した誰かを憎む、ことは……当然のことです。
でも、この世界ではそれが全てではないはずです。襲われたから、撃ってきたから撃ち返した、そんな人もいるでしょう」

アイビスの脳裏に今はもういない人の顔がよぎっていく。
自分を守って死んだジョシュア、シャア、クルツ、ラキ。そして彼らを殺したギンガナムに抱いた目も眩むほどの殺意。

「僕も、友達を……大事な人を、失いました。一度はその人たちを生き返らせたいと思ったこともあります。
 でもきっと、彼らはそれを望まない。誰かの命を対価に生き返ることを、そのために僕が誰かを殺すことを、絶対に許しはしないでしょう」

彼らはどうだろうか? もしアイビスが戦い、勝ち残ることで生き返ることができるのなら、望むのだろうか?
……考えかけて、しかしそう考えること自体が、命を賭けて自分を守ってくれた彼らに対する侮辱になると、思った。

「だから僕はこの戦いの原因を討ちます。無謀なことだけど、それがきっと、みんなの……もういない人たちへの、弔いになると思うから」

まず生きることを考えていたアイビスに、その声は道を示してくれたような気がした。
勝ち残るよりも、主催者を倒して、生きて帰る。それこそが彼らに報いるただ一つの―――
ふとモニターを見れば、戦艦が回頭していく。応答はないと判断し、ここを離れるようだ。

「もしこの声を聞いていて、でも信用できないと思う人がいるなら。僕は次の放送の時にE-3地点にいます。
 そこに多くの人を集めて、話し合うつもりです。少しでも戦いたくないと……優勝以外の道があると思うのなら、来て下さい。
 僕は、僕のできる限りの力で、戦いたくないという人を守ります。だから、」
「待って!」

気がついたら叫んでいた。まだ喋っている途中だった戦艦の主は、突然響いた自分以外の声に驚いたか言葉を切った。
ネリー・ブレンを浮上させる。ほどなく、戦艦もこちらに気づいて転回した。

「あなたは……?」
「この機体はネリー・ブレン……私はアイビス。アイビス・ダグラス。戦うつもりはないよ」

砲門が向いていても、きっとあの声は撃たない。アイビスはそう確信していた。
いかに機体に自信があろうと、戦いに積極的ならああも無防備に隙を晒すことはないはずだ。

「あたしは……あたしも、ここから生きて帰りたい。勝ち残る以外の方法で。でも、一人じゃどうすればいいか、わからなくて、ええと、なんていうか……」

威勢良く声を上げてしまったが、まだ何を言えばいいか頭の中で纏まっておらずしどろもどろになった。何か言わねば、と焦って口にしたのは。

「つまりその、そう、あたしもあの化け物を倒すのを手伝いたい! ……ってことなんだけど……」

端的だが、言ってしまえばこれがまさに自分のすべきことだという気がしてきた。
どのみちそろそろ動かねばならないと思っていたし、少なくとも好戦的ではないであろう少年は情報交換などの接触の相手としては申し分ない。

「……」
「……あの、何か言ってほしいんだけど」
「あ、すみません! ええと、僕と一緒に戦ってくれるんですか?」
「うん、さっきの演説聞いちゃったしね。よろしく……キラ」
「あ……よろしく、お願いします。アイビスさん」
「呼び捨てでいいよ。そんなに歳離れてなさそうだし」

こうして、共に大事な人を失いながらも歩みを止めない少年と少女は出会った。


          □


やってみて良かった、キラは心底そう思った。あれだけの爆発の痕跡からして、正直なところ生存者はいないと思っていた。
キラとしてはこの後接触するであろうナデシコとの対話に向けての予行演習のような気分で喋っていた。
そこにまさか応答が、それも自分の目的に賛同する者が現れるとは。
ロジャーと別れた後(いつの間にかいなくなっていたソシエは、まあロジャーと一緒なら大丈夫だろうと考えることをやめた)、補給の必要のないJアークでは補給ポイントに寄る意味もなく、ならば市街地で人を集めようとこのD-3地点に赴いた。
薙ぎ倒されたビル、穿たれたクレーターなどそこはなにか凄まじい戦闘があったと感じさせる様相を呈していて、しかし見えるところに健在な機体は認められなかった。
トモロにはあまり意味がないと諭されたが、それでもキラは呼びかけずにはいられなかった。
故郷ヘリオポリスが壊滅した時のように、取り残された誰かがいるかもしれないと思ったから。
アイビスという少女と接触後、ネリー・ブレンという機体を甲板に係留し、ブリッジにアイビスを通した。
まずお互いに改めて自己紹介をし、情報を交換していく。

『トモロ0117だ。よろしく頼む』
「わっ!? 何、誰?」
「トモロはこのJアークの制御AIなんだ。僕の仲間だよ」

といった一幕もあり、支給された食糧で慎ましくも穏やかな時間が流れた後。

『キラ、この空域に接近する機体がある。これはF91だ』
「F91……ジョナサンさんが! 無事だったんだ」

もはや懐かしい気分すらする、キラの最初の仲間。
偵察に出ると言ったきり戻ってこなかったが、こちらがダイの討伐に動いたことも合流できなかった原因の一つでもある。とりあえずは謝ろう、と思い、通信を行う。

「こちらはJアーク、キラ・ヤマト。F91、応答して下さい」
「……こちらはガンダムF91、アムロ・レイ。キラ・ヤマト、その白い戦艦がJアークか?」

場所を示す意味も込めて呼びかけるが、帰ってきた声はキラの知らない、だがアイビスの知る声だった。

「……え?」
「アムロ……!? アムロ! あたし、アイビス! 無事だったんだ!」
「アイビス、君も無事だったか。君がその戦艦と一緒にいるということは、信用できる仲間ということか」

アイビスはいきなり呆けたような顔になったキラを押しのけ、通信管に向けて叫んだ。
やがて現れたF91はJアークの前で停止した。その姿はキラがジョナサンと別れた時と違い、激しい戦闘を潜り抜けたことを示すように傷つき、薄汚れていた。

「Jアーク、着艦許可を求む。俺は戦う気はないし、そこにいるアイビスの仲間だ」
「キラ、アムロは信用できるよ。それにすごく強いんだって。これできっとなんとかなるよ!」
「……アムロ、さん。すみませんが僕はまだ、あなたを信用できません」

喜ぶアイビスにキラの返した声はしかし張りつめたものだった。

「ど、どうしたの? アムロは敵じゃないって」
「ごめん、アイビスは少し黙ってて。……トモロ、ジェネレーティングアーマー、いつでも動かせるようにしておいて」
『了解だ、キラ』

俄かに緊張しだしたブリッジで、アイビスはキラを制止しようと操縦席に座る彼の横に立った。
だが強い緊張に強張る横顔を見て口を開けない。まるで敵と戦っているような顔だった。

「……確かに俺と君は面識がない。だが、アイビスから聞いてくれればわかる。俺は戦いに乗っては」
「じゃあその機体はなんですか。それは元は僕に支給されたもので、今は別行動している仲間が乗っていった機体です。
 それに、別れたときはそんなに傷ついていなかった。疑う理由としては十分じゃないですか」

アムロに最後まで言わせず、キラは畳みかけた。ジョナサンはたしかに全面的に信用するにはどこか抵抗のある男だったが、だからといって殺して機体を奪ったのなら信用などできるはずもない。
アイビスの様子を見やれば、衝撃を受けたような顔だった。
仲間が人殺しかもしれないと言っているのだから当たり前かな、とキラは胸に痛むものを感じ、しかし追及の手は緩めない。

「あなたがアイビスと別れたとき、乗っていたのは戦闘機だったと聞いています。僕の仲間を殺して奪った、その可能性がないと言い切れるんですか?」
「で、でもアムロはそんなこと……!」
「……アイビス、俺が話す。君は口を挟まないでくれ。
 さてキラ、その証明はできない。だが俺からも一つ聞こう。
 もし俺が君の言うとおり君の仲間を殺してこの機体を奪ったとして、君はどうするつもりだ? 俺を仇として討つのか?」

返ってきたのは釈明や謝罪ではなく問いかけだった。
数時間前のロジャーとの対峙を思い出す。
あのとき自分は話し合うために人を集めてほしいと言ったが、仇かもしれない相手が眼前にいるこの状況、返す言葉は。

「いいえ。僕はどんな状況であなたがそのF91に乗ったのか知らない。
 もしかしたら僕の仲間があなたに襲いかかって返り討ちにされたのかもしれないし、乗り捨てられていたF91をあなたが見つけた、あるいは本当に殺して奪ったのかもしれない。
 だから、まずあなたの話を聞いて判断します。その上で、あなたが戦うと、争いの環を広げると言うのなら……」
「……どうする?」
「討ちます。戦いたくはありませんが、少なくとも僕の見ている前では、勝手な理由で誰かの命を奪うことは絶対に許しません」

思えばそう、平和を歌うラクスも戦うことのすべてを否定することはなかった。
想いだけでは成せないことがある。力がなければ、戦わなければ守れないものがある。
だからこそアスランはザフトに入って戦う力を得たのだろうし、自分も望んでストライクに乗ったのだから。
戦うことを躊躇わないのなら、あと必要な物は戦うに値する理由だ。ダイ、ナデシコと戦ったときはそれを誤った。もう二度と同じ轍を踏むわけにはいかない。

「アイビスの言うことを全て信じるわけにはいきませんが、だからといってすべて切り捨てることもできません。
 だから、あなたの話を聞いて、それから判断します。あなたと戦うべきかどうかを。それが、僕の譲れない立場です」

言うべきことを言った。キラは警戒を解かず、アムロの返答を待つ。

「了解した、キラ。君の立場は俺に近いもののようだ。ならば俺も示そう、俺の立場を」

モニターの中のF91が動いた。攻撃かと思ったがそうではない。あれは――ー

『F91、コックピットを解放した。あのパイロット、正気か?』

トモロの声にもっともだと思った。警戒されている相手の前で、コックピットを開き生身を晒す。
自分も救助したラクスを引き渡すとき同じことをアスランの前でしたが、あれはアスランなら絶対に裏切らないという幼馴染だからこその信頼があったからだ。
少なくともキラは自分に今、この場で同じことができるとは思わなかった。

「君の仲間はジョナサン・グレーンという男だろう? この機体は彼の仲間から譲られたものだ。今は別行動だが、俺も間接的に彼の仲間と思ってくれていい」

コックピットから出て、ハッチに立つ相手。あの位置ではシートに戻るより確実にこちらの攻撃が早い。
言葉ではない。アムロという男の放つ『覚悟』そのものにキラは呑まれた。

「もう一度言う、俺は戦いに乗っていない。そして、ともに主催者に抗う者を探している。
 キラ、君も俺達とともに戦ってほしい。君の気高い『覚悟』、信じるには十分だ。
 君の力、想い。それは俺やそこのアイビスとなんら変わらないはずだ。俺を信じてくれないか?」

アムロはこちらを……ブリッジの操縦席にいる自分を認識しているかのように、目線を動かさない。
キラにも理解できていた。この人は戦いに乗っていないと。自分よりよほど強く、そして大人であると。
横に立つアイビスは何か言いたげにもじもじとしている。そういえば黙っててくれと無下に言ってしまったな、と少し後悔した。

「キラ、その……」
「ごめん、アイビス。僕にもわかったから。……トモロ、戦闘態勢を解除して。アムロさん、誘導します。着艦して下さい」
『了解。ジョナサン・グレーンよりよほどマシなやつが来てくれたな』

トモロの皮肉に苦笑する。確かにキラの中にも、どこか邪気のあるジョナサンよりもアムロの方が信頼できるという気持ちが芽生えつつあった。

「信じてくれたか。感謝する、キラ」
「いいえ、僕の方こそ疑ってしまって……」
「もう! ハラハラさせないでよ! あたしだけ除け者みたいだったし!」
「ご、ごめん……」
「いや、アイビス。この状況ではキラくらい慎重になった方がいい。結果的にお互いの立場もわかったしな」
「横で聞いてるだけのあたしは気が気じゃなかったよ! 両方から黙ってろって言われたし!」
「む……それはすまなかった」
「ごめん……」

F91が着艦する。不安やら怒りやらでよくわからない気持ちを吐き出し続ける少女をなだめ、ともに『ガンダム』と浅からぬ縁のある少年と男が出会った。



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