168話D「獣の時間」
◆VvWRRU0SzU


          □


「う、あ……?」
「あ、気がついた?」

目が覚めて、カミーユが最初に目にしたものは青空――だけでなく、心配そうな顔のキラ・ヤマト。
VF-22Sのキャノピーが開け放たれ、運び出されたようだ。
自分よりも先にこの線の細い少年が覚醒し、あまつさえ彼に運び出されてても自分は気付かなかった。
負けたのか、という思考と、まだ勝負はついていない、という思考がせめぎ合う。
すると、キラが手を差し出してきた。

「カミーユ、まだ動ける?」
「お前に心配されなくても……っ!?」

差し出された手を振り払い、なんとか立ち上がったところで、頬に衝撃を感じた。
と思った瞬間には視界いっぱいに青空が広がり、俺は今倒れているのかと自問する。

視線をキラに向ける。彼は拳を握り締め、「人を殴ったのは初めてだ」と呟いた。
胸に再び戦意が燃える。まだ勝負は終わっていない、そう言いたいのか、と。
ふらつく足を叱咤して、立ち上がる。彼に倣うように、カミーユも拳を握る。
それを見てキラは微笑んだ。
その顔に拳を叩き込む。先のカミーユ同様に転がるキラ。
しかしすぐに立ち上がって口元を拭い、再び殴りかかってくる。
人を殴ったのは初めてという言葉が正しいものであるかのように、構えも何もない。
動き自体は鋭いのだが予備動作の大きなパンチを身を屈めてやり過ごし、みぞおちへと拳を突き込む。
痛みに身を折るも、その眼光は未だ鋭い。カミーユは引けばやられるとばかりに、その顔を左右両方の拳で殴りつける。
が、キラは今度は倒れない。
殴られつつも、反撃の拳は空を切り続けるも、決して後ろには下がらず前進し続ける。
バックステップ、空いた距離を助走に充てて右足を振り回す。
脇腹を抉る手応え。キラは激しく咳き込むもやはり倒れず、蹴り足を掴んできた。
力を込めるが、離さない。そのまま右のパンチを放ってきた。
カミーユの足を掴んでいるため腰が入っていないそのパンチを右腕で軽く払い、逆に腕を掴み返す。
引っ張る――カミーユも後ろに倒れるが、同じように迫ってくるキラの顔を左の拳で打ち抜く。
背中が地面に着いた。一瞬息が詰まるが、無視して足を掴む手を振り払い、体勢を入れ替える。
いわゆるマウントポジションの形になった。

「はぁっ……はぁっ……ここ、までだ」
「何、が? まだ、勝負は……ついて、ないよ」

身体が重い。疲労は極みに達していると言えたが、ここは意地を通す場面だとカミーユは確信している。
この状況で、特に格闘技経験などなさそうなキラが打てる手はない。負けを認めさせ、この茶番を終わらせる――
だがキラは負けを認めない、カミーユより余程辛そうなのに。
気圧されているのは間違いなくキラではなく自分だ。
わからない、何故こいつは――

「どうして……そこまでする。俺のことなんか、放っておけばいいだろう」
「……できないよ。君は、僕と同じだ、から」
「お前と?」
「憎しみだけで戦っちゃ駄目なんだ……君も、僕も。それがわからなかったから、僕は友達と戦った……。
 放送でアスランって名前が呼ばれたの、覚えてる? 子どもの頃からの、親友だったんだ」

その名前には覚えがある。二回目の放送で呼ばれた名だ。シャアの前に呼ばれたから、なんとか聞き逃してはいなかった。
馬乗りにされて苦しそうな様子を見せるキラだったが、それでも言葉を切るつもりはないように続ける。

「アスランは、ザフト……軍に入ってて、僕は彼と敵対することになった。それで何度も戦う内に、お互いの友達を殺してしまって。
 僕らは、本気で殺し合ったんだ。憎かったから、許せなかったから。でも僕らは生き残った。生き残ってしまった……。
 なら、きっと僕らにやらなきゃいけないことがあったはずなんだ。戦いを止めるために、今度こそアスランと手を取り合おうと思った、でも!」

悔恨を呑み下すように一つ息を吸い、

「アスランは死んでしまった。アスランだけじゃない、ラクスも、カズイも! 守るって決めたのに、守れなかったんだ!」
「お前……」
「……君をここで行かせてしまったら、きっと君は死んでしまう。行かせないよ……今度は、止めてみせる」

そう言って、右手を突き上げる。だが肩が地面についていては、どんな達人だろうと――

「ッ!?」

視界が閉ざされ、目に激しい痛み。
キラは殴ろうとしたのではなく、手に握りこんだ砂をばら撒いたのだ。
押さえつける力が緩んでしまった。押しのけられ、キラが立ち上がる。
カミーユが立ち上がるその前に、キラの足が迫り、腹部にめり込む。蹴り飛ばされ、地面へと転がる。
吐きそうな痛み。だが、屈する訳にはいかない――今は、まだ。

「ごめん……卑怯、だよね」
「ガッ、は……ああ、卑怯、だ。でも――少し、見直し、た」

こいつも必死なのだ、とキラに共感めいたものを覚えた。
立ち上がる。もう次に倒れたら、そこで終りだろうと他人事のように思う。
それはキラも同じだろう、激しく肩で息をしている。
先に一発入れた方が勝つ。なんとなく、お互いそう思っているんだろうなという気がした。

Jアークから青い機体が発進するのが見えた。今頃仲裁しに来たのか――
と、一瞬目を離した隙にキラが踏み込んできた。
身体を捻り、勢いを乗せて右腕を打ち出そうとしている。もうかわす体力も、打ち落とす気力もない……
だから、カミーユは前に踏み込んだ。
キラの拳が加速し伸び切る前に、額で受ける。
意識が飛びそうになる。だがまだだ、まだこの拳を撃ち込んでいない――!
最後の力を受け止められ、目を見開いたキラの懐へ。
固く、硬く握った拳をその身体の中心へと、叩きつける。
カハ、という呼気とともに拳から伝わるキラの力が抜ける。倒れる前に、受け止めてやった。


ネリ―・ブレンという機体が着陸した。直、赤毛の少女が出てくるだろう。怒っているだろうな、と気が重くなる。
腕の中のキラを見やる。
こいつは理想家などではない。奇麗事をやり遂げるだけの強い意志を、それを成す覚悟も、そして力も持っている。
自分とどこが違うのだろうと嘆息し、抜けるように青い空を見上げる――注意を逸らした。
もぞもぞと、キラが動いた。まだ意識があるのかと、とりあえず介抱しようとして――

灼熱のような痛みが全身を駆け抜けた。

よろよろと見下ろす。自分の腹に、何か生えている。
キラを突き飛ばす。その手にあるのはバール、のようなもの。
隠し持っていたということだろうか。
キラを、まるで信じられないものを見るような目で睨む。彼は悪戯がばれた子供のように、ほがらかに笑った。

「お、お前……?」
「だから、卑怯かっ……て、聞いたんだ、よ」
「それとこれとは――」
「僕の――勝ちだ!」

疲労と痛みで、もう腕が上がらない。キラが突っ込んできて、バールのようなものを振り上げる――
ブツリ、と意識が断ち切れる音を聞いた。それはキラに頭を強打された音だったのだが。
薄れゆく視界の中で最後にキラの声が聞こえた気がする。「ありがとう、ソシエ」――と。
そして目の前が真っ暗になって、カミーユ・ビダンは眠りについた。


          □


「起きたか。落ち着いたか、カミーユ?」
「……ええ、おかげさまで。まだ頭が痛みますよ」

Jアーク居住区の一室。ベッドの上でカミーユが身を起こす。
キラに殴られ気絶した後、ここに運び込まれたらしい。
アムロが水の入ったボトルを投げ寄こす。喉を冷たい水が滑り落ち、自分が落ち着いてきたことを実感する。

「あいつは……大丈夫なんですか?」
「怪我の面でいえばお前よりよほどひどいが、無事だ。
 何でもキラはコーディネイターという――強化人間とはまた違うが――、まあ俺達よりも頑健な肉体を持っているそうだ。
 特に心配することはない。それよりも」

アムロがカミーユの目を覗き込む。反射的に逸らしそうになる視線を意地で押さえつけた。

「で、どうだ。まだ一人で行動する気なのか?」
「……勝負に負けたんです、従いますよ。俺も、頭に血が上っていたことは認めます。
 一刻も早く基地に行かなきゃいけないって気持ちには変わりありません。でも、あいつの言うことを信じてみるのも悪くない……そう思います、今は」
「そうか……何よりだ。では、動けるようなら来てくれ。改めて彼らにお前を紹介する」

促され、立ち上がる。ややふらつきはしたものの、頭はすっきりとしている。
全力で殴り合ったのが効いたのだろうか。単純なものだと自分に呆れる。
バールのようなもので殴られた頭をこわごわさすってみる。コブにはなっているが、特に出血はない。
キラが手加減したというより、全力で殴ってもこの程度の力しか残っていなかったのだろう。
数分ほど歩き、ブリッジに着いた。中からは賑やかな声が聞こえる――と言っても、声が大きいのは一人のようだが。
扉が開き目に飛び込んできたのは、顔中絆創膏だらけのキラと、更に彼の頭に包帯を巻こうと迫っている赤毛の少女だった。

「あっ、アムロさん。アイビスを止めてください! さっきからいいって言ってるのに包帯を巻こうとしてきて、っていうか意味ないよ絆創膏の上に包帯なんて!」
「何言ってんのよそんな顔で! アムロからも一言……って」

やっぱり気まずいな、とカミーユは思った。先程まで彼女の仲間と盛大に殴り合っていたのだから。
アイビスの後ろから当のキラが顔を出す。何と言おうかどうか迷っていると、

「カミーユ、気がついたんだ! ……大丈夫、頭? その、思いっきり殴っちゃったから……」

先に声をかけられた。しかも、カミーユの身を案じている様子で。
アムロの言っていたこともわかる。バールのようなもので殴られただけの自分に比べ、キラの顔は腫れ上がるほどに殴ったのだ。
大丈夫?というのはむしろこっちのセリフだと思った。

「キラ……その。済まなかった。俺は周りが見えてなかった。自分のやりたいことだけ押し通そうとして、迷惑をかけた」

自然に口から謝罪の言葉が滑り出る。何故かキラに対してはもうほとんどわだかまりはなかった。

「え……あ、いや、いいんだ。カミーユの言ってる事も正しいんだし……それに僕も人のことは言えないよ。
 八つ当たりっていうか、ずっとむしゃくしゃしてたのをカミーユに当たってしまって。むしろ僕が悪いって言うか」

逆に謝られる始末だ。不意におかしさが込み上げてきて、カミーユは身を折って笑った。ここに来てから笑ったのは初めてだ。
見れば赤毛の少女――アイビスも何か言いたげにこちらを見ている。
既にアムロから、シャアが彼女を庇って死んだことは聞いた。それを気に病んでいることも。

「あのさ……私」
「あの人は、迷わなかったか?」

だから、彼女が謝ってしまう前に聞いた。

「……うん。シャアは……私を守ってくれたよ。死ぬことは許さない、託された命の重さを背負っていけって。だから、私も精一杯生きるって決めたんだ」
「そうか……。ずるいな、あの人は。そうやって、いつも自分だけ先に行ってしまうんだ……」

クワトロ、いやシャアにはまだやるべきことがあったずなのに。だがあの男のことだ、最期に悔いを残すことなどなかっただろう。
目を閉じればあの人が語りかけてくるような――

『新しい時代を作るのは老人ではない。ここから先は君次第だ――』

そう、聞こえた気がした。

(わかってますよ……俺には、あなたや多くの人から託された想いがある。生きて、辿り着いてみせます。あなたが望んだ、新しい世界に……)

シャア・アズナブルの影に別れを告げる。ここから先はカミーユ・ビダンの道だ。もうシャアを頼ることはできない。
顔を上げ、そこにいる全員を見据える。

「俺は、基地にいるキョウスケ中尉……アインストを倒さなければならない。力を貸してほしい」
「カミーユ、僕達は」
「ああ、わかってる。今すぐってわけじゃない。ナデシコって戦艦と合流して、戦力が集まってからでいい。俺もそれまで同行させてもらいたいが、いいか?」
「カミーユ……! うん、歓迎するよ!」

キラが右手を差し出してくる。さっきは振り払ったその手を、今度は強く握り返す。
そうだ、一人で気負うことはない。アムロ、キラ、アイビス。
この仲間達となら、なんだってできる。
もう基地のときのような失態は犯さない。今度こそ守り抜いてみせると、深く決意する。

「よし、ではもう一度状況を整理しよう。カミーユ、まずはお前の情報からだ」

事態を見守っていたアムロが促す。まるで自分が口を出さずとも何とかなるとわかっていたようで、やっぱり大人なんだなと思った。


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