165話A「変わりゆくもの」
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医務室へとてくてくと歩いていくのはガロードだ。
甲児とブンドルが基地へ向かったということを比瑪に伝え、返ってきたのは「甲児ったら何やってるのかしら!」と、怒りと呆れの同居した声。
比瑪が言うには、甲児は筆記用具を求めて医務室を飛び出していったらしい。
何故に筆記用具? という疑問には、ずっと気絶していた男が起きて、どうやら負傷で喋れなくなっているようだったので意思伝達の術として、という答え。
そういえば甲児が医務室へと向かったのは、比瑪の助けを聞いたからだったなと合点。
比瑪は甲児の代わりにどちらかにペンと紙を持ってきてほしいと頼んだ。
シャギアとガロードは、どちらからともなく顔を見合せ、視線で互いの考えを伝える。

ガロードとしては、極端な話ではあるが、四六時中シャギアを見張っておきたいとまで考えている。
たとえそれが艦内の移動であったとしても、出来ることならば常に視界の中に入れておきたい。
かつて、世界を破滅で満たそうとしていた兄弟――その片割れ、シャギア=フロスト。
彼自身に多大な力があったわけではない。世界を動かす権力も、支配する武力も、当然の如く財力もだ。
世界を変えるという目的と比べると――彼らは、あくまで『個人』に過ぎない存在だったのだ。
だがしかし、彼らは――その、まるで中学生が考えたかのような夢物語を、現実のものにする『能力』を持っていた。
紛い物と称されるカテゴリーFの力ではない。彼らの真価は、巧妙に世界を動かす力に介入する、暗躍する力。
おそらくは――フリーデン、ティファ=アディール、ガロード=ランという、彼らにとってのイレギュラーさえなければ――事は成っていただろう。
目を離しているうちに、何をしてしまうのか分からない。ガロードがフロスト兄弟が戦ったのは、MS戦という戦争を構成する一面に過ぎない。
だが、手を変え品を変えフリーデンを追い詰めてきたシャギアの実力は、誰よりもガロードが良く知っているのだ。
だから――ここで、どちらが医務室へ向かうのか、或いはどちらも行くのか、或いは比瑪に取りに来させるのか。
ガロードが選んだのは、自らが医務室へ向かうという選択肢。
シャギアを一人にするのは望むところではないが、シャギアを医務室へ向かわせ比瑪たちに良からぬことを吹き込まれたり、皆が医務室に固まっているときに襲撃を受け、反撃が遅れるというような羽目になるよりはマシだと考える。
比瑪をこちらに来させるというのは、寝ているだろうクインシィと素性の知れない男を二人きりにするということで、これもまったく良くない。
結果――紙とペンとを手に持ち、ガロードは医務室へと向かっている。

ふぅ、とシャギアは一人息をつく。
ガロードは、やはり私たち兄弟の最大の障害となる男だと、そう再確認した対面であった。
とはいえ――自分たちのことを良く知っているからこそ、ガロードは自分たちの仲間となれる存在だと言えるだろう。
ガロードの疑念は、全て自分たちの世界――六度の大戦を経た、あの宇宙での諍いから来るものである。
確かにシャギアたちとガロードの属するフリーデンは、幾度となく戦闘を繰り返してきた。
だがそれは、互いの目的が異なるものだったからであり、互いの目的が、脱出という点で一致しているこの場所でまでガロードと戦い続ける理由はない。
ガロードもそれは理解しているだろう。フロスト兄弟は、結果を求めるためならば手段を選ばない――そんな悪役のイメージで固定されているに違いないだろうから。
ならば、ガロードは自分たちと手を組むことが出来る――仲間になれる。
シャギアは、「脱出」というプランについて、こう考える。
たとえ首輪から解き放たれ、この空間から抜け出せたとしても、それは「脱出」ではない。
自分たちがこの場所に召喚されたとき――抵抗出来たか? 出来なかった。
知覚する間もなく、気づけば首輪をはめられ、そして放り出された。
逃げ出しても再び捕まる可能性は決して低くない。ならば、憂いは断っておかなければならない。

あの化け物を倒す。真の意味で「脱出」を成すためには、それが必要だ。

そのためには、更なる力――仲間が必要だ。
そういえばと、シャギアは時計を見る。
オルバから最後の通信があってから、ある程度の時間が経っている。
そろそろ基地へ着いた頃だろうか。
聞けば、オルバは未だテニアを始末していないらしい。
その理由までは聞いてはいないが――オルバには些か感情的なところがある。
恐らくは、テニアの言葉か何かがオルバを刺激したのだろう。始末するのは、十分に痛めつけてからということだろうか。
シャギアはオルバのことを信頼しており、オルバもまた、それに足るだけの能力は持っている。
だが、その感情的すぎる面は、いずれ弟の命取りになるのではないだろうかと、シャギアは密かに危惧していた。
テニアが相手ならば後れを取ることはないだろうが――いずれ修正せねばならない悪癖だな、と思う。
時計の針は9時15分を指している。
シャギアがオルバの最後の声を聞くのは――この数分後。

 ◇

「あ、ようやく来たのね」
「紙とペンと、これで大丈夫か?」
「うん、ありがと。さ、どうぞ」

ガロードが医務室に到着し、筆記用具を手渡し――ようやく、バサラは自分の意思を伝える術を得る。
伝えたいことは山のようにある。多すぎて、逆に何から伝えればいいのか分からないほどに。
落ち着いて、ゆっくりと書き出していく。まずは自分の名前から。

『助けてくれてありがとな。俺の名前は熱気バサラ』
「バサラ……か。身体のほうは大丈夫なのか?」
『声が出ないこと以外は大丈夫』
「なら、あとはゆっくり治せばいいのね。……のど飴とかあるかしら?」

のど飴で治りはしないだろうと、呑気な比瑪の声に思わず苦笑が漏れるが、その笑いもすぐに消える。
自分の声は、再び元通りになってくれるのだろうか?
そもそも、どうして声が出なくなったのか――気絶する直前に何があったのか、それを思い出す。
そうだ。俺は、コスモのために歌を歌って、それから白い機体に撃たれて――

『コスモという名前の男は?』

ガロードと比瑪は顔を見合わせる。
二人はコスモという名前の男を知らない。だが、どこかで聞いた覚えのある名前なのだ。
つい先ほどまで会ったこともない二人が、共通して知る名前といえば――放送で呼ばれた名前に他ならない。
どう切り出せばいいのか戸惑う二人の様子を見たバサラは、コスモが死んだという事実を知る。

『カテジナという女は?』

それもまた、同じ反応。

『アスラン』

駄目だった。

つまり、この殺し合いが始まってから出来た、数少ないバサラの知人は――すべて死んでしまっている。
自分がほんの十数時間ほど寝ている間に、みんないなくなってしまった。
あまりにも実感がなく――だがそれは、きっと事実なのだろう。
二人がかけてくれる慰めの言葉も空空しく聞こえ、何をすればいいのか、何をしたかったのか、頭の中が空っぽになる。
怒りでも悲しみでもなく、占めるのは喪失感。
進むべき道――自分の歌で殺し合いを止めるという選択も、今は選べない。
起きてしまえば浦島太郎。ただただ途方に暮れることしか出来ない。

『俺はどうしたらいい?』

定まらない不安が文字になる。
自主性を捨て他人に身を任せる気楽さに逃げたくなる。
彼本来の性格からすれば、考えられないような行為。
だが――熱気バサラを構成する、もっとも重要なファクターが、歌が、現在の彼からは失われている。
バトルロワイアルという異質な空間において、その負の影響を最も受けた人間であるとも言えよう。
快活さも闘志も失われてしまった瞳を眼前の少女へと向ける。
目を覚ましたその時から、バサラへと優しい態度と言葉を施してくれた少女、宇都宮比瑪。
比瑪ならば――バサラに、道を示してくれるのではないだろうか。
その考え自体がバサラの中の迷いであるということに気付かず、縋るように見つめる。
だが、比瑪の持つ優しさは――相手が望む行動を無条件に行うような、思考停止の愛ではなく。

「私が教えるのは簡単だよ。でも、本当にそれでいいの?
 君がやりたいことを私が決めるのは……違うよね。たとえ今どんなに辛くても、それは人に任せちゃいけないことだと思うんだ」
『だけど』
「ゆっくりでいいから。今は大変だろうけど、大丈夫だよ。私たちがついてるんだからさ!」
『歌も歌えない。何も出来ない俺がここにいてもいいのか?』
「いいんだよ。今は何もできなくても、きっと君にしか出来ないことがあるはずだから。
 だから、今はその喉を治すことから考えよう! 私も君の歌、聞きたいしね」

そう言って笑う比瑪。
彼女の持つ優しさとは、いつも前へ進もうとするものだ。
今のバサラに足りない部分を補ってくれるものだ。
言われて初めて、熱気バサラが失ってしまったものは声だけではないと気づくことが出来た。
そうだ。
こんな逆境に立たされて――ただ状況に流されて不貞腐れているだけな熱気バサラなど、熱気バサラではない。
こんな時にファイトを燃え上がらせてこその熱気バサラなのだ。
声がいつ戻るのか、バサラ自身にも分からない。
分からないことは考えても無駄なのでやめ。どうにも出来ないことは悩まない。
今は出来ることをやる。
そう考えることが出来るようになっただけで、自分が自分を取り戻せたという実感が湧く。

『ありがとな』

湧きあがる感謝の念は言葉として返す。
出来るのならば歌の一つでも歌いたいところだが――出来ないのならばしょうがないのだろう。
歌えないということをしょうがないの一言で済ませることが出来るようになるとは思ってもいなかったなと、少しばかり苦笑い。
それも、こう考えよう。
熱気バサラは、この苦境をバネに、さらに成長すると。
歌えなくなったことで、歌うという行為がどういうものなのか、どれだけ自分の中で大きな存在だったかを、改めて確認することが出来たのだと。

『寝てる間に汗をかいちまった。シャワー借りてもいいか?』
「もちろん! 一人で行けるかしら? ついていこうか?」
『さすがに一人で大丈夫だ』

そう書いて、比瑪と顔を見合わせて笑う。
まずは一つずつ出来ることを。
座っていたベッドから立ち上がり、大きく伸び。
比瑪にシャワー室の場所だけ聞き、医務室から出ていく。
歩きながら考えた。これから――自分は、何をすればいいのか。
比瑪はゆっくりと考えればいいと言ってくれたが、悠長なことは言ってられない状況だということは、バサラとて分かっている。
だからといって、初志を曲げるつもりもなかった。
あくまでバサラが目指すのは、己の歌で争いを止めること。
シャワー室の扉を開け、更衣室に入るやいなや汗のしみ込んだ服を脱ぎだす。
思いきりひねるとノズルから心地よい熱さの湯が勢いよく飛び出してきてバサラの身体を濡らしていく。
汗と一緒に、身体の中に溜まっていた不純物が流れ出ていくような感覚。
全身がクリアになる。すっきりとしたところで、今度はシャワーノズルを喉にあてる。
ゆっくりと喉を温めていく。必要以上の刺激は与えずに、丁寧に。
まず、バサラがしなければならないこと――それは当然、自分の声を取り戻すことだ。
喉を震わせるために大きく息を吸い、一旦肺に留める。
大丈夫だ。今までさんざんやってきたことだ。それこそ、呼吸するかのように、自然に。
やり方は体が覚えているはずなんだから、何も気負う必要はないんだと自分に言い聞かせる。
呼気が喉の奥から吐き出される。それが声帯を震わそうとするも――音の代わりに生じたのは、疼痛にも似た痺れ。
やはり、自分の声が元に戻ることはないのか? 一瞬、そんな不安に駆られる。
ぶんぶんと首を振り、嫌な考えを頭の中から追い出す。ここで止まってしまえば、さっきまでの自分と何も変わりはしない。
今度はさっきよりも小さな音になろうとも、繊細に、そして声を取り戻すという強い意志を込めて。

「……ぅ、あ……おれ、のうたを……」

――出せた。
今まで出そうとしても、意味のない音にしかならなかった自分の声が、再び自分のコントロール下に帰ってきた。
歌が、帰ってくる。
そのことがこの上なく嬉しく――頬を伝わる水滴が、少しだけ量を増していたのはバサラだけの秘密だ。



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