166話A「交錯線」
◆7vhi1CrLM6
一瞬、刃先が常闇の中に浮かび上がった。
咄嗟に腕が動き、鞘を盾に受け止める。高く澄んだ金属音が狭い通路に反響した。
続けて一閃二閃。
鞘を払う暇も余裕もなく、視神経を総動員して刃の動きを追う。
補給を行なった影響か。あるいは損傷の修復が進んだ影響か。動きが前よりも早く巧緻に長けている。
必死になって動きを追った。
四エリアに跨る広大な南部市街地。その下に網の目のように張り巡らされた地下道には、日の光も届かない。
刀身が鞘に触れたその瞬間だけ、カッと火花が飛び、互いの姿を浮かび上がらせていた。
圧し掛かり押し潰してくるかのような圧力。刃を防ぎつつ圧されてジリジリと後退していく。
場所が悪い。幾ら幅員60m高さ70mを超える広さとはいえ、所詮は通路。
40mを超えるヴァイサーガに換算してみれば、それは僅か人二人分のスペースでしかない。刀の取り回し一つにも苦労する。
対し自機の三分の一程度の大きさしかないマスターガンダムは、このスペースを遥かに有効に活用できる。
地の利がどちらにあるのかなど、明白。
気を抜けば見失いそうな刃を受け止める。それはクナイの型をした烈火刃の白刃。
人間換算すればヴァイサーガにとって15cm程度刃渡りしか持たないそれも、マスターガンダムにしてみれば刃渡り45cmの立派な脇差となる。
元々が投擲用で斬撃に向かない形状とはいえ、補給後に一本よこせと言ってきたこいつに渡すんじゃなかった、と後悔が頭を掠めた。
一つ。二つ。三つ。連続して火花が瞬き、両者が間合いを取る。
見失わなければ受けられる。ヴァイサーガはそういう機体だった。
ダイレクト・フィードバック・システムが思考を拾い、周囲の地形を考慮した上で最適なモーションを選び出す。
だから、見失わなければ受けられる。
そして見失わないだけの間合いの取り方は、ここまでの同行中『暇だから』と称してさんざっぱら襲い掛かられたお陰で身につき始めていた。
刃が閃く。外から内に侵入してくる横薙ぎの一閃。
鞘を縦に通路に突き立て、受け止める。そのまま膠着し、力勝負の押し合いの状態に縺れ込んだ。
「いいねぇ。やるようになったじゃねぇか。最初とは大違いだ」
「五月蝿い! 黙れッ!!」
二者の満身の力を引き受けることになった鞘と烈火刃がカタカタと小刻みに震え、音を立てていた。
ヴァイサーガの腕力なら押し切れる。そう思った瞬間に、圧が消えた。
マスターガンダムの手の甲で一回転した烈火刃が鞘の内側へするりと滑り込む。
「ならこれはどうする? クク……防いで見せろよ、統夜」
そして、圧の方向が変わった。外から内に向かっていた圧が、気づけば内から外へと向かっている。
鞘が外に弾かれ、ガードが抉じ開けられる。同時に懐に滑り込んでくる黒い影。
しまった、と自らの失態に気づいたときにはもう遅い。とんっと軽く腹部装甲に足裏が触れたと思った瞬間、押されて仰向けに倒された。
蹴られたわけではない。損傷を与えぬように優しく足の裏で押されたのだ。
咄嗟に起き上がろうとして、直に耳に響く濁音を聞く。
コックピットカバー越しに響いたその音は、ハッチを隔てた向こう側に足場を確保された音だ。
モニター見れば、ガウルンが烈火刃をコックピットに突きつけているのも分かる。
荒い呼吸を整えて一つ大きな息を吐き、コックピットを開け放った。
「……参った。降参だ」
汗だくの体で倒れたヴァイサーガの上に立ち、そう言うしかなかった。
どう考えてもヴァイサーガが体勢を立て直すのより相手の一撃がコックピットを貫く方が、早い。
ガウルンが機体から降り、歩み寄ってくる。
「やれやれ、軽はずみに褒めるもんじゃねぇな。もう少し相手の動きをよく見て先を読め。素直に受け止めすぎだ」
「……あんたが言えることかよ。暇って理由だけで隙も覗わずに襲い掛かってくるあんたに」
「俺か? おいおい、よく俺のことを見もしないで心外なことを。お前が気づいてないだけで俺はよぉく見てるぜ、統夜。
クク……頭のてっぺんから爪先まで全身余すことなく、それこそお前の尻の穴の中までなぁ」
舌なめずりするその姿に生理的な嫌悪と身の危険を察知し、怖気が走る。
危険。危険。危険。
さんざ分かっていたことだが、この男は危険。
そして同時に、そうやって圧されることのやばさも肌は敏感に感じ取っている。
気を呑まれるな。臆するな。弱気を見せれば瞬く間に喰われるぞ。
何故押し黙る? 口を開け。震えるな。睨み返せ。お前は何に腹を立てていた? この男の理不尽さにではないのか?
だったら、それを怒りに変えろ。意地でもいい。それを糧に反発し、反抗してみせろ。
ごくりと生唾を飲み下し、自分に言い聞かせる。ガウルンの顔を見据え、睨みつけた。
「おやおや、ご機嫌斜めなご様子で。だがそうやって俺のオモチャになっている内は、何をしても説得力に欠けるねぇ。
分かるか? 手を組むときにああは言ったがなぁ。今のお前は殺す価値もない腑抜けたただの餓鬼だ。
あのフェステニアとか言う嬢ちゃんの方がよっぽど、クク……殺しがいがある。お前、今あの嬢ちゃんと殺り合ったら殺されるぞ」
「そんなことッ!!」
抗議したその瞬間、襟首を掴まれて装甲板に引き摺り倒される。
ヴァイサーガの硬い装甲板に顔面から突っ込んで、蛙が潰れたような声が口から漏れた。
咄嗟に顔を持ち上げようとして、厚く硬い靴底の感触を後頭部に感じる。踏み潰され、再度顔面が装甲板にぶつかる。
「分からないって? 分かるさ。勘だがな。当るんだよ、こういう勘はな。だがなぁ、俺の獲物を横取りしようってんだ。
それじゃあ困る。最低でも観客を沸かせるぐらいはしてもらわねぇとな」
頭の中で『殺される』という直感と『大丈夫だ。残り一桁までは殺されない』という理性が、喧嘩していた。
鼻頭が痛い。どろりした赤い液体が装甲板をぬらしている。
「いいか。お前はあの嬢ちゃんにいいように使われて、カモられてたんだよ」
俺が? テニアに? そうだ。そうだった。
ホンの一時間ほど前に芽生えた感情を思い出す。
「お優しい仲間だの信頼だのをちらつかせて、お前の力を骨の髄までしゃぶり尽くそうとしてたのさ」
そうだ。俺は偽者の主人公だった。彼女達が都合のいいように誂た、偽者の。
「言ってみろ。誰のせいでお前はこんな目にあっている?」
何故? どうして? 俺はこんな理不尽な扱いを受けている?
決まってる。あいつらだ。あいつらと――
「答えろよ、ほら。お前が今こうして苦しんでんのは、あの化け物に目をつけられる羽目になったのは、誰のせいだって聞いてんだ」
――こいつのせいだ。
明確な殺意を持ってそれを思った。踏みつけられたままの頭を渾身の力で持ち上げる。
「そうやって俺を見下して満足か? 満足なんだろうな、あんたは。でもそれは俺にとっちゃ屈辱なんだ。
殺してやる……殺してやる! テニアも、お前も、俺が必ず殺してやるッ!!」
そうして四つん這いの姿勢のまま目を剥き、下から睨み上げて言った。ガウルンの口元が獰猛に笑う。
その瞬間、再び力の込められた足に踏み潰されて、三度装甲板に頭が打ちつけられる。
きな臭い臭いが鼻から脳天に突きぬける。じっとりと粘っこい視線を背中に感じていた。
そのとき、上空を何かが通過していく音を聞く。飛行場付近でよく耳にするジェット機が低空を飛行していくような、そんな音だ。
地下と空中。大地という遮蔽物の影響が、常よりも利きの悪いレーダーの性能を更に低下させているのだろう。
ヴァイサーガ、マスターガンダム共に接近を知らせる警告音はない。
踏みつけていた足がどいたので、そろりと立ち上がりながら視線だけでガウルンの表情を盗み見た。
◆
陽が昇って改めて目にするそこの光景は、悲惨な有様だった。
初めてロジャーが訪れたときこの場所は、人がいないという一点を除けばまだ普通の街だった。
パラダイムシティのドーム内にも劣らないほど大きく発展した市街地だった。
それが今はどうだ? 見る影もない。
高層ビルは倒れたドミノのように転がり、中には地割れに呑み込まれているものもある。
建物の多くは倒壊して崩れ去り、普段はコンクリートに包まれて見ることのない骨組みが無残にもその姿を晒していた。
通りはまだ火事の煙が抜けきらずに靄がかかったようになっており、焼け爛れた家屋がその左右に連なっている。
同じ廃墟でも長い年月をかけて風化したといった風情の中央廃墟とは大きく異なる。
ここには大地震を被災した直後の様な、まだ壊れて間もない生々しい傷跡が広がっていた。
中でも一際被害が激しいのが、息絶え無残にも死骸を晒している二首の竜の周辺だ。
そこは遠目でも分かるほど地形が窪んでいた。無敵戦艦ダイを中心にして大きな円状に広がる窪地。
高低差は100m弱と言ったところだろうか。まるで蟻地獄のように全てを地の底へ引きずり込んでいる。
最早何のものかも分からない破片が渇いた砂のように窪地を埋め尽くし、僅かに残った高層ビルがそこに突き刺さっている。
所々に見える穴は地下通路の穴だろう。それも大半は瓦礫の砂にふさがれていた。
「これ……私達がやったんだよね……」
その廃墟の街並みの上空に凰牙を走らせながら、周囲の惨状に目を向けていたロジャーは、その呟きにチラリと通信モニターを見やる。
何かを考えているのか、普段活発で勝気なこの少女には見られないどこか沈んだ顔がそこにはあった。
「気にすることはない。君の責任ではないさ」
「でもね、ロジャー。この街は元はちゃんとした綺麗な姿をしていて、私達が来て壊しちゃったのよ。
私達が来たときには、もう人はいなかったけど。いろんな人が一生懸命になって建てて、笑ったり泣いたりしながら過ごしてたはずの場所。
長い時間をかけてちょっとずつ手を入れてもらって、大事に大事にしてもらって、そうやって何代もの間、家族を守ってくはずだった場所。
家ってそういう場所でしょ。それを私達は突然やってきて勝手に壊しちゃったのよ」
「だがここには最初から人はいなかった。人が暮らしていた痕跡が……」
「そうだとしても。本当は人がやってきて使ってもらえるのを待っていたんじゃないかしら」
不機嫌に割り込んできたソシエの様子に、眉を顰める。
「君は何が言いたい?」
「……別に」
その言葉を境に通信モニターのソシエがそっぽを向いた。
ソシエらしからぬこの様子は、市街地の惨状を突然戦火に見舞われた故郷に重ねたがゆえの感傷だった。
今のソシエの目には、眼下に広がる風景があの成人の日に焼かれた故郷のビシニティに、お父様を亡くしてしまったハイムのお屋敷に重なって見えてしまう。
だが、そんなことが説明もなしに分かるはずもない。まして相手はロジャーである。
ビッグ・オーを呼ぶたびにビルやら、道路やら、街のインフラを破壊して登場させるこの男に理解を求めるというのが、土台無理な話なのである。
説明したとて理解を示すかどうかすら怪しい。
よって『何かよくわからないが、機嫌を損ねたことは確からしい』という程度が、ロジャーの見解だった。
やれやれとモニター越しに臍を曲げた少女の姿を一瞥して、そういえばと思い出す。
そういえばあれは、最初にここに向かっていたときのことだっただろうか。リリーナ嬢にも臍を曲げられた。
あのときも確かそっぽを向いてだんまりを決め込んだ彼女が、一切返事を寄越してくれなくなったのだ。
妙な可笑しさを感じて、悪いと思いつつも口元が緩むのを感じた。そこへ声が飛ぶ。
「ロジャー! 何にやけてるのよ。だらしがないわね」
その台詞を聞いて、いや違うな、と思った。もういつもの調子に戻っている。
こういう切り替えの早さと歯に衣着せぬ言葉使いにお転婆な態度は、リリーナ嬢にはなかった。
それぞれにそれぞれの良さがある。二人を混同して捉えるなど、両者に対して失礼というべきだろう。
「そうかな? すまない。以後気をつけるとしよう。それでどうした?」
「見つけたわよ」
「さて、ソシエお嬢様は何を見つけたのかな?」
少しからかってみたくなり、笑いながらまぜっかえす。
「飛行機よ。飛行機。あれでしょ? あなたのお知り合いが乗っていたって飛行機は」
そう言って示されたものに目を向けて真顔になる。
無敵戦艦ダイよりもやや西に、瓦礫にその頭を埋めるようにして遺棄されている戦闘機があった。
機首が折れ、右翼が引き裂かれ、尾翼も失われており機体表面を覆う装甲板も少なくない数が剥がれ落ちて、その内部を晒している。
二度と飛び立つことは適わない堕ちた戦闘機。以前目にしたときよりもさらに損傷の進んだ無残な姿。
だが、濃紺の機体色に黄色のアクセントを取り入れたそれは間違いなく目的の機体だった。
「YF-21に間違いない。ガイの機体だよ」
「無事だといいわね……わっ!!」
直接的ではないにせよYF-21を落した責任の一端を感じて神妙になりかけたソシエを見て、急に舵を切った。
未だどこにいるのか分からないが、通信モニターの映像からゴロンゴロンと転がる羽目になったのは分かる。
「ちょっと、何やってるのよ! 真面目に運転なさい!!」
頭をさすりながら飛んできた予想通りの怒鳴り声に、軽く笑う。
「そう、その調子だ。あれこれ考えて沈んでいるのよりもそうやって怒鳴っているほうが君らしい、と私は思う」
「どういう意味よ!」
「いいぞ。その調子だ」
「あ〜、馬鹿にして」
「では元気が出たところで一仕事頼むとしようか。私がYF-21を調べる間、コックピットに座っていて貰おうか」
凰牙を着地体勢に移しながら言った言葉に「座ってるって、それだけ?」と言葉が返る。
「いや、周囲の索敵をお願いしよう。ここは視界が悪いのでね。何が潜んでいるのか分かったものではない」
「分かった。敵を見つけたら教えたらいいのね。他には?」
「とりあえずは以上だ。そうそう、なるべくなら凰牙は動かさないで貰いたいな。
下手に触られて壊されたのでは目も当てられない」
「失礼ね。私はこれでもミリシャで――」
そんなやり取りを続けながら凰牙をYF-21の近場へ。
半分埋没しながらも窪地に刺さり、高く伸びている高層ビルの瓦礫に足を降ろした。
総重量400tを超える重みを受けて瓦礫が軋みを上げ一瞬冷やりとしたが、それだけだった。
胸部に収まるコックピットのハッチを開け放ち、ソシエと入れ替わる。そのまま一人で地上へ。
「ロジャー!」
大声で呼ばれて振り返る。何かを投げる姿が見えて、何か黒い物が飛んでくる。
慌てて受け止めて確認してみれば、それはロジャーが外部から持ち込んだ時計型の通信機だった。
待ちかねていたかのように通信が繋がる。
「もう少し丁寧に扱ってもらいたいものだ。だが返していただけたのだ。この際文句はしまっておこう」
「私の物をどう扱おうと私の勝手じゃない。それに貸すだけよ。通信に必要だから一時的に返しただけなんですからね」
どうやらもう既にソシエの中ではすっかり彼女の物となっているらしい時計を腕につける。
いつ、どうやって、差し押さえられた物品を奪い返そうかと溜息を漏らしながらロジャーは、YF-21に向かって瓦礫の中を歩き始めた。
B-Part