176話「驕りと、憎しみと」
◆7vhi1CrLM6



横倒しのブラックゲッターの上で、空を眺めていた。
穏やかなときが流れている。
ユーゼスと共にG-1エリアに到着した後の約二時間、特にすることはなかった。
補給ポイントから離れ、見渡す限りの草海原に機体を横たえているだけである。
炉心の火を落とした二機は熱源探査にはかからない。遠目に見たとて、損傷の激しい二機の姿は残骸としか映らないだろう。
仮に興味を持ったとしても、見晴らしのいいここでは接近するまでの間に十分火は灯せる。
だが、この二時間そんな者は現れなかった。ナデシコは愚か鳥の一羽すら空には浮かんでいない。
視線をゼストと呼ばれるユーゼスの乗機へと落す。
湖で拾った白い神像とでも言うような巨神。その抉れた胸にゼストは、背中を合わせて固着していた。
そして、目を凝らすまでもなく分かる。四肢のないゼストが巨神を侵食している。
毎秒1mm程度の速度で、白いその装甲を深紫に染め上げ、同化し、巨神の胸にズブズブと沈み込む。
侵食の速度は全長50mを下らない二機にしてみれば、微々たる速度。だが、それでも既に傷口から7mを超えて侵食されている。
恐らく半日後には二つは一つとなり、全身余すことなくゼストと化すのであろう。あくまでこのままの侵食速度であればの話だが。
得体の知れなさは気味が悪いが、それも今はどうでもいい。
揺れた草花が音を立て、風が頬を薙いでいった。雲の流れは速い。形を変え、移ろい、消えていく。
無粋な思考を頭から追い払えば、本当に穏やかな時間だ。それはいい。
こうしている間にも他者は互いに潰し合い、その数を減らしている。自分だけが休息のときを得ていると思えば、それも悪くない。
だが、今この瞬間もあの男はどこかで生きている。それが許せない。
そして、自分の知りえないところで死んでいく。それはもっと許せない。
焦り。焦燥。自分は何をしているのだと思えてくる。
ユリカを殺した奴をほったらかしにして、何を一人呑気に平穏なときを甘受している。
動け。探せ。見つけ出して殺せ。生きたまま心臓を抉り出し、火にかけろ。
突き上げてきた暗い情念が、囁きかける。それが出来ればなんと楽しいことだろう。
しかし、今、それに応じるわけにはいかない。
我ながら暗い、無粋な思考だ。だが、今やこの暗い感情は切っても切り離せないものとなっている。
怨みも、辛みも、三年前のあの日から片時も離れることなく身近に寄り添っている。
腹の底が静まるのをじっと待って再び見上げた遠方の空に、西から東へと矢のように疾空する二つの機体を見つけた。
笑みが漏れる。
臓腑の底で溜まりを為す暗い粘液のその又底の底で生じた一泡が、濁音を立てた気がした。その異常さに気づかぬまま。

「ユーゼス、敵だ」

 ◆

――存外、簡単に割れたものだったな。

メディウス・ロクスの身の内で一人AI1と向かい合う仮面の男は、そんな感想を抱いた。
右手に掲げ、僅かな明りに照らして眺めているのは、解析の為に預かった謎の薬。
その正体は、拍子抜けするほどあっけなく割れた。既に同種のデータを、AI1が得ていたが為である。
DG細胞――その呼称をユーゼスは知らない。だが、その性質は知っている。
他者に侵食し、取り込み、自己を再生させ、自己を増殖し、そして進化する非常に高度なナノマシン。
希釈されて能力を半減させられていたとは言え、そんなモノがこの薬には仕込まれていた。

――薬だと? これは劇薬だ。

性質を鑑みるに一時的な感覚器官の強化は、体内に散らばったこのナノマシンが、五感の補助を行なった結果だろう。
だが、効果は一時的なもの。
希釈された状態では、異物の混入に反応した体内の免疫システムに抗いきれない。
免疫システムに抗いながら活動できる限界時間が、恐らく30分の効用時間。その後は駆逐されてしまう。
だから自己保全の為、その時間を過ぎたナノマシンは次のプロセスに移る。成り代わりである。
元々の細胞を壊し、代わりに収まり、何食わぬ顔で機能を代行。そうやって、体の節々に潜伏する。
一度潜伏が完了してしまえば、宿主に異変を知る術はない。見かけの変化は何もないのだ。
この過程が、一時間の副作用。
あの苦しみは、感覚器官そのものを食いつぶされる苦しみ。
いや、感覚器官と言わず身体そのものが、あのナノマシンに取って代わられようとしているのかもしれない。

「ならば――」

ならばこの仮定が正しいとして、体全てがナノマシンに取って代わられたら、どうなる?いや、体全てと言わず体内の免疫システムを凌駕する程の潜伏が完了すれば、最早潜伏の必要はない。
必要がなくなれば、この貪欲な性質上牙を剥くは必定。
残ったテンカワ・アキトの細胞は一つ残らず食い潰され、人を模ったナノマシンの塊が生まれる。

「フ、フフ……フハハハハハハハハハハハハッ!」

込み上げてくる愉悦に耐え切れず、哄笑が響き渡る。
悪くない。素晴らしい。理想的だ。
あの男は苗床だ。生きたナノマシンの苗床。それを手に入れた。
丁度サンプルが少ないと嘆いたところ。実に都合良く出来ている。

――では私は何をすればいい?

単純だ。ナノマシンの活動を促進してやればいい。
都合の良いことに薬の処方を既に約している。それに細工を施す。
あの首輪から採取した希釈されていないナノマシン。それを仕込む。作業も単純。
惜しむらくはサンプルの稀少さだが、後から元が取れると思えば錠剤一つ分ぐらいは目を瞑れる。

「ユーゼス、敵だ」

かけられた声にそこで一時思考を切り上げた。
モニターを光学カメラに切り替え、周囲を探る。なるほど。遠方の空に二つの機影が見えた。
だが、かなり遠い。接触コースでもない。
目視圏の端を掠めているだけであり、何もない空で動いているからこそ目視出来るレベルのものだ。
恐らく気づかれてはいないだろう。
映像を手ごろな大きさに拡大する。
濃紺の騎士のような大型機と白銀のシンプルな機体。共に隻腕で、戦闘痕がそこここに見て取れた。

「ふむ。何故敵と判断した?」
「大型機のほうと一度交戦した経験がある。左腕はそのときに潰したが、損傷が増えているようだな。
 その湖から拾い上げた機体を両断したのも、あの機体だ。白いほうは初めて見る」
「そうか……他には、いやそれよりも『見える』のか?」
「……辛うじてだが、それぐらいは今の俺でも見える」

――気づいてないのか?

この距離で見えるということは、バイザーの補正込みとはいえ最低限人並みの視力を確保しているということ。
バイザー抜きにすれば、やはり人並み以下の視力ではあるのだろう。
だがそれすらも危ういほど、この男の視力は低下していたはずだ。それが僅かとは言え回復傾向にあるということは――

――存外に潜伏期間は短いのかもしれんな。

それは追い風だ。
この男からナノマシンを採取できる時期が、そう遠くないことを示している。

「追うか?」
「そうだな……だがそれは私がやろう。君にはあれの飛んできた方角を調べて貰いたい」

あの弾丸のような速度と軌道を考慮すれば、明確な目的地が存在するのか。あるいは何かから逃げているのか。
目的地が存在するとすれば、それは周辺空域を回遊しているナデシコである可能性は高い。
ともかく、前も後ろも気になる。可能ならば全てを把握しておきたい。
どうせこの男には、自分が必要なのだ。むざむざ逃すこともない。合流の手順を簡潔に伝える。

「……ゲッター炉心は?」
「簡易ドック程度の設備が欲しい。ナデシコを捉えるまで待て」
「薬は?」
「今、処方している。注意点が一つ。効果の継続時間を少なからず伸ばしておいたが、それに比例して副作用の時間も伸びる見込みだ。
 実際にどれほど持続するかは、服用してみないことには何とも言えん」
「十分だ」

これでいい。
元の薬を使い切るまで、こちらの手渡した薬を使わないことは十分に考えられる。その程度の警戒心はあって当然。
だからより強力であることを強調した。服用せざる得ない敵、状況というのは必ずどこかに存在する。
それに嘘は言ってない。一度に摂取する量が増える以上、免疫システムに抗える時間が増えるのは必然。
同時に量の増加は、潜伏に要する時間の増加も招く。
読みきれないのは神経にかける負担。量の増加がどれだけ五感を鋭敏にするのか、それは分からない。

「逸るな。ゼストもゲッターも万全ではない。無理はしないことだ。
 ナデシコもエリア内のどこを回遊しているか分からないことだし、無用な警戒を抱かせることはない」

やや間があって反抗的な視線と共に「了解」との返事。どうせ数を減らすことばかり考えていたのであろう。

「一つ聞きたい。この薬を二錠同時に、あるいは効果が切れる直前にもう一錠服用すれば、どうなる?」
「それは現時点では何とも言えない。効果時間の継続が狙えないとも限らないが、お勧めは出来ないな」
「……分かった。貴様が処方したという薬をよこせ」
「少し待て」

懐からナノマシンのサンプルを取り出す。
この大元となったあの変質した首輪は、バーナード・ワイズマンと共に失われた。
今も手元に残っている量は、そう多くない。
必要な分量だけを削りだし、すり潰し、粉に。さらに何工程か手を加え、錠剤を作り上げる。
ナノマシンの濃度は、アキトの有する薬の数倍。だが外見上の違いは、何もない。
その出来栄えに満足気に笑う。
処方を終え、視線を再度遠ざかる二機に向けた。
十二分の距離を置けたことを確認。この距離ならばそうそう気づかれることもないだろう。
作り上げたばかりの薬をアキトに、預かっている薬は手元に、そして彼らは二手に分かれる。
次の駒。新たなる未知の技術。それらに対する期待を胸に、仮面の男は再び動き始めた。



【テンカワ・アキト 搭乗機体:ブラックゲッター
 パイロット状態:マーダー化、五感が不明瞭(回復傾向)、疲労状態
 機体状態:全身の装甲に損傷、ゲッター線炉心破損(補給不可)
 現在位置:G-1
 第一行動方針:現在地(G-1)より西を探索
 第二行動方針:ナデシコの捜索とユーゼスとの合流
 第三行動方針:ガウルンの首を取る
 第四行動方針:キョウスケが現れるのなら何度でも殺す
 最終行動方針:ユリカを生き返らせる
 備考1:首輪の爆破条件に"ボソンジャンプの使用"が追加。
 備考2:謎の薬を3錠所持 (内1錠はユーゼス処方)
 備考3:炉心を修復しなければゲッタービームは使用不可
 備考4:ゲッタートマホークを所持】

【ユーゼス・ゴッツォ 搭乗機体:メディウス・ロクス(+ラーゼフォン)
 パイロット状態:若干の疲れ
 機体状態:全身の装甲に損傷(小)、両腕・両脚部欠落、EN残量80%、自己再生中
 機体状態2:右腰から首の付け根にかけて欠落 断面にメディウス・ロクスのコクピットが接続 胴体ほぼ全面の装甲損傷 EN残量40%
 現在位置:G-1
 第一行動方針:東進する二機(統夜・テニア)の追跡
 第二行動方針:ナデシコの捜索、アキトと合流、AI1のデータ解析を基に首輪を解除
 第三行動方針:他参加者の機体からエネルギーを回収する
 第四行動方針:サイバスターとの接触
 第五行動方針:20m前後の機体の二人組みを警戒
 第六行動方針:キョウスケにわずかな期待。来てほしい?
 最終行動方針:主催者の超技術を奪い、神への階段を上る
 備考1:アインストに関する情報を手に入れました
 備考2:首輪の残骸を所持(六割程度)
 備考3:DG細胞のサンプルを所持
 備考4:謎の薬(希釈されたDG細胞)を一錠所持
 備考5:AI1を通してラーゼフォンを操縦しているため、光の剣・弓・盾・音障壁などあらゆる武装が使用不可能
 備考6:ユーゼスに奏者の資格はないため真理の目は開かず、ボイスの使用は不可
 備考7:ラーゼフォンのパーツ部分は自己修復不可】

【二日目 14:15】


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