146話A「命の残り火」
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静寂の朝もやを排気音が掻き消した。
まだ低い朝陽に照らし出された街並みを巨大な影で塗りつぶしながら進む戦艦ナデシコ。
その指揮所にシャギアは駆け込んだ。オペレーター席で振り向いた比瑪と目が合い、一拍遅れて甲児も駆け込んでくる。
弾む息を押し殺し極めて冷静に声を出した。

「状況は?」
「八時の方角に何かを捉えたわ。加工拡大したものがこれ」

答えつつ比瑪がパネルを叩くとモニターに閃光が映し出される。
小指の先ほどにしか見えないそれが拡大されはっきりとした輪郭を伴っていく。

「機体だな。それにしてもこの速度は……」
「シャギアさん、こっちにもう一機いるぜ」

甲児が指差すそこに目を向ける。確かにそこにもう一機いた。白銀の機体。
高速で駆け抜ける機体とその先にいる機体。それが意味する状況は――

「詳細は分からないが戦闘だな……待てッ!! 甲児くん!!!」
「わりぃ、シャギアさん。ナデシコはそのまま決めたとこまで行ってくれ!」

言うが早いか飛び出していく甲児。そのまま振り返ることなく指揮所を後にする。
だが、ナデシコは積極的な接触は避けると決めたばかりなのだ。頭が痛い。

「どちらが敵かも分かっていないと言うのに……」

いや、それどころか両方ともこの殺し合いに興じる人間という可能性すらある。
どうする? ここで甲児を見捨てていくのは容易い。だが、それをすれば……。
悩むシャギアの視界を甲板から発進した緑のモビルスーツが横切っていく。

「でも、追いかけるんでしょ?」

振り向いた比瑪と目が合い、その顔がにっと笑う。
頭を抱えつつも溜息と共に返事を吐き出した。

「もちろんだ」

ここで甲児を見捨てれば宇都宮比瑪の信頼を失うだろう。下手すれば手駒が一つもなくなるということだ。
それは早い。
オルバとテニアがいれば任せるところだが、今この場に二人はいない。
戦力の消耗は避けたいとはいえ、余計な諍いを避けようと思えば答えは決まっているのだ。

「私も出る。ヴァイクランで先行させて貰おう。ナデシコは微速前進」

ボソンジャンプについては説明おばさんが懇切丁寧に教えてくれた。
脱出の鍵となるのは、A級ジャンパーとチューリップクリスタル、そしてディストーションフィールド。
その一つを万が一にも失うわけにはいかない。
首を傾げた比瑪に「少々考えがある」と言い残して指揮所を後にした。
そして、歩を早める。戦闘への介入を決めた以上、それは実りあるものにしなければならないのだ。
どれだけ被害なく場を収めるか、それがこのときシャギアに課せられた課題だった。

 ◆

明けの空、誰もいない空虚の街で追いかけっこは続いていた。
本来ならば車が行き交うであろう大通りを白銀の巨体が駆け抜け、一拍遅れて紺碧の騎士が後を追う。
距離が縮まらない。いや、それどころか離されて行く。
真ゲッター2とヴァイサーガ。大型機ながらも奇しくも共にその早さこそを最強の武器とする機体。
だが、真ゲッター2のほうが早い。追いつけない。
それに耳鳴りが止まない。何でだろうか? 頭がくらくらする。
どうする? このままでは埒があかない。逃げられる。
一度退いて体勢を立て直すべきか? いや、それでは仕掛けた意味がない。
追いつけるか、と問われればその答えはYESだった。
ヴァイサーガ最大の攻撃『光刃閃』、その本質は居合いではない。
『光刃閃』のコード入力と同時にリミッターを解除される要素。すなわち風を超え光とも比肩しうるその速力こそが『光刃閃』の本質。
それを使えば追いつき一撃を加えることは難しくはない。
いや、使いこなせさえすれば一撃といわず、乱撃を加えることすら可能であろう。
だが、それには問題がある。
そもそも何故リミッター等と言う物がかけられているのか?
答えは単純だ。乗り手の体がついていかないのだ。
ヴァイサーガーの最高速から生み出される強大なG。それに並の人間の体はついていかない。
まず間違いなくブラックアウトする。
本来の乗り手であるアクセル=アルマーとラミア=ラヴレス、その二人ですら一定の経験を得るまで光刃閃が封印されていた。
そのことを鑑みれば、ここまで三度の光刃閃に耐えて見せている紫雲統夜の資質は高いのだろう。
いや、間違いなく高いといえる。
だが、彼は戦場に出て間もない。訓練を受けた普通のパイロットですらないただの一般人。
つまり、統夜ほどの資質をもってしても体がもたないということになる。
追いかけている敵が白くなる。視界が狭まる。頭がぼっとして思考が白に塗りつぶされていく。
ふとした瞬間に意識が跳びかけ、頭を振って叩き起こした。
長くは戦えない。それを感じ取った。頭に伸ばした腕が髪をくしゃりと掴む。

「何をやってんだ、俺はッ!! 戦うと決めて、でも決心がつかなくて、やることなすことあべこべで。
 でも、それでも何を犠牲にしてでも生き残るって決心を固めたばかりじゃないかッ!
 なのに……今度は、今度は体が俺を裏切るのかよッ!! こんなので……こんなことで生き残れるはずないじゃないか……」

情けなかった。決意も、やけばちで身に着けてきた技術も、体も何もかもが中途半端。
自分に嫌気がさす。情けなさ過ぎる。
でもだからこそ、だ。だからこそ、ここは引き下がれない。
ここで引き下がれば自分は本当に中途半端になってしまう。そして、中途半端なまま死んでいく。そんな気がしていた。

――だって、このままでは不甲斐なさ過ぎるじゃないかッ!!

引き出していたテンキーを叩く。体に無理が着始めている。
そんなことは百も承知。
多少の無理がなんだ。
男の子だ。男なのだ。自分が弱いとは思いたくない。認めたくない。
自分はやれば出来るのだと信じたい。
コードの入力が完了する。深呼吸を大きく小さく、そして大きく。鼻腔に嫌な臭いが突き抜けた。
それを無視して、ジリジリと引き離していく敵機を睨みつける。
視界に映るのは白銀に光る大型機。そして、それが駆け抜けた衝撃で砕け、光を反射しながら雪のように舞い散るガラスの欠片たち。
その中をヴァイサーガは一筋の閃光のように駆け抜けた。

 ◇

「ジョナサン」
「わかっている」

通信が一つ。画面越しのクインシィが何か言いたそうな顔をしていた。それを制す。
そう。わかっている。追いかけてくる敵機の挙動が妙だった。
しつこく追い回しているにしては、距離は開き続けている。詰まる様子は今の所ない。
かと言って遠距離攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、ただ追い回しているのだ。
追いつけない。それはもう分かったはずだ。なら無駄な労力を払う前に引き下がるのが普通だ。
だが、その気配は見られない。ということは、だ。

「こちらの油断を誘っている、ということか……」
「あるいはこの先に罠をはっているということもありうる」
「距離はいつでも潰せると見ておいたほうがいいな。最初の一撃か?」
「ああ、どちらにせよそろそろ仕掛けてくる頃合だ」

矢継ぎ早に繰り返される会話。それが現状を分析し、丸裸にしていく。
二人の思考と結論はほぼ一致していた。ゆえに、話が早い。
会話を続けながら注意深く背後を探っていたクインシィ。その口が開く。

「来る。迅いぞッ!!」
「避けてみせよやッ!!」

確かに迅い。意表を衝かれれば無事にはすまないだろう。
だが、若いな。そう思い笑った。
最高の武器が最適な武器とは限らない。それを知らない若さだ。唯一つの武器を盲信している。
見せすぎだ。その攻撃は二度目。これで二度目なのだ。そして、意表は衝かれていない。
だから簡単にかわせる。

「オープンゲットッッ!!」

タイミングを見計らいジョナサンは叫びレバーを入れる。
真ゲッターが赤・白・黄、三色のゲットマシンに分かれ、空いた空間に閃光が飛び込んだ。
その挙動を鼻で笑う。後は再び合体し、別の方向に逃げるだけだ。
0.01秒にも満たない一瞬の逡巡。しかしそれを怖気が遮る。
まずい。直感的にそれを感じ取った。
見せすぎだ。オープンゲットは三度目。これで三度目なのだ。そして、それは敵機の想定内。
だから簡単に捉えられる。
次の瞬間、一機のゲットマシンを五大剣の刃が襲い、貫いた。

 ◇

剣先に戦闘機を串刺しにしたまま、勢いを殺しきれなかったヴァイサーガはビルを二つ貫いてようやくその動きを止めた。
息が荒かった。視界が白黒している。
機体を起き上がるように操作して、その動きに酔いが回った。口元を両手で押さえて吐き気を抑える。
読みは当たった。余裕のない状態での回避にはあの分離機構を使う、それは正解だった。
暴れる機体を押さえ込み急制動をかけて戦闘機を一機串刺しにしたのだ。
確率は三分の一。上々だ。
だが、その動きは光刃閃のリミッターを解除したままで行なわれていた。体の無理は加速度的に上昇している。
呼吸を落ち着かせ、汚れた口元を拭う。拭った手の甲が真っ赤に染まった。

「……鼻血?」

どろりと粘性を帯びた血が鼻から垂れ下がっていた。どこかの血管がやられたらしい。
大丈夫なのか? そんな疑問を挟みながら鼻に詰め物をする。
上を向いて深呼吸を一回。気持ちを切り替えると、串刺しの戦闘機を足蹴にして剣から手を離した。
クナイ状の小さな刃――烈火刃を二本取り出す。
見上げる上空には旋回を続ける戦闘機が二機。ダイヤルを回しオープンチャンネルを開ける。

「二人……いたのか」

男の名前を呼ぶ女の声が聞こえてきた。
足元の戦闘機にジョナサンとかいう男が乗っていた、そういうことだろう。
そして、まだ敵は残っているということだ。上空の二機は無人ではないということだ。
狙いをつけ、烈火刃を投げる。

「あっちか」

一本はひらりとかわされ、一本は命中。その挙動で乗り手のいる戦闘機に当たりをつけた。
避けたのは赤い戦闘機。そこに敵はいる。
足元の白い戦闘機から剣を引き抜き構える。
光刃閃は、今は使いたくなかった。戦闘機相手に必要とも思えない。
柄を握る手に力を込め、ヴァイサーガは赤い戦闘機に止めを刺すべく空に駆け上がった。
そして、その眼前に何かが放り出される。

――……? 箱?? まずいッッ!!!

距離が近い。完全にかわしきる事は不可能。それでも統夜の直感に従いヴァイサーガは回避を試みる。
箱のような立方体。その表面でプラズマが奔ったかと思った瞬間、爆ぜた。
閃光と雷光が入り乱れ、雷鳴が鳴り響く。
視界が白に塗りつぶされる。ヴァイサーガの回路がショートし、機能が麻痺していく。
そして光が収まったとき、ぐらりと揺れたヴァイサーガは自由落下を始めた。
空が遠ざかる。落ちる。落ちていく。
それが本能的な恐怖を与え、統夜は叫んだ。

「動け! 動くんだ!! 動けっていてるだろッッ!!!」

コックピット内部の端末をしっちゃかめっちゃかに弄り回し、声の限り叫ぶ。
しかし、ヴァイサーガは動かない。
機体的な損傷は殆んどない。だからこの程度の問題からはすぐに回復できる。
だが、それでも回復よりも落下のほうが早い。ヴァイサーガは瓦礫の街並みに落ち、アスファルトの道路に激突した。

 ◇

何が起こったのか分からなかった。
敵機がこちらに狙いを定め、突撃してきた。そこまでは分かる。
迎え撃つ。そういう気概で身構えたときに、箱のようなものが割り込んできた。
それが閃光を撒き散らしながら爆ぜ、気づくと敵機は落下していたのだ。
あの箱は一体なんだ?

「お姉さん、ごめん。遅くなった!」
「ガロードか」

思考を遮る通信が一つ。声を聞いた途端に返していた。
南の空に朝焼けの色をした機体が浮かんでいる。通信はそれからだった。
機体が変わっている。それが気になったがそれより――

「お前は今までどこをほっつき歩いていた! 私はずっとお前を探していたのだぞ!!」

思わず叱り付けていた。次から次へと愚痴が込み上げてくる。
それにガロードは「ごめん。ごめん。お姉さん、ごめんって」と防戦一方だ。
雷が頭上を通り過ぎるのを待つ算段なのだろう。小賢しい。子供っぽい小賢しさだ。
不意に視界の隅で何かが動いた気がした。
次の瞬間、黒騎士をクインシィの眼前を音もなくすり抜け、ガロードに切りかかる。

「ガロード!!」

クインシィの叫び声と剣が振り下ろされたのはほぼ同時だった。
しかし、ガロードは予想外にも鋭敏な反応をみせ、敵機の腕を受け止めることで攻撃を防いでいる。

「大丈夫だって。お姉さんはジョナサンを。ここは俺が引き受ける」
「しかし、私はまだ戦える。イーグル号も頑張ればなんとかなる子だ」
「そりゃお姉さんが使えばなんとかなるのかもしれないけど、ここは任せろって」
「ガロード!」
「お姉さん!! 大丈夫。大丈夫だって、ちょっとは俺を信用しなよ……」

視線が絡み合った。そして、僅かに気圧された。それを押し返そうとして辞めた。
強い光を放っていたガロードの目が一瞬情けなさそうに揺れたのだ。

「……信用」

ぽつりと呟く。一拍おいて唇を食いしばり、クインシィは決めた。

「本当に大丈夫なのだな?」
「心配性だな、お姉さんは。大丈夫」
「ガロード、任せた」

イーグル号が高度を落とし、ジャガー号の元へと向かう。
ガロードが返した「了解、と」という声を背中越しに聞こえてきた。


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