168話C「獣の時間」
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F91は動けない。
シールドがそろそろ限界だ。かといって、今解除すればあっという間にハチの巣にされる。
ヴェスバーを使える体勢ではない。どうにかビームライフルで牽制するのが精一杯だ。
考える。F91の武装でできることを。
考える。地形の情報、自機の位置、敵機の位置。
警告音。ビームシールド使用限界まであと5秒――

「迷ってる暇なんてないじゃないか……!」

右手のビームライフルを戻し、代わりにビームサーベルを構える。同時にバルカン砲、メガマシンキャノンをスタンバイ――ここで一秒。
地面に押し当て、出力を上げて発振させた。やはり同時にバルカン、キャノンを地面に向けて叩きこむ――さらに一秒。
膝をつくF91の周囲、円を描くように腕を回す。砕かれ、ドーナツ状に焼き切られた高架は、ミシミシと音を立てる――二秒かかった。間に合え……!
シールドが限界を迎えた。無防備になったF91を睥睨するVF-22S。
ガンポッドから弾倉が吐き出され、新たなそれが挿入される。
構えられたそれが火を噴く、その一瞬前に。

「このぉおおおおおッ!」

座り込んだまま下方向へ向けて加速するF91。足元に凄まじい負荷がかかる。
ビシッ、という音の後。
地面に地割れのようにヒビが広がり、F91ごと砕け、落下していく。

高架を挟みVF-22Sの姿が見えなくなる。この一瞬が考える好機だ。
先程、落下してきたライフルを掴んだ時からカミーユは別人のように鋭い動きを見せてきた。
その後の攻防でこちらを撃破することよりもライフルの奪回を優先したことから、何らかの思い入れがあるものにキラは触れてしまったのだろう。
スイッチを入れてしまった、というの正しいのだろうか。
ともあれ、何とか互角に戦えていたはずがこのままでは一気に押し込まれそうだ。
全力を出し切らねば勝てない――どころか、命も危うい。
F91はいい機体だ。カミーユの機体に、決して負けてはいないだろう。
ではキラがその性能を十二分に発揮できているか――否。
今この機体はアムロが乗ることを想定したセッティングのまま戦っている。
変更する時間もなく、またその必要もないと思っていたからだが……もうそんなことは言っていられない。
VF-22Sに追い詰められる前に、OSを書き換えねばならない。

そして、もう一つ。バイオコンピューターだ。
このガンダムF91に搭載されたバイオコンピューターは、人と機械の仲介を果たす役目を持っている。
操縦者の意志を機体が感じ取り、また機体のセンサーが感知した情報を文字や映像という過程を経ず操縦者に直接フィードバックする。
肌で敵の存在を感じる、というのだろうか。機体と一体になるという点で画期的なシステムと言えるだろう。
だがそれに対応できるのは、一握りの人間だけ。
普通の相手ならそれでもカバーできる。だがカミーユ相手では、僅かな情報の取りこぼしがすなわち敗北につながることになる。
常人ではバイオコンピューターのもたらす情報を処理しきれないのだ――拡がっていく感覚を自然に受け入れることのできる、ニュータイプと呼ばれるものでもなければ。
そしてその素養はキラにはない。いかに反射神経や思考速度に優れていようと、コーディネイターに人知を超える超常的な力はないのだから。
だが、構わないとキラは思う。足りないのなら、別の方法で補えばいい。
バイオコンピューターが全方位から情報を伝えてくるから、捌ききれない。

「だったらッ!」

コントロールパネルを引き出す。膝の上で固定、どんなに揺れても動かないように。
同時にヴェスバーを高速連射モードに。フットペダルを蹴り付け、スラスター出力を上げる。
右手でグリップを握る。ライフルとヴェスバーの同時制御。
そして左手をパネルの上へ。
指先がキーボードの上を跳ね回り、速射砲のごとき勢いでタイプする。
高架を回り込み、青い影が迫る。槍のごときライフルを、突き刺さんばかりの勢いで振り上げ、構える――その前に。
二門のヴェスバーが閃光を放つ。重く収束されたビームではなく、軽く拡散する光のシャワー。
機を逸したバルキリーが後退する。時間を稼いだ。何秒、と考える暇もない。
洪水のように溢れる情報の取捨選択。並行して、OSのブラッシュアップ。
動作プログラムをチェック。遅い、これなら自分で動かす方が早い。必要ないと思われるプログラムを凍結、少しでも手間を減らす。
新たなウィンドウが現れ、目を通すと同時に処理。表示されてから消えるまで2秒間。
眼球が絶えず動き回る。もどかしい、両手が使えたらもっと速いのに。

ちらと見えたモニターで、その原因が銃を向けている。あの長物はビームと実体弾を使い分けることができるらしい。
ろくに狙いも定めず撃ち放たれるヴェスバーを易々とかわし、そのライフルが火を吹いた。
機体を囲むように弾が散らばり、逃げる空間が潰された。動きが止まり、そこへ満を持してF91へ向けて放たれる弾丸。
ビームライフルが貫かれた。咄嗟に放り捨て、シールドを展開。爆風から身を守る。
衝撃に歯を食いしばり、敵機を見据える。そのライフルの先には、赤い光が灯っている――高密度のビーム。
シールドでは受け止めきれないだろう。かわすしかない、が銃口は糸でつながったようにこちらを追尾する。
動きを読まれている。もっと速く動かなければ。
牽制のヴェスバーをばらまく。敵機は縫うように避けていく。
警告、砲身の加熱。冷却のためヴェスバーが沈黙した。同時に敵機も回避の必要がなくなり、完全なる狙撃の体勢を取る。

撃たれる。負ける。死ぬ――

刹那にも満たない時間。キラの脳裏をよぎる、親友の顔。ただひたすらにお互いの命を奪い合おうとした、アスランの。
今のカミーユは、あのときの自分たちと同じだ。戦うことで、目の前の敵を排除することで何かが変えられると信じている。
そして、いつか行き着く先に何もないことを知る。それを思い知ったはずなのに、また同じことを繰り返そうとしている、自分。
死とは解放である。その身に背負った業も、後悔も。すべて消える――楽になれる。
アスランとラクスもそこにいる。なら、いっそ。
光が膨張し、一直線に伸びてくる。その向かう先はF91、キラのいるコックピット。
全てがスローをかけたように感じられ、キラは笑った。これで終わる、そんなことを考え。

「認めない……そんなことはッ!」

甘い夢のような弱い考えを、意志の力でねじ伏せる。


そして、頭の中で何かが弾けた。


思考が冴え渡り、圧倒的な全能感が体を包む。迫る荷電粒子、撒き散らされるその一つ一つを知覚できるような気さえする――


F91の右腰にあるウェポンラック。予備のビームシールドを掴み、放り投げる。
濁流のようなビームに、シールドは展開と同時に貫かれた。一瞬、だがそれで充分。
そしてF91の左手にはビームサーベル。リミッター解除、最大出力。焼き付いたって構わない。
過剰なエネルギーを供給され、剣と言うより槌と呼ぶにふさわしいビーム力場。
叩きつける――シールドを突破し、減衰したビームへ。
凄まじい負荷。表示される情報、現状のままならサーベルの溶解まで残り6秒。
待ち望んでいた膠着の瞬間。右手を固定したグリップから離す。左手も追随、存分に動かす。
4秒が過ぎ、5秒が過ぎ。唐突に負荷が消え、そのまま振り切ったサーベルには刀身がなく柄頭が溶けていた。
灼熱の奔流を切り裂いた代償だ。が、代わりに得た物は大きい。
今の一撃にカミーユも勝負を賭けていたようだ。呆然としたように動きが止まっている。好都合。
先程から組み上げていた情報を連結。新しいプログラムの構築――完了。

全方位からではなく、一か所から。
歩く歩幅を小さくしても、足を踏み出す速さを上げれば最終的な速度は変わらない。
センサーのもたらす情報を全て言語化しモニターへ表示する。機体管制と同時に無茶な処理を押し付けられたOSが悲鳴を上げた。
このOSはそのような使い方は想定されていない。警告表示が画面を埋め尽くす、その前に。

「これで……応えてくれ、ガンダムッ!」

プログラムのインストール――終了。
モニターを占拠する警告表示が一斉に消えた。代わって一つ、生み出されたウィンドウ。

『プログラム稼働率95%。未定義情報の処理を開始』

表示される文字の羅列。だがそれは一瞬で別の文字に切り替わる。その文字が残るのもまた、一瞬。
しかし、キラの鋭敏な視覚はそれを捉える。
バイオコンピューターの感知する感覚的情報、その全てをこうして具現化する。常人が確認すらできないそれをキラは次々と把握し、理解する。
頭の中がひどくクリアになっている。現れては消える情報も、全て読み取れる――

カミーユが動き出した。ライフルを構え、突進してくる。エネルギーが尽きたか、実体弾の乱射。
だが、今度はかわせた。先程とは違い、銃口の向きで射線が読み取れる。
しかもあれだけの長物だ、両手で保持するその姿は実に読みやすい。
ライフルの動きを注視し、発砲の一呼吸前に回避運動。一瞬前のF91の位置を弾丸が通過していく。
読まれやすいライフルで仕留めることは無理だと悟ったか、バルキリーがライフルを放り捨てた。そのまま戦闘機へと変形し、急速に距離を詰めてくる。
アムロが最初に乗っていたバルキリーにはガンポッドとミサイルが装備されていたという。なら、あの機体にも同じかそれ以上の武装があるはずだ。
射線が読まれるのなら物量で押す、正しい判断だ。
F91の武装は今やサーベル一本にヴェスバーのみ。そして取り回しの悪いヴェスバーでは対応できない。

「これで終わりだッ!」
「まだだ……まだ終わりじゃない!」

咆哮とともに、F91が光を放つ。フェイスオープン、放熱フィン展開。
バイオコンピューターは最大稼働率を示している。
輝きとともに機体表面の装甲が剥離、MEPE現象が発動した。
バイオコンピューターはサイコミュ的装置ではなく、必ずしもニュータイプを必要としない。
その機能を完全に引き出せるのはニュータイプくらいだということだ。
なら、ニュータイプでなくともニュータイプ並みの力を持つ者なら、その能力を使いこなすことは、可能。
波間に消える泡のような情報を余すところなく読み取っていくキラの情報処理速度は、F91の全力稼働に耐え得ると――ニュータイプに比肩しうると、バイオコンピューターは認定した。
故に、F91はその力の全てをキラに委ねる。金色の輝き、人の可能性の体現を。
幾重にも重なるF91の虚像がVF-22Sを取り囲む。

「なんだ……分身!?」
「カミーユッ!」
「やらせるかッ! いくら見える数が増えたって、本物は一つだけだ!」

だが、驚いたことにカミーユは十数のF91の中から正確にこちらを狙い撃ってきた。
シールドで弾丸を受け止める。分身に惑わされてはいない。
効果がないわけではないだろうが、この様子では少ないと考えた方がいい。
今のF91の機動力は愛機フリーダムと互角かそれ以上のはずだ。なのに決定的な差とならない――やはりカミーユは強い。
己に一層の注意を喚起するキラ。サーベルを構えバルキリーへと躍りかかる。
もうエネルギーは残り少ない。勝負をかけるなら今だ。
カミーユも同じ考えなのか、人型へと変形。正面から向かってくる。

VF-22Sのピンポイントバリアパンチ。ぎりぎり拳が届かない位置へと、半歩機体を引かせる。
連続する分身。そこには変わらぬF91の姿――いかに分身に惑わされずとも、視覚的な情報を全て遮断することはできない。
F91に届く寸前、VF-22Sの腕が伸び切った。その腕を斬り飛ばすべくサーベルを振り下ろそうとした瞬間。
分身を突き抜けてくる何かを感知。高速の熱源、ミサイルだと推測。
とっさにバルカンで迎撃するも、その間にVF-22Sは後退していた。
追撃のヴェスバーを放つ。VF-22Sは再びファイター形態へと変形、機体を傾けることでヴェスバーの間をすり抜けた。
交差するように放たれた二条のレーザーをサーベルで弾く。
上方から回り込むように向かってくるVF-22S、射角を下にとるヴェスバーでは狙い撃てない。
メガマシンキャノン、バルカンを一斉掃射。閃く火線に捕らえられる寸前、VF-22Sが足を投げ出す――ガウォーク形態。
本来は地上戦用の形態ではあるが、重力制御を駆使した機動は空中にあったとて何らマイナスになり得ない。
変則的な機動で振り切るようにかわされ、返礼としてガンポッドが凄まじい量の弾丸を吐き出す。
さすがにこれは斬り払えず、シールドを展開する。一瞬の後、キラは動きを止められたことに気付く。
一気に接近戦の距離へと潜り込まれた。VF-22Sの上半身が持ち上がりバトロイド形態へ。

「墜ちろォッ!」

拳が迫る。キラは機体を半身に傾け、拳の内側――敵機正面へとぶつからんばかりの勢いでF91を前進させた。
ピンポイントバリアパンチがここで炸裂すれば危ないと直感したか、カミーユは咄嗟にバリアを解除した。
空の拳が肩口を叩く。損傷――問題ない、このまま行ける。サーベルを放棄し、F91は舐めるような動きでバルキリーの側面へ。
カミーユを殺さず、また自分も殺されないで戦闘を終わらせるためには。

「ここだ……勝負だ、カミーユ!」

F91がVF-22Sに組みついた。そのままスラスターを全開、地面へ向かって降下する。

「何をする気だ、お前!」
「君を止める、それだけだ!」

VF-22Sも黙ってはいない。ブースターを吹かし、上昇しようとする。
推進力は異なる二つのベクトルを示し、絡み合う二機は無秩序に空中を動き回る。
制御できない運動に、その中心にいる二人の少年は苦悶の声を上げる。

「うわあああああッ!」
「ぐ、くうっ……ッ!」

まるで何百年も前に流行ったというUFOのような軌道を描き、ガンダムF91とVF-22Sは地上へと落ちていった。


D-Part