103話「例え死者は喜ばずとも」
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『アー、アー、ただいまマイクのテスト中ですの。…こほん…最初の定時連絡の時間となったので放送を……』
どこからか流れてきた声を耳にして、貪りつく口を止めた。見上げた眉間に皺が寄る。
「まったく忌々しいね」
口元に粘りつく食べかす――白い脂身がゆっくりと滑り落ちていく。まるでナメクジがはった後のような尾を残して床に落ちていった。
次々と読み上げられている名前などはどうでもいい。だが、飼い犬のごとく首輪をはめられているのは耐え難い屈辱だ。
その元凶の片割れたる存在が、この声の主なのだ。
『以上、10名ですの。…なかなか順調ですの。でも、乗らない方もいますのでやる気を出してもらうためにご褒美のことを……』
「フッ……フフ……ハハハ……。褒美。褒美か……。僕の褒美はね、ノイ=レジセイア。君の首さ。タカヤ兄さんとの決着の邪魔をしてくれたんだ。責任は取ってもらうよ」
獰猛な笑みを浮かべ、誰に言うでもなく言い放つ。口元が激しく動き、床に落ちた脂身は赤い水たまりに白く浮かんでいた。
聞こえていようが、聞こえていまいが、そんなことはどうでもいい。ただ口にしないと気が済まなかった。
『続いては禁止エリアですの。一度しか言わないからメモの用意を……』
――A-8とD-4。A-8とD-4か……ん?
忘れないように心の中で反芻する。この段になって彼は、食糧問題とはまた別の死活問題に初めて気づいた。
――ここはどこなんだい?
さすがのテッカマンにもGPS機能なんて便利なものはついていない。地図もない。
ジワリと汗が浮き出てくる。
落ち着いて考えろ。ここはどこだ?そう。コックピットだ。ならば何も焦ることはない。
シートに腰掛け、起動を試みる。何の反応もない。細切りされた状態なのだ。動くわけがない。
ということは機体からは地図を引き出せず、現在地の特定もできない。
玉のようになって肌に浮いた汗が顎の先から滴り落ち、床に膜を張った赤と混ざり合って消えた。
迷子のあげく禁止エリアで死亡なんてのは、いくらなんでも間抜けすぎる。笑い話としても、二流三流を通り越して四流以下だ。
必死になって記憶を遡る。あやふやな頭の中の地図と照合しつつ現在地を割り出していく。
しかし、頼りの記憶は途中で途切れていた。しかも起きたときには違う場所。第一、自分の位置を明確に特定できていたのは、サイコを落とされるまでだ。
さらに食料を奪ってからはその場を離れることを重視して、方角にまでは気を配っていない。
それでも何とかわかるのは地図南部か北西部の市街地ということだ。
中央廃墟の可能性もないことはなかったが、周囲の建物の状態から可能性は薄いと判断。
ひとまずは禁止エリアの可能性は低いとみてほっと一息つき、額の汗をぬぐう。体重を預けられたシートがわずかに軋んだ。
あとは日差しの方角と壁の位置を確認すれば、南か北西かは割り出せる。
ただし、それで割り出せるのは大まかな位置。二つの市街地の規模も漠然としか覚えていない。
次回の放送のことを考えると位置確認の為に起動兵器が必要であった。
――キッドといったかな、あの男は……つくづく僕を困らせてくれる。
睨みつけた視線の先には、自らが葬った男の顔があった。
「見つけた!」
モニターにヴァルハラを確認して、ロジャーは思わず口走った。
ショットケーキのように切り分けられたヴァルハラの1ピース。それはクリームの装甲板とスポンジの内部機器からなる奇麗な断面を、さらけ出していた。
素早くレーダーに目を走らせ、周囲に敵がいないことを確認する。逸る気持ちにまかせるまま機体から飛び降り、駆ける。
放送は聞いていた。
しかし、『もしかしたら』というわずかな期待。
それがそこにはあったのかもしれない。いや、あったのだろう。
だが、現実はたやすく人を裏切り、希望を踏みにじる。
ヴァルハラに駆け込んだロジャーを待っていたのは、反吐を吐くような血の臭いと悪魔のような男。
ひやりとした冷たい蛇の舌が首筋を這っていく。そういう錯覚を覚えて、ぞっと悪寒が走った。
「待っていたよ、Mr.ネゴシエイター」
蛇が体に纏わりつくかのような声と圧力。姿は違えど間違いなく奴だ。
人の持つ原初の本能が、生物的優位に立つ相手を目の前に警告を発していた。きっとこういう状態を『蛇に睨まれた蛙』と言うのだろう。
しかし、それを気迫で押し返すようにして、一歩踏み出す。
「貴様、リリーナ嬢を――」
――こつん
踏み出した足が何かを小突いた。
肌を覆い尽くす悪寒が数倍に跳ね上がる。鼓動が早鐘を打ち、頭の中では警鐘が鳴っていた。
見るな、と直感が囁く。
「リリーナ? お探しの彼女なら――」
聞くな、と直感が叫ぶ。
「――ほら。さっきから君の足もとにいるじゃないか、ネゴシエイター」
頼むから見ないでくれ、と直感が懇願する。
しかし、何か抗えぬものに憑かれたかのように視線はゆっくりと動き、彼は見てしまった。赤い水たまりに浮かぶ生首を。
豊かで美しいブロンドヘアー。端正な顔立ち。この歳の少女としては凛々しすぎる眼差し。間違いなくリリーナ=ピースクラフト、その人の無残な姿を。
スーツに血が付くのも厭わずに膝をつき、抱えあげる。
糸を引く金色の髪から滴り落ちた血の滴は、小さな飛沫と波紋を残して血溜まりの中に消えた。
「感動の再会だね、ネゴシエイター」
心底楽しそうな声で相羽シンヤは話しかける。
――黙れ。
「どうしたんだい? もっとしっかり抱きしめてあげなよ」
――黙れ。
声を荒げ睨み返そうとして、リリーナと目が合いやめた。
怯えを意志の力で抑え込み、まっすぐに前を見据えた瞳――最初に出会ったときと全く同じ光がそこにはあった。
――ここからは私の仕事だ。貴女はもう休みたまえ。
せめて安らかな眠りにつけるようにと、瞼を優しくおろす。
「お祈りかい? 意外と敬謙なんだね」
ロジャー=スミスは立ち上がり、相羽シンヤを真っ向から睨みつける。
「チンピラが……。私の忍耐にも限度がある!」
殴りかかったはずのロジャーの体は、その数瞬後には逆に殴り飛ばされて宙に浮いていた。
ヴァルハラから転げ落ち、アスファルトに体を数回打ち付け、二三回転がった後、仰向けになってようやくとまる。
口の中に鉄の味が広がり、脇腹には鋭い痛みが走っていた。
「……ッ!!」
――肋骨が何本かいったか。
血を吐きつつも体を起こす。
奴がヴァルハラから降りてくるのが見えた。
その男は錆びた鉄のような血の臭いと禍々しい気配を身にまとい、コツコツと靴の音を立てながらゆっくりと歩いてくる。
動くに動けず距離だけがジリジリと詰まっていく。両者の距離はすでに幾許もない。
吐いた息がかかりそうな距離になって、焦れたのか、圧力に屈したのか、ロジャーの体が動いた。
次の瞬間、天地が逆さになる。背から大地に叩きつけられて、ロジャーは自分が投げられたのだということに気づいた。
「あっけないね。彼女の仇を討つんじゃないのかい? ほら、立ちなよ」
余裕綽々といった様子の声が上から降り注いでくる。
「貴様ッ!!」
立ち上がった瞬間、拳が迫ってきた。それを身を沈めて避け、脇の下に潜り込むと、腕を掴み、投げ飛ばす。そして、同時に駆けた。
生身で相対してみてわかったのは、相手が人ではないということ。素手では到底敵わないということ。素手での抵抗はこれが限界だ。
――乗るしかない、メガデウスに。
そう思い、騎士鳳牙へとただ駆けた。50……30、20、10、距離が縮まる。手を伸ばす。
騎士鳳牙の装甲に手が触れる。
間に合う、そう思った瞬間、背に突き飛ばされるような衝撃を受けて、うつ伏せに倒れた。
「悪いけど、せっかくあつらえた服を台無しにはしたくないんだ。それには乗らせないよ」
言葉と同時に脇腹を蹴りあげられて、体ふわりと浮かび上がる。
その衝撃は人に蹴られたというより、殆ど鉄の塊で殴打されたに近い。
呻き声をあげながら転がり、荒い呼吸と同時に口中に満ちた血を飲み込んで咽かえる。
突然、激痛と同時に目の前が暗くなった。踏みつけられたのだ、頭を。
それからはただの地獄だった。わざと重傷を与えないように弄られていった。まるで猫が獲物をいたぶるかのような光景。
呻き声一つでなくなったころ、髪を掴んで顔を強引に持ち上げてその顔を覗き込んだ。
「どうした、ネゴシエイター。もう終わりかい?」
いかにもつまらないといった感じで呟く。
返答の代わりに飛んだ唾は、頬にかかって落ちていった。
とたんに残忍な笑みが浮かぶ。
「そうかい。でも安心しなよ、ネゴシエイター。僕は優しいから、もう終わりにしてあげよう」
悪魔の笑い声を残して、騎士鳳牙を見上げる。わずか二三度の跳躍でそのコックピットに飛び乗ると、中に入る前に一度だけロジャーを振り返った。
「フフ……、もう動くこともできないみたいだね。一思いに踏み潰してあげるよ」
ボロ雑巾のような姿を確認して満足げに呟くと中に入り込む。
コンソールに齧りつき、数パターンの起動方法を試してみた。反応はない。
「やれやれ……、面倒をかけてくれるね」
さらに思いつく限りの起動方法を試してみる。全く反応がない。
「何故だ! 何故動かない!!」
やつあたりを受けた側面モニターにヒビが走った。
「無駄だ。鳳牙はお前の言うことなど聞きはしない!!」
「……ッ!!」
その一言が癪に障った。もう踏み潰すなんて生ぬるいことは考えてはいない。
今すぐに引導を渡そうと、コックピットから顔を出す。
目の前で糸のようなものが光った気がした。
「……ッ!?」
突然、息苦しさを覚える。背後に人が降り立つ気配を感じた。
反射的に伸ばした手が、首に巻きついている何かに触れる。
――ワイヤー!
そのワイヤーを背後のロジャーが全力で絞めている。体勢は不利、人のまま千切れる太さでもない。
視界が狭まり、意識が朦朧となる。
――チッ! 迷ってる暇もないか。
手を首元からポケットへと滑りこませて、テッククリスタルを取り出す。そして、テックセットを行おうとして、クリスタルを蹴飛ばされた。
「何をするつもりだったかは知らないが、何もさせはしない」
後ろから押されて足場がなくなり首を吊られる形になる。
地に落ちたクリスタルがアスファルトにぶつかって、乾いた音を立てるのを聞いた。
――死ぬのか?
近づいてくる死の臭いを濃厚に感じ取って、全身が怖気立つ。
――タカヤ兄さん、僕はここで死ぬのか?
狭まる視界は既にこの世を映さず、兄の偶像が浮かべていた。
――嫌だ。嫌だ! 嫌だ!! 嫌だ!!!
眼が虚ろになり、首元に伸びていた手が力なく滑り落ち――
――ロジャーの痛めた脇腹にめり込んだ。
「……ッ!?」
呻き声が聞こえ、ワイヤーに込められた力が緩む。その隙に抜け出し、シンヤは地上十数mの高さから落下した。
脇腹を押さえつつロジャーは鳳牙に乗り込み、懐から取り出した小さな手のひらサイズの機械を握り締めた。
「SP1! コマンドインストール!」
コクピット内のジョイントへギアコマンダーを叩きつける。鳳牙のバイザーがあがり、瞳に光が宿る。
そして彼は声高らかに叫ぶ、いつもの芝居がかった口調でいつものセリフを。
「騎士凰牙! ショウタァーイム!」
順調に起動し、外部の様子を映し出したモニターに一つの人影を捉えた。その影は迷うことなく蹴り落としたクリスタルのほうに駆けている。
「お前を見逃していたら人が死ぬ。それを私は許さない。リリーナ嬢の依頼に逆らおうとも、お前だけは私が許しはしない」
騎士凰牙の右腕が大きく振り上げられ、そして、巨大な槍が相羽シンヤ目掛けて振り下ろされる。
相羽シンヤは駆ける。落下で左腕は折れ、今上空からは巨大な槍が唸りを上げて迫っている。
間に合うかどうかもわからないタイミング。それでも彼は駆ける。
そして、跳んだ。ただ一つの逆転のカギに向って。
振り下ろされた槍が重い音を鳴らして大地に打ち付けられ、アスファルトには大きな亀裂が奔り、粉塵が立ち込めた。
「やったのか?」
浮かんだ汗が、頬を伝って流れ、顎の先から落ちた。そして彼は耳にする、悪魔の声を。
「テックセッタァー!」
粉塵の中で何かが輝く。姿は遮られて見えないが奴が生きている。
ならば、と槍を手放し、その光の元へ拳を叩きこもうとして、背筋を冷たいものが這うのを感じた。
全身の肌が粟立ち、細胞が警告を告げる。同時に響く声。
「ボルテッカアァァーーー!!」
咄嗟に一歩下がる。ドスハードの槍に亀裂が走り、光に飲まれて消える。
その光景に全身の血が凍りついた。慌てて距離をとり、構えなおす。
だが、その時には既に敵の姿はなかった。
「逃げられたか……」
小さく呟く。
――追いかけたいところだが、そうもいかないようだな。
騎士凰牙のコックピットの中、ロジャーの体沈んでいく。体中が悲鳴をあげている。
受けた傷は体を蝕み、交戦する体力は愚か追いかける体力すら残してはいなかった。
テッカマンエビルはビルの谷間を縫うように飛んでいた。
その視界が揺れ、世界が回る。
体勢が崩れ、飛ぶその勢いのままアスファルトに一つの爪痕を残して倒れ込んだ。
彼もまた戦えないほど傷ついている。左腕は折れ、槍に潰された右足は自分で切り落とした。
失血からくるのであろう眩暈と激しい吐き気にも苛まされている。
それでも彼は槍を杖代わりに立ち上がり、安静にできる場所を望んでその場を離れる。
全ては再起の為に。
――待っていてね、タカヤ兄さん。
全ては決着をつける為に。
――許さないよ、ネゴシエイタアァァー。
そして、全ては復讐をする為に。
【相羽 シンヤ(テッカマンエビル) 搭乗機体:無し
パイロット状況:テッカマン形態、PSYボルテッカ使用により疲労
右足切断、左腕骨折、眩暈、吐き気、迷子
機体状況:機体なし
現在位置:C-8市街地北東部
第一行動方針:安静にできる場所を探す
第二行動方針:ロジャーを殺す
第三行動方針:竜馬を殺す
第四行動方針:機体の確保
第五行動方針:十分な食料の確保
第六行動方針:他の参加者を全滅させる
最終行動方針:元の世界に帰る
備考:テックシステムの使用はカロリーを大量に消費】
【ロジャー・スミス 搭乗機体:騎士凰牙(GEAR戦士電童)
パイロット状態:体力消耗、肋骨数か所骨折、全身に打撲多数
機体状態:左腕喪失、右の角喪失、右足にダメージ(タービン回転不可能)
側面モニターにヒビ、EN90%
現在位置:D-8市街地
第一行動方針:リリーナの埋葬
第二行動方針:傷の手当
第三行動方針:テッカマンエビルを倒す。
第四行動方針:ネゴシエイトの相手を探しつつ、マーダーを排除。
最終行動方針:依頼の遂行(ネゴシエイトに値しない相手は拳で解決、でも出来る限りは平和的に交渉)
備考1:凰牙は通常の補給ポイントではEN回復不可能。EN回復はヴァルハラのハイパーデンドーデンチでのみ可能
備考2:念のためハイパーデンドー電池二本(補給一回分)携帯
備考3:ワイヤーフック内臓の腕時計型通信機を所持】
【初日 19:25】
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