177話A「かくして漢は叫び、咆哮す」
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太陽が中天を過ぎ、西に傾き始めて早くも二時間。
まだ高いその陽の光に晒された二つの機体が、対峙を続けていた。
廃墟の街並みを眼下に、逼迫した面持ちで佇む大型機。朽ちて欠けたビルを足場に、ゆったりと構える小型機。
数瞬前までは、忙しく間合いの取り合いを演じていた二機だが、今は共に動きがない。
動けない者と、動かない者。両者の間を風が薙いで行った。

「本妻が他の男と駆け落ち。追いかけたいところだが、浮気相手も他の男に取られやしないかと気になって、追うにも追えず。
 クク……いけねぇなぁ。いけねぇよなぁ。二股はよくない。
 選びな。どっちを取って、どっちを捨てるか。どっちつかずの態度は、失礼ってもんだぜ」

問いかける者と、答えを探す者。
実に愉しげに人の心を掻き乱してくるこの男――ガウルンを前に、シャギアの動きは完全に止まっていた。
オルバの死を知った直後、シャギアは一人閉じこもり悩んだ。
見つからない答えを棚上げにして、あの蒼い機体に乗るパイロットとフェステニア・ミューズを殺すことを決めた。
暗い怨嗟の念を軸に自らを奮い立たせることで、どうにか動くことができた。
それが今の自分の原動力。そこに変わりはない。
では何故動けない? 追えばいい。ナデシコとは、袂を別つと決めたはずだ。

「どうした? 選べねぇか? だったら仕方ないねぇ。俺が――」

瞬動――足場にしていた瓦礫のビルが一拍遅れて崩れ落ちる。
迅い、が思考の渦中であろうと警戒は怠っていない。どんな速度でも対応仕切れる。
しかし、軌道が違う。距離を詰め、自身の有利なレンジに運ぼうと言うのではなく、奴は――

「手伝ってやるよっ!!」
「しまった!!」

――距離を広げた。向かってくるのではなく。逃げ出すのでもなく。奴はただ真っ直ぐにナデシコへと疾走する。
だが、今、この場の距離は奴の距離ではない。離れて行く奴とのこの距離は、ヴァイクランの支配する距離。
照準を敵機の背に演算を開始。ゲマトリア修正。ダークマターの精製を完了。
赤黒い豪火球が、胸の前に灯る。
後は引き金を引くのみ。さすれば暗黒物質の火球は解き放たれ、数価変換によって生じた特殊空間が奴を襲う。
だがしかし、照準に捉えた奴の背のその先に、ナデシコが見える。
撃つのか? かわされたら? 当らなかったら? どうなる? どんな事態を巻き起こす?

――直進するベリア・レディファーが、ナデシコを襲う。

指先が震えた。汗が滲み出る。
当れば何も問題はない。では当てられるのか? 奴は言った「手伝ってやる」と。
ここでこの引き金を引かせることこそが、奴の狙いではないのか。
だったらどうする? 奴を止めねば、奴はナデシコを襲う――撃つしかない。
目を細め、穴が空くほど見据え、標的を凝視する。口中に渇きを覚え、唾を飲み込む。

――撃て。撃つのだ、シャギア・フロスト。外れはしない。絶対、絶対にだ。

呼吸音が、やけに大きく耳に届く。
狙い済まされた照準が敵機の動きを完璧に追跡し、レティクルの中央から逃すことはない。
撃てば当る――本当にそうか?
思い出してもみろ、シャギア・フロスト。
お前がナデシコの中で放った一撃。あれも撃てば当るはずではなかったのか?
フェステニア・ミューズを焼き尽くすはずの一撃。あの外しようもない一撃で、お前は何を仕出かした?
宇都宮比瑪をこの世から掻き消したのではないか。絶対に当てられるなどとは、よくも言ったものだ。
胃がキリキリと痛みを上げる。噛み締めた奥歯が、音を立てた。
自信は揺らぎ、疑問は膨らむ。しかし、撃たねば奴を止められない。そして――

「くそおおぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!」

――火球は霧散した。同時にシャギアの意を受け取り、二機のガン・スレイヴが両肩から飛び出していく。
膝に滴り落ちる汗を眺め、肩で吐く荒い息が整うのを待つ。そして、震える指先を発射管から引き剥がした。
撃てなかった。
痛烈な後悔の念を噛み締めながら、ヴァイクランを前へ。
相手は、間接的とは言え、オルバの死を招いた怨敵。テニア程ではないとは言え、許されざる存在。
いや、軽重の問題ではない。
撃つべきだったのだ。オルバの無念を思えば、撃たねばならなかったのだ。
なのに――撃てなかった。

 ◇

針のように細く鋭い牡丹色の閃光が、足元に撃ち込まれた。アスファルトの足場が一瞬で融解し、穴か空く。
一射。二射。三射。縦に、横に、と避けた端から撃ち込まれてくる砲撃に辟易して、路地裏に飛び込んだ。
ジグザグに廃墟の路地裏を駆け抜けるも、意に介さず。蝙蝠のように変幻自在に飛翔する移動砲台は、俊敏に追跡してくる。

「やれやれ、撃ってもらいたかったのはこれじゃないんだがねぇ」

先の戦闘で把握した武装と接近戦の嫌い様、あの機体は恐らく中・遠距離を得意としている。
とすればあの堅牢さと巨体だ。戦車に砲塔が付いてないという間の抜けた話はないだろう。
高火力の武装の一つや二つあったとて、何ら不思議はない。
それを撃たせたかった。
その為にあえて敵が得意と思われるレンジに、身を晒した。ただし、射線はあの戦艦に重ねてだ。
何故か――極めて単純で、簡単で、明確な理由。
庇い続けている戦艦を自身の手で傷つけることになれば、どんな面を拝ませてくれるのか。
奴は、矛盾を孕んでいる。見つけた頃のアキトと同じだ。
一貫性がたりない。人間の弱さを捨てきれずにいる。弱い奴にたかられ、ぬるま湯につかって迷っている者。
そんな奴を鎖から解き放ってやるには、どうすればいい?
簡単さ。殺せばいい。奴を堕落させている者をな。それも出来れば奴自身の手で。
守りたい者が一人もいなくなったとき、奴がどうなるのか――思い浮かべただけで頬が吊り上がり、首筋がゾクゾクしてくる。
身悶えする程、楽しみだ。
ただそれだけの理由が、ガウルンに命を賭けさせた。命を惜しんで後悔を残すなど、馬鹿のすることだ。
恐らく当れば致命傷となりかねない一撃。だが、避けられるだけの自負はある。そして、かわせば――

「ま、そうそう思い通りにはいかねぇってことか」

少々精神的に追い詰めたぐらいでは、冷静さを失わなかったということか。あるいはただの腰抜けか。
残念だとは思うが、過ぎたことはもういい。奴が守りたがっている戦艦を落すのは、別に自身でも構わない。
しかし――視線を周囲に奔らせる――流石にこの移動砲台の火線を潜り抜けて、一直線に戦艦へ向かうことは難しい。
その数は四。火力はさして高くないものの、小回りに優れ、即射性も高い。
そして何よりも、一対一をそうでなくし、思いがけない角度から射撃を加えてくる兵器。

――全くどこのどいつがこんな面白そうなオモチャを考え付いたのやら。

右拳を握り、開いて、また握り締めて、感触を確かめる。そこは欠損部分を除けば、一際損傷の激しかった部分。
だが負わされて既に、六時間以上が経過している。
全身の弾痕に、装甲に蓄積されたダメージ、頭部と胸部の破損。そして、右腕。損傷の修復は、ほぼ完了した。
残されているのは欠損部分。流石に復元は容易ではないらしい。
左腕は愚か、18時間も前に欠落したマントの復元さえ、遅々として進まない。
全くの不可能ではないが、欠損部分を補うにはまだまだ時間が必要、ということだろう。

「さてと、お行儀良く控えめに過ごしてきた分、鬱屈が堪ってんだ。クク……思いっきり暴れさせて貰うとするか」

言うな否や、四基の移動砲台を置き去りに大きく跳ねて上空に躍り出る。
視界に四基全てを納め、位置を把握。同時に本体の確認も怠らない。
下方四箇所から撃ち出される四条の閃光。
姿勢制御用のヴァーニアを噴かして皮一枚でかわす。
そのまま火線を避けつつビルの頂上に着地。同時に蹴った。
瞬動――足場にしていた瓦礫のビルが一拍遅れて崩れ落ちる。
ビルの谷間へ滑り込む。
風を切る音。急速に接近する地面。
大地に足を。
轟音を立てて踏み込み、一拍後には前へ。
背後で吹き上がる土煙。巻き上げられるビル、車。
両側に迫るビルの壁面。その先に一基目の移動砲台――見つけた。
軽く唇に舌を這わせて、笑う。
細く鋭い牡丹色の閃光が連続して、一、二、六条。
構うことはない。
エンジンが爆発的に吹き上がり、すり抜ける。
どんどん加速する。
勢いを殺さずに拳を――振るう。
舞い散る破片。
まず一基目。
視界の隅に閃光。十字路の右と、空。
体ごとぶつけるようにビルの中へ。
飛び込む。
そして転がり、突き抜けて反対側の大通りへ。
轟音と共に降り注ぐガラスと瓦礫の雨。
視線の先には二基目の背中。
反応。方向転換。だが――

「遅いねぇ」

ダークネスショット、紫電一閃。爆発。
これで二基。
足は止めず。跳び下がる。
足元に着弾。
一、二、三、四、徐々に間が詰まる。
眼前の廃墟を盾に。互いの死角へ。
廃墟を抜ける。待ち構える三基目。
火線が閃き、遂に被弾。

「チッ!!」

舌打ち一つ。
大地を蹴り、ビルを蹴り、軌道を変化。
二基を眼下に置き去りに、空へ。配置を再確認。
不意に射す黒い影。見上げればそれは――

「私の勝ちのようだな! オルバの仇、取らせてもらう!!」

――撃ち出された暗黒物質の塊。天から地へ。

「ハッ!! やってみな!!」

思わず笑みが漏れる。そして着弾の瞬間、空間が歪みを起こした。
空が、雲が、大気が、光が、闇が円を描いて曲がる。今ある空間を引き千切る様にして、新たな空間が創出される。
偏平な球を為すその小さな空間は、空間の中に生じた空間。不安定なこの空間よりも遥かに不安定な空間。
その寿命は、涅槃寂静にも満たないほど短く儚いもの。生まれたときから既に崩壊は、始まっている。
そんな存在が極近距離に二つ。
それぞれがそれぞれに己を安定させようと、引力に似た力を用いて挟まれた空間を奪い合い、喰らい合い、引き千切る。
やがて互いの引力の干渉を受けて不安定な空間二つは合わさり、磁気嵐を巻き起こしながら爆ぜるように消滅していった。

 ◇

――何が起こった。

べディア・レディファーによって生じた一連の事象は、人の知覚が及ばぬ微少な時間での出来事。
原理を知らぬシャギアに理解する術はなかった。
ただ分かっているのは、大火力の兵器によって爆発が起こったことと副産物として磁気嵐が生じていること。
その程度である。そして、この状況はまずい。
磁気の影響でレーダーが使い物にならない。ガン・スレイヴの動きにも影響が出ているのかやや鈍い。
その状況下で奴に廃墟に潜られたことが、何にも増してまずい。
爆発の中心地。たった今、自分で吹き飛ばしたそこに降り立ち、注意深く周囲を観察する。
ここから何所へ逃げたのか。
爆心地こそ何も残ってはいないものの、すり鉢状に抉られたその縁には、変わらず瓦礫の街並みが広がっている。
距離はほぼ等間隔。近いも遠いもない。痕跡すら何もない。

「オルバよ……不甲斐ない兄だな、私は」

閑散とした光景の中、シャギアは思う。
死んだオルバの為に万分一でも出来ることがあれば、してやりたい。それが、仇を討つということだった。
けれども現実の自分はどうだ?
仇を追う事も出来ず、片棒を担いだ男には逃げられ、あまつさえ比瑪を――

「ハッ……ハハハハハハハハハハハハハハ」

ナデシコを同列に並べようとしている。渇いた笑い声だった。
平気な振りを演じ続けてみても、少し余裕ができればこの有様だ。
基準が、軸が二つある。それが心を惑わせ、掻き乱している。
それまで自分という存在を作り上げていた軸がぶれ、シャギア・フロストという個が酷く曖昧で不安定なものになっている気がした。
自分が壊れていく。自分が変わっていく。自分が分からなくなる。それでも今やらねばならないことはわかっていた。
不意に、僅かな音すら立てずに紫電の閃光が背後の街並みから放たれる。
それを念動フィールドで掻き消すと同時に、残った二機のガン・スレイヴを解き放つ。

「……もう逃がさん」

今逃せば、ナデシコが危うくなる。電磁波の影響が収まらない限り、目視以外での捕捉は不可能。
廃墟に紛れての接近を許すわけにはいかない。
ガン・スレイヴの後を追うように追撃に移ろうとしたその瞬間、別方向から迫る黒い体躯が視界を掠めた。

「バーカ、こっちだよぉッ!!」

射撃は囮。向き直る間に、間合いは詰まる。ガン・スレイヴを呼び戻す。
しかし、間に合わない。蹴り倒され、そして、駆け抜けた黒い体躯が再び廃墟に紛れて消える。

――好都合だ。

そう思った。これでナデシコに被害が及ぶことはない。
そして、ここでこの男を逃がせば、次いつめぐり合えるか分からない。
オルバの死に間接的とはいえ関わったこの男を倒すのならば、それは今を置いて他にはない。
二つの基準に、軸に、矛盾しない結論。行為。
ならば後は頭を冷静に、乱れた心は捨てろ。あの男がゲリラ的に攻めてくるのであれば、迎え撃つだけ。
考える時間は終わった。一撃離脱を計る相手の先手を取る。
オルバのことも、ナデシコのことも、今このときだけは忘却の彼方に。目先に集中し、神経を尖らせ、没頭していく。
ベディア・レディファーによって出来た小さなクレーターのその中心で、シャギアはただ先手をとることのみを考えていた。

 ◆

位置的な関係と、戦艦であるがゆえの高性能。ベディア・レディファーの巻き起こした磁気嵐の影響もナデシコには少なかった。
そのレーダーに灯りが灯る。暗緑色の画面に映し出されたのは新たな光点。
そこに添えられている文字は、未確認であることを示すUNKNOWN。

「またかよ!!」
『どうなってやがる』

先に一瞬だけ捕捉した二機とは別の反応。別の方角。
東から何かが高速で迫って来る。テニアではない。テニアと逃げたあの機体でもない。
どうして殺し合いなんてくだらねぇことに、こうまで人が集まりやがる。
こんなくだらねぇこと、どうにかならねぇのか。心底そう思う。
どうにかしたい、この状況を。止めたい、この争いを。そう――俺の歌で。
そんな想いで格納庫を見渡したとき、一つ目に付くものがあった。
それは、愛機ファイアーヴァルキリーと同じ真紅の色をした戦闘機――真・イーグル号。
大きさは大分違う。だが、それが呼んでいる気がした。理屈ではなく胸が熱い。胸が高鳴る。
誘われるようにそこへ。
手を触れる。冷たい金属のさわり心地。
だがその奥底で、何か熱い魂が脈動しているような気がした。それをバサラはこう解釈する。

『お前も俺と歌いたいんだな。へへ……一緒に行くか』

だが、スピーカーから発せられる自身の声に、気づく。
今のこの声は借り物の声。IFSからナデシコのシステムを通じて再生されているもの。
それは取りも直さずIFSの受信が可能なナデシコの中でしか、声が再生されないことを意味している。
乗ればあの戦場に出られる。だが、歌は届かない。声は響かない。それでは意味がない。
悔しさを滲ませて、拳を握り締める。

『やっぱ駄目だ。今はまだお前と飛べねぇ』

呟き、その瞬間に閃いた。
ナデシコから出れば、声は出ない。ナデシコの中ならば、声は出る。
ならナデシコの中で歌えばいい。
ナデシコの中で歌い、IFSとナデシコの通信機能をフルに発揮して流す。
可能かどうかは分からない。でもこのまま指を咥えて見ているのよりもずっといい。
そう思えば居ても立ってもいられずに、バサラはナデシコの格納庫を飛び出し、一人ブリッジへと駆け出した。

『待ってろよ。今、俺の歌を聴かせてやるぜッ!!』


B-Part