133話「Withdrawal Symptoms」
◆7vhi1CrLM6
暗い闇が視界を満たしている。何一つ見当たらない漆黒の闇。
しかし、無明ではない闇。瞳が捉えることの出来る闇だ。
久方ぶりに自らの目で確認するそれは輪郭の定まらないぼんやりとしたもので、いつになく優しく見えた。
「ふっ……」
笑いがこぼれる。
滑稽だった。闇を優しいと感じているのだ。
人が有史以来、怖れ、常に遠ざけようと努力してきたそれをだ。
心が昂る。機速が増す。
この程度の暗さなど闇の内に入らない。少なくともアキトは知っている、光を奪われた視界というものを。
不意に眩い光が奔り、慌てて機体を止めた。
心の昂りを押さえ込み、努めて冷静にグルリと周囲を一望する。
南と東は湖。北は平原。西は湖と平原が半々の湖岸。不審なものはなにもない。
湖岸沿いに南下してきて来た。それが湖にぶちあたり、水面で照り返した月明かりが目に入った。
気のせいか? そう自問した次の瞬間、視界が回り強烈な吐き気を催した。続けて口中に嫌な苦味が奔る。
咄嗟に口を押さえたときには、胃酸と混じりあったドロドロの茶褐色を吐き出していた。
指の隙間からボタボタと垂れ下がり、床に溜まりを成す。鼻を突き咽返るような臭気が立ち込める。
呼吸が荒い。口内の粘つき苦みばしった唾液に辟易しながらも呼吸を整え、咽て咳き込んだ。
同時に船酔いのように視界が揺れ動き、吐瀉物の中に頭から倒れこんだ。
世界が回っている。
起き上がろうとコックピットシートを掴み、腕に力を込める。縋りつくようにして身を起こし、再び倒れこむ。
グチャリと吐瀉物が顔に押しつぶされるのがわかった。
咽返る臭気とニチャリとした口内の感触に胃が逆流する感覚に襲われ、また吐く。
体は動かない。全身の筋肉が痙攣を起こし動けない。
寒気がした。同時にぬるま湯に浸かっているような暖かさも感じた。
耳は甲高く鳴り響き、ぼんやりと焦点を失い始めた視界はなおも回り続けている。
自分の体が縦なのか、横なのか。それすらも壊れた三半規管は教えてはくれない。
薬で強引に働かせるという無理に無理を重ねた五感が、叛旗を翻していた。
気をしっかり持て。そう自分に言い聞かせる。
正直、予想外ではあった。痛覚に訴えてくるものだと思っていたのだ。
痛みなら耐えられる。正常を保てる。そういう自信があった。
だがこれは痛みではない。
体の中身が壊れた。形はそのままに機能が狂ってしまった。そういう苦しみだ。
かつて体を弄り回されたときの再現でもある。
理不尽なまでに一方的な力。意志の力でどうこうなるのは正気を保つことだけだった。
だが、皮肉にも正気を保とうとすればするほど体は精神を蝕んでいく。
もぞっと手の甲で何かが這った気がした。思わず払いのける。
しかし、もぞもぞと何かが這い回る感触は離れない。鼓動が早鐘を打つ。
視線がゆっくりと動き、それを見た。
手の甲に浮かんだ蒼白い血管。そこで小さな腫瘍のような膨らみが、動いていた。
血管の中で何かが蠢いている。
蜘蛛。咄嗟に思い浮かんだのはそれだった。
小蜘蛛がゆっくりとゆっくりと血管を這い登っている。疼くような感覚を伴いながら膨らみが手首に差し掛かる。
耐え切れなくなり思わず手首を掻き毟り――
ぷちゅ
柔らかい小蜘蛛が血管内で潰れた。流れ出した白い体液が血液に混じり、体中に循環していく。
全身を掻き毟りたい衝動に襲われ、そして、今度は逆の手首と首筋で小蜘蛛が蠢いた。
◆
それは夜の色だった。闇夜に溶け込む深い青。
もし自分が夜間迷彩を施したとしたらこんな色にしただろう。
そういう色をしたアルトだった。
だがそれはありえない色だ。
人類初のPTゲシュペインスト。アルトアイゼンはその三号機タイプTを母体に改造された機体だ。
母体が一機しか存在しない以上、アルトアイゼンもまた一機のみ。
ユーゼスの乗っていた赤いアルトがある以上、この青いアルトの存在はありえないである。
「中尉、あの機体は……」
「アルトだ、多分な。だが俺の知らないアルトだ」
質問に歯切れ悪く答える。今のところ自分でも結論がついていないのだ。
赤いアルトと青いアルト、それに元の世界で乗っていたリーゼ。この三機の相違の意味を未だ見出してはいない。
「カミーユ、接触するぞ」
「……」
返事はなく。若干俯く姿がモニター越しに映し出される。
「どうした?」
「いえ……分かりました」
釈然としない返事がなされる。
カミーユもカミーユであの機体をいぶかしんでいるのだろうか。
そう思いつつ隼は、文字通り飛ぶように距離を縮めていった。
◆
手に何かが触れた。
はっとして顔を上げる。
白い艦長服に身を包んだ葵い髪の少女がそこにはいた。
「……ユリカ」
思わず声が漏れる。錯乱した脳がまとまらない呟きを浮かべる。
「何でお前が死ななければならなかったんだ?
少なくともあの戦争が終わり……までは生きる権利も意味もあったはずだ……なのに」
彼女は何も返さない。
いつも人一倍にぎやかな彼女に似合わずただ静かに微笑みかけている。それだけだった。
「俺は? 俺はここで何をしている?」
俯き、束の間目を離した。その隙に彼女の幻影は跡形もなく消え去ってしまった。
どうしようもない喪失感が胸に穴を空け、そして――黒い壁。全身の身の毛がよだつ。
「悪いな。ついうっかり踏んじまったか」
陰湿な声。その向うに奴が居た。
瞳に殺気が宿る。噛み締めた歯が音を立てる。
「くくく……憎いか? 俺が憎いか? そうだ俺を憎め! さあ! さあ!! さあ!!! 」
空いた穴を憎悪が埋めていき、貴様だけは生かしておけない、そう思った。
「ガウルウウウゥゥゥゥゥゥンンンンンンンンン!!!!!!!!!」
絶叫と同時に跳びかかる。
しかし、膝に力はなく伸ばした手は空を切り、アキトは崩れ落ちた。
足の筋肉が痙攣していた。投げ出された人形のように床に転がりながら、それでもアキトは睨め付ける。
薄ら笑いを浮かべたガウルンが背を向ける。
まてッ! そう思った。
行くなッ!! そう願った。
殺してやるッ!!! そう念じた。
「くくく……ははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!」
しかし、高笑いを残してガウルンは跡形もなく消え去って行った。無力感が体を押し包む。
そして、小蜘蛛は再び蠢きはじめる。
◆
青いアルトアイゼンに取り付いたキョウスケは、手際よくコックピットハッチの開放手順を踏んでいた。
位置・形状、共に自身の知るアルトと何の相違も見られない。システム的にも全くの同一。
ゆえにその動作はキョウスケ=ナンブにとって手馴れたものであり容易であった。
音を立てて腹部のハッチが開放される。
警戒して身構えたキョウスケを、異臭が包み込んだ。その余りの匂いに思わず一歩退く。
中には一人の青年が吐瀉物に塗れて倒れていた。
「大丈夫か?」
声を掛け踏み出した一歩が吐瀉物を踏みつけずるりと滑る。構わずに詰め寄り、抱え挙げるとシートに座らせた。
観察の目を奔らせつつ再度呼びかける。
「聞こえるか? 何があった?」
反応はない。表情は弛緩し目は虚ろ、体は悪寒に震えている。
右の手を取り袖をたくし上げる。針跡こそ無いものの無数の引掻き傷がそこにはあった。
薬物か――そうキョウスケは判断した。
現実に中毒者を見た経験はない。しかし、耳にする禁断症状の幾つかと目の前の青年の症状は重なっている。
そして、それを疑う材料は何も無かった。視線を青年の右腕から首元へと移す。
『道中にこれも取ってきてもらおうか』
ユーゼスの声が脳裏に蘇ってきた。
カミーユからそれを取るつもりは自分にはない。他の敵対しない者たちに対しても同じである。
ではこの青年はどうだ?
確かに敵対者ではない。しかし、正気を保った健全者でもない。
保護を行なう理由は何もなく、首輪が必要なことは明白な事実として眼前に存在している。
ユーゼスならば躊躇無くこの男を殺せと言うだろう。だが、俺は――
どうする?
不意に、驚くほどしわがれた声が空気を震わせた。
「ユ……リカ」
思わず持ち上げた視線が青年のそれと絡み合う。
いや、僅かに力強さを増しつつも未だ虚ろなその瞳はキョウスケを捉えてはいない。
何か別の、違う何かをここに見据えている。そんな感じの目だった。
乾きひび割れた唇が動く。かすれた切れ切れの声が耳朶を打つ。
「……は? 俺…は……何を……?」
何を言っているのかはよく分からなかった。だが、何となく理解できた。
これは謝罪だ、護りたかった者への。
これは後悔だ、自身の不甲斐なさへの。
同じだ。そう思った。
こいつは俺と同じだ。こうなったかもしれない自身の一つの形だ。
頬が弛み、漏れた笑い声が狭い空間を満たす。首輪を取ろう等という考えはもう霧散していた。
突然の笑い声に驚いたのか、警戒中のVF-22の外部スピーカーから声が飛んで来る。
「キョウスケさん?」
「いや、すまない。何でもない。機内には病人が一人乗っている。保護するぞ」
「そうですか……」
ハッチを潜り、コックピットカバーを足場にして立ち上がったキョウスケの目の前にVF-22は立っていた。
気乗りの無い声が気にかかる。思えばこの青いアルトとの接触を決めたときからそうだった。
「どうした?」
「いえ……」
歯切れの悪い返事。
ちょっと考えるような間が空き、再びVF-22の外部スピーカーが声を伝える。
「先行して基地に戻ります。あの男と二人きりベガさんが気にかかりますし、それに嫌な予感がする」
「そうか……分かった先行しろ。ただし無茶はするな」
「大丈夫ですよ。子供じゃないんだから言われなくても分かっています」
「そうだったな。それと放送後一時間以内に帰還しなければ俺は死んだものとして動け」
「分かりました。放送一時間以内に生還ですね。必ずですよ」
キャノピー越しに目が合い視線が交わされる。一拍置いて表情が緩んだ。
「そうだな。放送一時間以内に必ず戻る」
「了解。ではカミーユ=ビダン行きます」
轟音と熱風を残してVF-22が飛び上がる。
それは上空で瞬く間に戦闘機へと姿を変えたかと思うと、数瞬後には北の空に飲み込まれて消えていった。
【テンカワ・アキト 搭乗機体:アルトアイゼン(スーパーロボット大戦IMPACT)
パイロット状態:マーダー化 薬の副作用によるバッドトリップ
機体状態:胸部に軽度の損傷。3連マシンキャノン2発消費、スクエアクレイモア1発消費
現在位置:G-8
第一行動方針:正気を保つ
最終行動方針:ユリカを生き返らせる
備考:・首輪の爆破条件に“ボソンジャンプの使用”が追加。
・謎の薬を一錠使用。副作用の残り時間は10分】
【キョウスケ・ナンブ 搭乗機体:ビルトファルケン(L) (スーパーロボット大戦 OG2)
パイロット状況:頭部に軽い裂傷、左肩に軽い打撲、ユーゼスに対する不信
機体状況:胸部装甲に大きなヒビ、機体全体に無数の傷(戦闘に異常なし)
背面ブースター軽微の損傷(戦闘に異常なし)、背面右上右下の翼に大きな歪み
現在位置:G-8
第一行動方針:アキトの保護
第ニ行動方針:基地へ戻る
第三行動方針:首輪の入手
第四行動方針:ネゴシエイターと接触する
第五行動方針:信頼できる仲間を集める
最終行動方針:主催者打倒、エクセレンを迎えに行く(自殺?)
備考:アルトがリーゼじゃないことに少しの違和感を感じています】
【カミーユ・ビダン 搭乗機体:VF-22S・SボーゲルU(マクロス7)
パイロット状況:良好、ベガとマサキを心配
機体状況:良好、反応弾残弾なし
現在位置:G-8北部
第一行動方針:基地へ戻る
第二行動方針:マサキの捜索
第三行動方針:味方を集める
第四行動方針:20m前後の機体の二人組みを警戒
最終行動方針:ゲームからの脱出またはゲームの破壊
備考:ベガ、キョウスケに対してはある程度心を開きかけています】
【二日目 4:15】
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