160話D「すべて、撃ち貫くのみ」
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「あら〜? ばれちゃったんですの。ほんとはお仕置きするところですけど……。
ま、悩殺出血大サービスで見逃してあげますの。あの仮面のオジサマ、私と近い存在……あの人相手じゃ仕方ないですもの」
少女―――アルフィミィは、楽しげにその声を聞く。
ネビーイームとデビルガンダムとの接続作業を行いつつ、首輪を通して聞こえる会話から箱庭の世界で繰り広げられている戦いを想像する。
そこにはユーゼスという彷徨い人、恋人を救うために修羅となった男テンカワ・アキト、そしてキョウスケ・ナンブがいる。
会いたい……その誰とも。そう思っていたアルフィミィにとってこの戦いは聞き逃すことのできないものだった。
人間。小さくか弱い、そして儚い命。その命を燃やし、戦っている者たち。
結果がどうなるのか、興味があった。誰が生き残るのか、何が起こるのか。
どうやら仮面の男と復讐者は手を組んだようだ。今、協力の代償とされたキョウスケとともに敵と戦っている。
ふと、空間に異常。数時間前にもあった、空間の歪み。
あの時とは違い、極小さなものだ。どうやらその中心はメディウス・ロクス、アルフィミィにも予想外の進化を果たした機体。
そんな機能はなかったはずだが、これもあの機体に搭載されている人工知能が学習した結果なのだろうか?
まあこの程度なら進行に支障はきたさない。空間を閉じ、これもお咎めなしと―――
「えっ?」
前触れもなく。何故、と問う間もなく。
ネビーイーム、その下方に位置する木星の形の箱庭へと。
主が、赴いた。
閉じゆく歪み、その隙間へと滑りこむ。……やがて、感知できなくなった。
「そんな……どうしてですの? まだ、最後の一人は決まっておりませんのに……」
わからない。主が何を考えているのか。何故自分に何も言わず、箱庭に降りて行ったのか。
空間の穴は主の意志の総体が通れる大きさではなかったためか、行ったのは主自身の一欠片を切り離したものだ。
だが、欠片とはいえ紛れもない主自身。今の主には少しの余力もないはずなのに、何故?
「どこに……行かれたんですの?」
しかし少女に答えるものはなく―――
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「はっ……はぁっ……やった。やったんだ、ベガさんの仇を……この手で討ったんだ」
撃墜した敵機を見下ろし、荒い息をつく。
操縦桿から手を離そうとするも、強張った指先は中々動かない。興奮が冷め、ようやくカミーユは冷静になった。
ピンポイントバリアパンチは正確に敵機のコックピットを抉った。生命反応はない―――殺した。
だが、達成感などない。怒りに任せて動いたものの、残ったのはどうしようもない気持ち悪さだけだ。
「なんで……なんでなんだよ。お前にも帰りたい場所があって、大切な人がいたんだろう……?」
落ち着いてみれば、あのパイロットが言っていたことも理解できなくはない。突然こんな戦いに放り込まれれば、錯乱もする。
ベガを殺したことは到底許すことなどできないが、それでも他に方法があったのではないか……そんなことを考える。
と、キョウスケから通信。
「カミーユ、落ち着いたか?」
「……ええ、中尉。すみません、勝手なことをして」
「構わん。お前は結果を出した……それに元はと言えば俺が下手を打ったのが原因だ。お前が気に病むことはない」
「でも」
「責任があるとするなら、俺と。そしてユーゼス、貴様だな」
キョウスケの乗るビルトファルケンは黒い特機へと向き直っている。その様はまるで今にも剣を交えんとする戦士のようだ。
「あの特機は何なのか。乗っていたパイロットはどこにいたのか。どうしてこんな事態が起こったのか。
そして貴様は何をしていたのか……答えてもらうぞ、ユーゼス・ゴッツォ。返答次第ではただでは済まさん」
キョウスケの声は静かながらも言い逃れを許さない剣呑さを帯びている。
自分もユーゼスは信用できない。ここはキョウスケの話を聞くべきだ。
もし、やつが想像通りの邪悪なら……再び、この機体を駆けさせることになる。ユーゼスの動き、欠片も見落とすまいと集中する。
「答えよう、キョウスケ・ナンブ。ただし」
響いた声は黒い特機からではなかった。
発信源……眼下のローズセラヴィー。ユーゼスは黒い特機に乗っているんじゃなかったのか。
カメラを向ければ、映像ははっきりとローズセラヴィーのコックピットハッチに立つユーゼスを映し出している。
一瞬。カミーユ、キョウスケともに注意がブラックゲッターから逸れた―――その刹那。
「がッ……!?」
鋼鉄の隼・ビルトファルケンを、復讐鬼・ブラックゲッターの斧が斬り裂いた。
「え……何を。何を、して、るん、だ……?」
キョウスケの苦悶。弾け飛ぶファルケン。
ブラックゲッターはその勢いのまま、今度はカミーユへと向かってくる。
「君が、それまで生き残っていれば、だが」
「キョウスケ中尉……キョウスケ中尉――――――ッ!」
落ちていくビルトファルケン。だが、その後を追えるほどの余裕を、斧を振りかぶるブラックゲッターは与えてはくれなかった。
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「……が、あ……」
目を開くと、とたんに何故目を開けたのかと後悔した。
視界いっぱいに広がる赤。体のそこかしこに突き立つ鋭い破片。
「……幸運は、二度も、続かんか……」
すべての始まりといえるシャトル事故を思い出す。エクセレンが死亡し、己は瀕死の重傷、だが生き残った事件。
「やったのは、ユーゼス……いや、おそらくはあの男、か。つくづく……甘いな。俺と、いう男は」
ビルトファルケンは辛うじてまだ空にある。だが、肝心の中身が……キョウスケは、もはや牙の折れた手負いの狼だ。
あのとき機体を襲った衝撃はコックピットの中を跳ね回り無数の飛礫と化してキョウスケを襲った。
致命傷だ。
モニターを見やれば、消去法で考えれば恐らくアキトが搭乗しているだろうブラックゲッターとカミーユの戦闘機が、激しいドッグファイトを演じている。
先程の人事不省寸前といった体からは考えられない鋭い動き。あの薬のおかげだろうか?
援護しようにも、腕がどうしようもなく重い―――操縦桿を引くことにさえ、凄まじい重さを感じる。
どうしようもない……いや。
薬。あの薬なら一錠持っている。念のためにアキトから奪っておいた一錠を。
得体のしれない薬、普段なら飲むはずなどないが―――
(俺が蒔いた種だ。俺が刈り取らねば……な)
鉛のような腕をどうにか動かし、躊躇いなくカプセルを飲み下す。
どくん、と。
体の奥で何かが脈動した。
(痛み止め……ではない!? なんだ、この薬は……!)
凄まじい熱。次いで氷のような冷気。自分という存在が、浸食されていく。
「ぐ……がああああああっ!」
頭の中で激しく火花が散る。影、霧のような、何かが、見える―――これは。
時間が止まる。近づいてくるのは―――
視界が黒に染まる。おぞましくも懐かしい、この気配。
(捕らえた……ぞ)
首輪から、いや首輪の赤い球体から脳裏に直接声が響く。知っている、この声は。
(ようやく……届いた。我が……声が……)
「この……声、貴様はッ……!」
かつて打ち破り、そして今また己が運命を操ろうとする存在、ノイ・レジセイア。
撃ち貫くと誓った存在が、ここにいる。キョウスケのすぐ傍に。
(……お前こそ……ふさわしい。審判の……存在……)
「何を……言っている。俺に、何の用だ……!」
(お前は……またも、生き延びた。そして、我を受け入れるに、足る……器を、手に入れた……)
「受け入れる、器……? 俺を、支配しようというのか―――エクセレンのようにッ!」
(拒むことは……できない。お前は、選んだ……人でなくなる……ことを。我に……近い存在と、なる……ことを。だから、我と……繋がる、ことが……できる)
あの薬。危険なものだとは覚悟していたが、まさかここまでのものだったとは予想していなかった。
キョウスケは知らぬことだが、件の薬一つ飲んだだけで人でなくなるということはない。
薬の正体は希釈されたDG細胞。アキトのように身体に欠落する箇所があるものが服用すれば、DG細胞はそこを補うように展開する。
対して健常者が使えば、DG細胞は拡散する場のないまま沈殿する。そして感染力の弱められたそれは、時間とともに体内の免疫細胞によって駆逐される運命にある。
キョウスケの不運は、体力の低下した状態で薬を服用したこと。
結果、普段なら駆逐されるべきDG細胞がさしたる抵抗もなく体内に行き渡ってしまった。
そして、宝玉から放たれるノイ・レジセイアの波動。意志を持たないDG細胞に指令を下し、その働きを統制するもの。
キョウスケの体の支配権は急速に奪われつつあった。
下手を打った―――後悔が頭をかすめ、だが同時に、どこか奇妙なほど冷静な内面の己が叫ぶ。
―――ここが勝負所だ、と。
手の届かないところにいた主催者が、降りてきた。それも手の届くどころではない、己の内面という極めて近く……限りなく遠い場所に。
何故人間たるキョウスケの身の内に降りるのか。アルフィミィの気まぐれか、あるいはそれほど差し迫った理由があるのか―――
どちらにせよ、好機。
かつてエクセレンがそうであったように、アインストとなった自分が突破口となる―――この箱庭の戦いの。
賭けに負け、自分が自分でなくなったとしても……止める力はある。かつての仲間たちと同じ、信頼できる力が。
「くくっ……ああ、いいだろう……この身体、存分に貪るがいい。だが、もし貴様が俺を、人間を、取るに足りない存在だと驕っているのなら」
不思議なことに、微かに楽しくなってきた。
そう、キョウスケ・ナンブという人間を端的に表すのなら一文で済む。
―――分の悪い賭けは嫌いじゃない。
「遠くない未来……貴様は再び打ち砕かれる。
この牙を貴様の喉笛に突き立て、その存在を欠片一つ残さず消し去ってみせる。今度こそ、完全にな」
言葉を切ると同時、気配が遠ざかり、首輪の球体から赤い、まるで血のような靄が吹き出し体を覆う。
落ちていく鋼鉄の隼。その先に眠るは、相棒たる鋼鉄の孤狼。
「フッ……そうだな、お前がいなければ始まらんな―――アルト。付き合ってくれ、地獄の底のさらに下、俺の、最後の戦場へ……!」
鋼鉄の系譜……ともにつがいを失ったものが、互いに互いを抱擁する。これが始まり―――キョウスケは目を閉じた。
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「テンカワ、といったか。目的は果たしただろう、ここは退くぞ」
「……俺としては、この機体もここで仕留めたいのだがな。退く理由はない」
可変戦闘機……おそらくYF-21と同じバルキリーであろう機体と干戈を交えていると、ユーゼスが通信してきた。
あの化け物のような機体からだ。横目で見やると、驚くべきことにあれだけの攻撃を受けてもあの機体は健在だった。
とはいえパイロットはさすがに死亡したようだ。
仮面の男が抉り取られたコックピットから何かを引きずり出し、放り投げるのが見えた。
どうも人体のパーツであると思わしきそれらは大地に叩きつけられ、粉々になった。
「仕留められるのならそれもいいが、何があったか私にも把握し切れてはいない。
君の位置からも見えるだろう? ファルケンがアルトと未知の反応を起こしている。
墜落したキョウスケ・ナンブがなんらかの変化をもたらした公算が大きい。現時点では交戦を控えるのが賢明だ」
見れば、墜落したキョウスケの機体はアルトと溶け合っていくように見える。
まさか斧の一撃で機体が融解するほどの熱量が発生するわけもない。何かが起こっているのは疑いのないことだった。
アルフィミィからアルトを譲り受けた時のように、いささか信じがたいものであったが。
「だが、こちらは二機だ。どうであれ押し切れるのではないか?」
「君が健常ならな。ああ、言ってなかったがブラックゲッターの中はモニターさせてもらっていたよ。
大事そうに抱えてきたあの薬は劇薬のようだが、確証はあるのかね? 効果が切れるまでにあれとその戦闘機を倒せると」
「……ないな。だが薬にも限りがある。一つ使ってしまった以上、おいそれと引くわけにはいかん」
ユーゼスの抜け目のなさというより自分の不用心さに憤る。薬のことを知られたのは痛い。
「その点は問題ない。サンプルさえあるなら今のAI1はどんな薬だろうと量産が可能だ。
もちろん、君が私に貴重な薬を一つ預けてくれるなら、という条件付きではあるが」
「何が狙いだ、貴様。俺が優勝を狙っているのは知っているだろう」
「さあ、どうせ何を言っても君は信じはしまい? だからこうとだけ言っておこう。『どちらでも構わん』と」
「……どういう意味だ」
「何、そのままさ。君が私を信じようと信じまいと、どちらでもいい。
信じないのならここで別れるだけだし、信じるのならそれなりの見返りは約束しよう。どのみち最後は戦うことになるのだろうしな」
「条件付きの同盟というわけか」
「そうとってもらって構わん。……おっと、これ以上言葉遊びに時間を費やすのもいかんな。さあ、選びたまえ。私とともに来るか否か」
「……いいだろう。俺からの条件は薬と情報だ。それを満たすのなら貴様の指示に従ってやる。
ただし、残り5人あたりになれば手を切らせてもらうがな」
「ふむ……交渉成立だな。では行こうか」
戦闘機もアルトの変化に気づいたようだ。パイロット―――キョウスケの名を叫びつつ距離を取り、旋回している。
といってもこちらに隙を見せているわけでもないが、少なくとも注意は向けられていない。離脱するのは容易かった。
戦域を離れ、ある程度距離を置いたところで語りかける。
「で、どこへ向かう。基地に向かってくるやつはいるはずだ。そいつらを狙うのか?」
「さしあたっては別の施設だな。君の薬のこともある。研究所などがあればいいのだが」
「施設……それなら心当たりがある。と言っても、問題はあるが」
「ほう?」
「戦艦を二隻、確認している。一隻は戦いに乗っていて、もう一隻は不明だ。俺としては……後者、ナデシコを探すことを薦める。あれならば研究設備も充実しているからな」
「ほう……勝手知ったる口ぶりだな?」
「……貴様には関係ない」
「フ、まあいい。では当面そのナデシコなる艦との接触を目標としよう」
「もう一つ、言っておくことがある。どうせ知られることだから言っておくが、この薬は30分しか持続しない。
あと数分で俺は動けなくなる。その間、貴様が俺を撃たない保証はあるか?」
「副作用……か。安心したまえ、ここで君を切り捨てはせん。この機体、『ゼスト』も今は戦闘を行える状態ではない。
君が薬を必要とするように、私も護衛を必要としている。利害が一致している間は守り、守られ合う関係であろうではないか」
「貴様を信用することはしない……だが今はその言葉、乗ってやる」
「何よりだ。しばしの間、よろしくな……共犯者よ」
共犯者。仲間、相棒などと称されるよりよほど合っていると思った。
どうせ目的を果たすまでの仮初の同盟。いずれ殺す相手に必要以上に気を許してはいけない。
特にこの仮面の男は底が知れない。迂闊な隙は見せられない。
……不意に、自分が討った男を思い出す。
ユリカを失った自分と、まるで鏡に映したような境遇の男。違うとすれば悪魔の誘いに乗ったかどうか。
内心はどうあれ、あの男は自分を助けた。だがその返礼として自分は彼を背中から斬った。
後悔はないものの、胸が痛まないということはない。
しかし、何故か悪寒が消えない。戦斧は確実にコックピットを切り裂いた、それはたしか。
なのにあの紅い機体は狙ったようにアルトアイゼン、己が放置した機体のすぐ傍に落ち、融合を始めたのだ。
傍目にも尋常な様子ではなかったが、はたしてあの変化の内部にいた男は無事なのか。
万が一無事だったとして……その時キョウスケは、もはやアキトを保護すべき対象としては見ないだろう。
次に会ったときはその身を喰らい合うことになる、それは確実だ。
ガウルンともまた違う、奇妙な縁ができた。影と戦うようなものだ、とおかしさがこみ上げる。
(キョウスケ・ナンブ。許しを請うつもりはない……だから、俺の前にお前が立ちふさがるのなら、何度でも)
決意は変わらない。何よりも重いのは、ユリカの命だ。訪れ始めた禁断症状に身を任せながら、強くその覚悟を確かめる。
(そう、何度でも撃ち砕く。戻る気はない……これが俺の、俺にできる唯一の……贖罪なのだから)
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