146話B「命の残り火」
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◇
クインシィがジョナサンの元へ向かうのを確認して、ガロードはほっと息をついた。
その瞬間、五分に組み合っていたストレーガが蹴り飛ばされ距離が開く。その距離を利用して黒い大型機が踏み込んでくる。
「うわッ! ちょ、ちょっと、タンマ!! タンマ!!!」
剣戟を受け止めながら叫んだ。が、当然それで攻撃がやむことはない。
乱れ飛ぶ刃がストレーガの装甲を削っていく。だがしかし、厚い。乱撃で断ち割られるほど柔ではない。
「待ってくれって頼んでるのに……鬼か、あんたはッ!!」
だからその乱撃を物ともせずに前に出る。
距離が詰まり懐へ。
そこは剣の距離ではない。拳の、殴り合いの距離。敵機の半分程度の大きさしかないストレーガの距離だ。
そして、渾身の力で殴り飛ばした。
濁音の混ざった金属音。剣で受けた敵が踏みとどまりきれずに30mほど押しやられる。
南極で発見された謎の遺跡に関わる研究者リ・テクノロジストの一人クリフォード=ガイギャックス。通称ドクトル・クリフ。
彼が遺跡の技術を参考にしたものを積み込み作成した四機の機体の中で、この『魔女』の名を関する機体の出力は一際大きい。
それはガナドゥールと同じく始めから戦闘用に作られたがゆえであるが、その特性は違っていた。
ガナドゥールはその突撃力と自律兵器による対応力に長けている。
それに対してストレーガが長けているのは、装甲の厚さと単純な機体自体の攻撃力。
突進力も突破力もない鈍重な機体だが、足を止めての殴り合いではその強固さと出力ゆえに無類の強さを発揮する。
だから、そのストレーガの渾身の一撃はただの拳であったにも関わらず流れを断ち切るには十分だった。
30mの距離が40、50と開いていき、対峙の状態を保ったまま膠着を起こす。
「なんだよ……なんなんだよ、お前らは」
苛立ちが通信に乗って飛んできた。
若い男の声。年は自分よりも少し上といったところだろうか。
「それはこっちが聞きたいね。何だって俺達を襲うんだい?」
無言が衝立になって返ってくる。空気がまるで油のような粘性を持ったかのように重い。
そのまま五秒十秒とときが流れ、ようやく重い口が開く。
「……生き残るために仕方がないんだ。一人しか生き残れないんだ。
お前を見てるといらつく。無駄だろ? 仲間なんて庇ってもどうせ死ぬんだ。
いずれ殺さなきゃいけないんだ。無駄だってなんで分からない……」
その響きはどこか自分に言い聞かせているような音色を含んでいた。
対してガロードの声はどこか陽気だ。
「そんなの分からないじゃないか。あの化け物を倒せば皆で生きて出られるかもしれないんだ」
「分かるよ。そんなのは無理だ。都合のいい言い訳さ。お前は楽なほうに逃げてるだけなんだよ。
自分の為に人を殺すのが嫌だから、他人を守るために人を殺そうとしてる。そのほうが気が楽なんだろ?」
「何でそんな考え方しか出来ないのさッ! みんなで頑張ればどうにかなる。どうしてそう思えないんだよ」
「思えるわけがないだろ! たった一日で半数以上が死んでるんだぞ!! 出来るなら俺もそうしたいさッ!!!
でも、誰があんな化け物に勝てる! 一人しか生き残れないここで誰を信じることが出来る!!
お前の言っていることは夢見る子供の理想論なんだよ!!!」
「そんなのわかんないよ……わかんないよ、あんたの言っていることは!」
不意に敵機が動いた。その動きはストレーガよりも遥かに素早い。
右回りに回りこむ軌道を取りながらクナイのようなものを投げ出される。装甲に突き刺さった。
だが浅い。気にかける攻撃ではない。そう思ったときにそれが発火し、爆発した。瞬間的に炎と爆煙がカメラを潰す。
だがそれを気にかけている暇はなかった。
「この分からず屋がッ!!!」
痛烈な剣戟が叩き込まれる。それを両手の甲で受け止めるストレーガ。
一拍後には前進を行い距離を潰そうと試みる。その瞬間に圧力は消え、胴を薙ぎ払いながらのステップバック。
装甲と刃の間で火花が散る。が、しかし浅い。だから詰め寄り、拳に力を込めた。
「そっちだろ! 分からず屋はッ!!!」
◇
俺は何をやっている? 心底そう思った。
決めたはずだ。
敵が複数なら一体を仕留めた後即離脱と。
姿を見られても構わないと。
生き残るのが一番だと。
機体が復旧したら最初にするべきことは斬りかかることじゃないだろ?
一機はもう仕留めた。だったらここは離脱だろッ!!!
そう思いつつも足は動かず、乱入してきた橙色の機体と戦闘を続けている。
何だか知らないが、気持ちがささくれ立っていた。
オープンチャンネルを通じて伝わってきた言葉が、仲間の身を案じる言葉が、気に入らない。
身を挺して仲間を庇うその姿が気に入らない。
「クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! なんなんだよ、お前はッ!!」
剣を振り下ろす。拳で受け止められ、真っ向から押し合う。
力勝負。
だが押された。全長40mを越えるヴァイサーガが僅か20mそこそこの敵機に力負けしていた。
それでも押し返そうと力を込めた瞬間、空いている拳で腹を殴り飛ばされてヴァイサーガが後退していく。
腕が一本足りない。まだ完全には復旧を遂げていないのか、動きもやや鈍い。
唇を噛み締める。
悩んで、苦しんで、でも一人でも生き抜こうと決めて、それでも割り切れずに苦しむ自分。
そんな自分がまるで悪役みたいじゃないか。これじゃ道化じゃないか。
納得がいかない。不公平だ。
俺はこんなに苦しいのに……お前はそんなに楽しそうで。
俺を殺してでも生き残ろうとしてるくせに仲間を守ろうとして。
楽をして、思い悩むこともなく、奇麗事ばかり口にして、それでいて何もかもを得ようとしている。
許せない。
許せるものか。
そんな我侭、許せるものか。
歯茎に血が滲むほど歯を食いしばり、殺意が牙を剥く。
迫る橙色の拳を弾き上げ、一旦距離を置いたヴァイサーガが空高く舞い上がる。
「死ねよ。死んじゃえよ……お前なんか、死んじゃえよッッ!!」
悪意を乗せた刃が空気を掻き乱す。その乱れ飛ぶ刃は風を呼び、竜巻を生じさせた。
そして、その渦の中心を刃を突き出し一陣の風となったヴァイサーガが吹き抜ける。
鮮やかだ。
瞳の中、大きくなっていく敵の姿。
その装甲の橙色が鮮やかだった。
刃が突き立つ。
衝撃で大地が陥没し、クレーターのような跡が発生する。
少し外したか?
肩を貫いた剣を見てそう思った。
だが、問題ない。
衝撃で気を失ったのか、敵機に動きは見られないのだ。
後はコックピットを貫きなおしてやればいい。
ゆっくりと。
じっくりと。
正確に。
笑いが込み上げる。
見ろよ。
正しいのは俺だ。
お前じゃない。
死ぬんだ。
死ぬんだよ。
皆、死んじゃうんだよ。
そうさ。仲間なんて気にかけてたら――
「……生き残れないんだよ。俺も、お前も」
何故か落胆している自分がいる。そんな気がした。
溜息を一つ。気を取りなおして敵機を足蹴にして剣を引き抜こうとしたその瞬間――
「なッ!!」
――風がやんだ。
周囲で吹き荒み渦を為していた風が跡形もなく消え去っている。
今の状態は凪。すなわち無風。
信じられずに周囲を見回す。その上空で白銀の物体が煌めいた。
咄嗟に飛び退く。瞬間、飛び退いたその場が削られ穴が空いた。
さっきまで自分のいた場所。そこで白い巨体がゆらりと起き上がる。片手の大きなドリルが特徴的な機体。
見えなかった。突撃してきたその機体の姿が全く見えなかった。それほどの早さだった。
逃げるべきだ。そう思った。
危険な香りがする。ここは逃げて体勢を立て直すべきだ。
だが、それよりも倒したはずの機体が動いている。殺したはずの敵機が生きている。
そのことが勘に障り、神経を逆なでにする。
気に入らない。気に入らない。気に入らない。
そうやって仲間を庇うお前らも、殺し合いを強要するこの世界も、何もかもが気に入らない。
今、生きているお前もだ。
「駄目だろ……お前は死んでなきゃ」
逃げるべきときを見失い統夜が呟く。ヴァイサーガが悪意を乗せて構える。
泥沼に足を踏み込み始めているその身を、彼はまだ自覚していなかった。
◆
遠目からはそれは巨大な手鞠のように見えた。
何かが高速で駆け抜ける様が、まるで白い帯のように目には映っている。
一瞬後には消え去る残像に過ぎないそれが幾重にも重なり合って球を為し、柄を為す。
どれほどの速度で駆け抜ければそのような現象が起こるのか。シャギアは思わず息を呑んだ。
だが、それは手鞠などという典雅なモノではない。
そこは暴風圏。言うなれば玉の嵐。足を踏み入れるものを削り取り無に帰す空間。
仕掛けている側も既に敵味方を識別できる状況ではないのだろう。ビルが、道路が、街が、そこに触れたもの全てが削り取られていっている。
たいしたものだ。そう思った。
その暴風圏の中、玉の嵐の中にいてただ一つ抗い、存在し続ける機体が見える。
弾かれ、翻弄されてお手玉のように宙を舞いながらも辛うじてその手に持つ剣で防ぎ、致命傷を避け続けている。
それだけでパイロットの資質の高さが窺えた。
恐らくは見えているのだろう。目がいい。勘も悪くない。だが、時間の問題だ。
守っている方も、攻めている方もだ。
そう結論付けると、シャギアは視線を動かし別の機体をその視野に納めた。
今、向かっているのは玉の嵐にではない。
そこで争う二機の状況は掴めても、どちらが敵で味方なのか、あるいは両方敵なのかは掴めない。
だから、地に落ち倒れている橙色の機体へとシャギアは通信を繋げた。
「そこの機体、聞こえているか? こちらは……」
「その声!」
「なんと、ガロード=ランか」
「何をしに来た? まさか、助けに来た、とかいうんじゃないだろうな」
驚きを禁じえなかった。把握していない生き残りにまさかこの少年がいようとは思っていなかったのだ。
動揺を押し隠す為に間をとる。そして、その間を使って観察の目をガロードの機体へと走らせた。
右肩が貫かれているのが見える。だが、それ以外に目立った損傷はなし。
こちらを私だと確認してなお構えすら取らないのは一時的に機能障害を起こしていると見るべきか。
「そのまさかだな。ガロード、お前の仲間は白と黒どちらだ?」
「……信用してもいいのか?」
「好きに受け取ればいい。だが、勘違いするな。ガロード=ラン、ティファ=アディール。
貴様らを殺すのは私達でなくてはならんのでな」
モニター越しに視線がぶつかり合う。いくらかの逡巡を得たのだろう。
ややあって「白いほうだ」と言葉が返ってきた。
交戦を続ける二機に視線を向ける。先ほどと変わらぬ攻防がそこでは続いていた。
ヴァイクランの性能を持ってすれば、あの速度に割って入ることはまるっきりの不可能ではない。
だが、覚悟はいる。自らが痛手を負うだけの覚悟が、だ。
そして、その覚悟はシャギアにはない。あの中に割って入ろうなどという考えはシャギアには皆無だった。
とはいえ、モノはやりようだな。
通信を兜甲児へ。
玉の嵐へ近づきながらもあまりの速度差に手を出しかねている緑の機体――旧ザク。それがこちらを振り返った。
「甲児くん、ペガスを使いたい。そのためにナデシコまで一時後退を頼む」
「シャギアさん、どういうことなんだい?」
「私に考えがある。任せてもらえないか? プランは今送る」
「わかった」
僅かな逡巡も得ずに実にあっさりと甲児が了承の返事を送ってきた。
信頼もあるのだろうが、この思い切りのよさがこの男の武器なのかもしれない。
そう思った。
僅かに微笑んだのも一瞬、すぐに引き締まったシャギアの顔が上空を見上げる。
手は打った。
だが、無茶な動きだ。あれほどの高速。中のパイロットもただではすまないだろう。
だから、こちらの準備が完了するのが早いか、パイロットが潰れるのが早いか、それは賭けだった。
◇
通信機の向うでクインシィが喚いている。
何を言っているのかは聞き取れなかった。もう耳が遠い。視界もぼやけている。
時間が余りない。それが嫌でも自覚できた。
頭の中が白い。余り深いことは考えられないようになってきている。
その代わりなのだろうか。やけに昔のことばかりが頭に蘇ってきていた。
そうだな……そうだ。あのときもママンはこなかった。
8歳と9歳と10歳の時と、12歳と13歳の時もだ。僕はずっと待ってたのに。
……俺はあの女のようにはならない。
男と女の愛情なんかより、遺伝子の方を信じてたあんたのようになどなるものか。
俺はクインシィ=イッサーをものにして、オルファンの頂に立ってみせる。
その為にもクインシィにはオルファンの玉座にいてもらわねば困るのだ。
他の何を犠牲にしようとも俺はクインシィをオルファンの元へ返す。
一度までなら俺の命すら捧げてやる。事が済んだ後、生き返られればそれでいい。
だがその為には、自分に代わってクインシィを守り抜く存在が必要不可欠だった。
ガロード=ラン、貴様を信用してやる。
この少年に託さねばならないのは癪だった。気に入らない。気に食わない。
だが、それでも託さねばならない。
通信を繋げ、言葉を発しようとして妙な音が鳴り、咽返った。喘ぐ。
血と痰の入り混じったものが、口から垂れて落ちた。
息をするたびに、空気を吸い込むたびに、針でも吸い込んだのかってくらい胸が痛かった。
棘が肺に突き刺さる。
「ガロード=ラン」
返事のあるか無しかはどうでも良かった。どうせもう自分の耳には届かない。
ただ一言、聞いてくれていればそれでよかった。
長い言葉を伝える余力はない。例え短くても多くを伝えられる言葉――それを探した。
「頼む」
出たのは陳腐な言葉。だが、これしかないと思った。
何を頼まれたのかは勝手に奴が思い悩めばいい。その中にクインシィのことも含まれるはずだ。
身を粉にしてクインシィの為に尽くし、最後には死んでゆけ。
傷が深い。
ジャガー号を貫いた剣こそその身を避けていたもののコックピットは半壊していた。
その影響で内部に張り出してきたフレームが胸板を貫いている。
何故これで生きていられる、とは思わなかった。思った瞬間に死ぬような気がしていた。
いや、とっくに死んでいるのだろう。
命の火種はもう尽きている。
燃え尽きたはずの命、その残り火だけで今は動いている。そんな気がした。
血に濡れた口元が笑う。そして、叫んだ。
上げた雄叫びは音にもならず空気を揺らさない。しかし、そのとき確かに雄叫びは上がったのだ。
徐々に狭まっていた視界が戻る。やけに鮮明だった。
視界の隅が敵を捉える。
静かに睨みつけ、ジョナサンは最後の突撃を始めた。
真ゲッター2のノズルが火を吹き、巨大な光をその背に背負う。
鈍間だな。
なんて鈍さだ。
敵の動きは止まって見えた。
何故この程度の敵にこうまで手こずったのか。
まぁ、それももういい。
ここでお前の命は貰っていく。
今ある脅威、それは取り除かねばならない。
嫌だな。ジョナサンは思った。
嫌だ嫌だ。ああ、嫌だ。
あんな小僧を生かすために頑張るなんて柄じゃない。冗談じゃない。
やるべきことはまだ多く残っている。
自分の仕事はまだ終わりではないのだ。
気に入らない。気に食わない。
だが、それでも自分の後を任せられるのは、今奴しかいない。
クインシィを守るという一点に関しては、信用できた。
腕が消えた気がした。足もだ。
体が消えていく。
視界が狭い。
待ってくれ、もう少しだ。そう思った。
もう少しで、目の前の脅威を取り除くことが出来る。
既に手を伸ばせば届くほどに敵は近い。
敵は鈍間だ。
一撃で片がつく。
後一秒。いや半秒でいい。俺に時間をくれ。
このままでは女王のバロンとして示しがつかないではないか。
ジョナサンは思った。
ああ、嫌だ嫌だ。嫌だなぁ。
C-Part