167話A「獲物の旅」
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無人の空をバルキリー――VF-22Sが往く。
胸の中には言葉にできない想いが渦巻いている。だが、それを吐き出す相手がいない。
カミーユ・ビダンは一人だった。
思えばここに来てから一人でいることは少なかった。
最初に遭遇した人物はひどく好戦的で、追い詰められたところをゼクス・マーキスに助けられた。
その後マサキ、カズイと出会い、ブンドルという男とすれ違い。
そしてベガと、ユーゼスと、そしてキョウスケと巡り逢った。
信頼していたクワトロ――否、シャア・アズナブルももういない。
孤立無援の状況で、それでも少年は諦めてはいなかった。
キョウスケから託された役目を果たすこと。ユーゼスやアキトといった戦いを拡げるものを討つこと。そして生きて帰ることを。
しかしそんな意気込みとは裏腹に、心身に蓄積した疲労は無視できないものだった。
殺し合いという常ならぬ事態の空気が、戦闘の緊張が、過大なストレスが。重しとなって体を蝕む。
基地を離脱した時からフルスロットルでバルキリーを操縦し続けていたカミーユの意識は限界に達しようとしていた。
目に入っているはずの計器が示す数値を認識できない。ガクンと、震動。
ジェネレーターが過熱、機体保持のためAIがリミッターをかけ出力が一気に落ちる。
立て直そうとした時には既に遅く、VF-22Sは森林地帯へと落下していった。
震える視界の中、全力で逆噴射をかける。
衝撃。
減速は成功したようだ。地表に落着、勢いのままに木々をなぎ倒すVF-22S。
シェイカーのように攪拌されたそのコックピットで、カミーユの意識は既になく。
森は再び、静寂で満たされた。
□
「あー、お腹空いたなー。もうお昼ご飯の時間かぁ……。ナデシコに行けば食べるものあるかなぁ」
G-3、森林地帯。
オルバを生贄に捧げ基地からまんまと脱出したフェステニア・ミューズはナデシコと合流すべく一路北へ急いでいた。
思い出す、あの狂った男。あんな危険人物が基地にいることは予想外だったが、おかげで労せずオルバ・フロストを始末できた。
当面の障害を排除できたとはいえ、優勝を達成するにはあの男をも排除する必要がある。
だが、一度戦った手ごたえからして、あの男は強い。本来自分が戦闘に向いてはいないということを差し引いても、単機では勝てる気がしない。
命などいらないと思わせる高速機動、空を覆うほど強大なディバリウムの攻撃を耐え抜く装甲。そしてこのベルゲルミルを遥かに超える再生能力。
あれを排除するためにも、ナデシコとの合流は急務。だが、彼らはオルバがいないことを疑問に思うだろう。
唯一こちらを疑っているかもしれないシャギア・フロストの存在が気がかりだが、言いくるめる案はあった。
このベルゲルミルの損傷を見れば、エネルギー兵装しか持たないディバリウム、つまりオルバとテニアが戦ったわけではないというのはすぐにわかる。
基地にとんでもない化け物がいる。オルバはテニアを逃がすために基地に残った。
まだ生きているはず、助けに行くべきだ――そんなシナリオを思い描く。
兜甲児と宇都宮比瑪は賛同するだろう。あの二人は単純というか、助けを求める手を振り払えないタイプだ。
シャギアとて弟の生死が不明であるならどうあっても助けに行こうとするだろう。
ロジャー・スミスに騙し討ちされたというのも考えた。
だが、もし実際に立ち会えばテニアはあの弁の立つ男にあっさりと論破され、窮地に陥ることは想像に難くない。
その点、あの狂った男なら問題ない。釈明どころか、そもそも話が通じないのだから。
ひとまずの方針をまとめ、周辺を見回す。
狙撃を警戒して低空を飛んでいるものの、この辺りに人はいないように思える。
これならスピードを出しても問題ないと判断し、上昇。
出力を上げようとしたところで、緑のカーペットが尾を引くように無残に引き裂かれているのが目に入った。
どうやら何かが墜落したらしい。ここで戦闘があったのだろうかと、テニアはベルゲルミルをその墜落現場まで移動させた。
「……嘘。嘘だ。どうして……」
そこに鎮座するはVF-22S・Sボーゲル2F。人類が銀河にまで生活圏を広げた世界で、とある天才が駆った最新鋭機。
見覚えがある。そう、この手で殺した親友、カティア・グリニャールに支給された機体。
そういえば破壊してはいなかったのだ。放置されていたそれを発見した誰かが使ってもおかしくはない――なら、誰が乗っている?
まさか、と顔が強張る。まさかカティアが?
彼女の名前は放送で呼ばれた。そんなはずはない、有り得ないと必死に自分に言い聞かせる。
VF-22Sに動きはない。墜落したと思わしき現場の状況から、おそらく気絶しているのだろう。あるいは、機体を捨てたか。
パイロットが乗っているのか、それとも無人なのかはこの位置からでは分からない。もっと接近しなければ。
これが違う機体であったなら、テニアは深く考えずに破壊しただろう。
だが、もし彼女が、カティアが生きているのだとしたら。撃てばもう一度、彼女を殺すことになる。
覚悟は決めたとはいえ辛くないわけはない。どんなときもメルアと三人、支え合って生きてきた大切な友達――家族だったのだから。
だから、確認しよう。テニアはそう決めた。
誰が乗っているか確認して、知らない誰かだったら利用する。知っている誰かだったら殺す。
そしてもし、乗っているのがカティアだったら――
やっぱり、もう一度殺そう。
結論から言えば、パイロットはカティアではなかった。
コンソールに突っ伏すように気を失っていたのは見知らぬ少年だった。おそらく、統夜と同年代。
外傷は特にないことから、地面に激突した衝撃で気絶したのだろうとテニアは推測した。
とりあえずコックピットから下ろし、横たえる。念のため少年のズボンからベルトを引き抜き、両手をきつく縛る。
次に支給された水を取りだし、蓋を開け豪快に少年の顔にぶちまけた。
「……ッ、ううっ……」
呻き声とともに、少年がよろよろと身を起こす。
軽く頭を振り、濡れた顔を拭こうとして、拘束された腕に気付く。
黙ってそれを見ていたテニアは、どこか安心したような、それでいて淋しいような気持ちを隠して話しかける。
「気がついた?」
「……ありがとうございます、テニアさん。助かりました」
「テニアでいいよ。カミーユ、か。女の子みたいな名前だね」
目覚めた少年と自己紹介を交わす。
テニアの言葉に少年――カミーユは軽く眉を顰めたが、それには触れず固められた腕を掲げる。
「警戒するのはわかるが、俺は戦いに乗っていない。これを解いてほしいんだが」
「そんなこと口で言われても信用なんかできないよ。アタシの質問に答えてくれたら考えてあげる」
カミーユはテニアを睨みつけるも、息をついて先を促す。ひとまず主導権は握れたようだ。
「わかった。何を聞きたいんだ?」
「とりあえず、そうだね。今まで会った人のことかな。あと、仲間がいるかどうか」
テニアにカミーユとの面識はなかったが、知り合いの中には接点を持った者がいるのかもしれない。
カミーユは存外素直に喋りだした。
「…アタシの知っている人はいないね。仲間もいない、か」
羅列された名前の中にはテニアの知る名はない。そして大半が既に死亡、残りは戦いに乗っている。
苦い顔で呟かれたユーゼスとアキトという名の男のことは注意を払う必要がある。
どうやら彼はナデシコやJアークといった集団のことも知らないようだ。
「じゃあ、次は君の番だ。俺は仲間を集めたいんだが……そう、集団になっている人達を知らないか?
Mr.ネゴシエイターと呼ばれていた人のことでもいい」
「……知らない。アタシが会った人は、もうみんな死んじゃったから」
(こいつもロジャー・スミスか。どこまでアタシを苦しめるのよ、あのカラス野郎……)
またもあの交渉人の名を聞き、イラつきが胸を満たす。
Jアークの面々はテニアを警戒しているだろう。
ロジャーとて先の交渉の場では中立を宣言していたが、それとてこちらを安心させるためのブラフに思える。
あいつは今この瞬間にも、テニアの悪評を振れ回っているかもしれないのだ。
この少年とロジャーを接触させるのは危険だと、カミーユを殺そうと決める。
基地の男を倒すには人手はあった方がいいのはわかっている。それでも、テニアはここでカミーユを逃がす気はなかった。
(アタシにカティアを思い出させたんだ。その機体といっしょに、跡形もなく粉々にしてやる)
腕を縛ったとはいえ、体格で勝るカミーユと素手でやり合って勝てるとは思えない。まして、おそらく警戒されているだろうから。
なら、安心させて背中から撃つ。
信頼した相手に撃たれる絶望はどれほどのものだろうか。カティアを殺した自分には、ためらう理由になどなり得ないが。
カミーユの腕を解放する。彼は腕をさすりながら、
「ありがとう。……ところで、他に聞きたいことがある。さっき仲間が死んだって言ったが、危険人物に心当たりがあるなら教えてくれないか?」
と言った。すぐに殺すのだから意味はないと思ったが、鬱憤を吐き出す捌け口にはなると思い直す。
「……Jアークって言う戦艦。キラってやつとソシエってやつ。あいつら、最初は協力しようって言ってきて、でも……騙されて、武蔵っていう仲間が殺されたんだ」
「戦艦? そんな強い力を持ってるのに、どうして……くそっ!」
吐き捨てるカミーユの顔には確かな怒りがあった。
さっきの情報交換の時の様子からして、カミーユは戦いに乗った者を積極的に倒そうとしているらしい。
利用したいところではあったが、この分ではテニアの行いを知れば即座に銃を向けてくるだろう。
「それに、基地だね。なんかとんでもない化け物がいて、仲間が……殺されたんだ」
それを聞いたカミーユの顔から一切の表情が消え、「そうか」とだけ言った。
この反応は気になったものの、そろそろ移動しなければナデシコと合流し損なう。話を切り上げ、ベルゲルミルへと足を向ける。
「テニア。俺と一緒に行かないか?」
「うん、こっちからお願いするよ、カミーユ」
うまくいった、と吊り上がりそうになる口元を押さえた。カミーユがVF-22Sに乗り込むのを見届け、ベルゲルミルへと戻る。
やがてVF-22Sとベルゲルミルが浮上する。
片腕のないことを理由に、カミーユに先行してもらう旨を告げた。あとは隙を見て撃つだけだ。
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