162話「最後まで掴みたいもの」
◆YYVYMNVZTk



全身の血液が、ドクンと波打つ。
前回の経験から、アキトは知っている。それが時間切れを教えるものだということを。
気づけば世界は回っている。認識が出来ない。
視覚も、聴覚も、嗅覚も、触覚も、味覚も。自分と世界を繋ぐラインはぐちゃぐちゃにかき乱され、歪に捻じれている。
今自分の目の前に広がっている光景が異常なのかどうかさえ定かではない。
判断力など既に消え去っている。それがおかしいのか、それとも当たり前のものなのか。
手の甲を蟲が這っている。

爪と肉の間の僅かな隙間から次々と溢れ出てくるそれの触覚と肢が指の腹をくすぐり咬み付き指の中を通って爪から這い出て手首と甲の二点でぐるぐると回り続けている。
薄皮一枚分だけ器用に噛みちぎり破れた穴から血管の中へと侵入し親指人差し指中指薬指小指全ての根元から先へと順に進んでいき右の手のひら全てを蟲に変えてしまう。
ぐるぐると回るための穴に別のものが入り込み手首から腕へ上がり更に進むその道に選ぶのは骨であり髄を吸い食べてしまってどんどん肘へ肩へ心臓へもっと進んでいく。
皮だけでは旺盛な食欲を満たすことは出来なくて食べたくなるのはやはり肉で筋肉で筋の一本を食べてしまえば食べた分がそのまま蟲の身体になってそれが代わりに補う。
腕一つでは飽き足らず心臓へと到着し全身に送り出される循環に乗り足先へと頭頂へ巡り巡られ五臓六腑は喰い破られ筋肉は喰いちぎられ骨は噛み砕かれ血液は流れ出る。
全身が乗っ取られ身体を構成する物質が蟲のそれへと変わっていき骨は甲殻が肉は肉が血は体液がその代わりに機能し始め侵略はついに脳髄へと脳髄へと脳髄へと心へと。
皺の一筋一筋を蟲が這い蠢く肢がもぞもぞと脳の表面を刺激するので頭が痒くてたまらなくなるがすぐに痒さは痛みと変わったのは蟲が一斉に表皮を喰い破り始めたから。
脳細胞の一つ一つを丹念に丁寧に食べ尽くし細長い形の蟲たちは丸まり一つの細胞となり触手同士を結びつけシナプスの代わりとするので最後のパーソナリティも消える。
今や足先から頭まで口から肛門まで心魂まで何もかもが蟲たちと入れ替わりを果たしてしまっているために既に自分は自分なのかさえ定かではなくむしろ別人なのだろう。

自分の姿が、別の何かに成り変っている。視界が狭い。
これは仮面だろうか。そうだ、これは仮面だ。

『私たちは――既に共犯者なのだ。そう驚くことでもあるまい?』

俺は――いや、私はユーゼスに、なって、いる。
ユーゼス=ゴッツォ。それが自分の名前? いや、違う。違うということだけは理解する。
だが、頭が回らない。苦痛すら感じないほどに、何も何も。
仮面である自分の目的すら分からない――何故、手を組んだ?
纏まった思考が形成される前に疑問は霧散する。
支離滅裂な何かが蠢いては消えていく。世界がどうなっているのか、認識も把握も覚束ない。

『――――――』

自分の声も聞き取れない。いや、これは自分の声ではない。
ユーゼス=ゴッツォの声ではない。
もっと悪意に満ちた――そう!

「ガウ――ルン……!」

目前にガウルンが座っている。衰弱しきったはずの五感が、アイツを捉えろと攻め立てる。
手を伸ばそうとするも届かない。いや――届かないのではなく、伸ばすことさえ叶わない。
自分の身体は蟲になってしまっているのだ。自分の意志の元に動かすことさえままならない。
だがそれでは――この手で、ガウルンを殺すことが出来ないだろう。
それどころか、今なお衰えることなく心のうちに燃え続ける憎悪の炎さえ、消えてしまう。
それは――それは!

脳が一段階覚醒する。自分はテンカワ=アキトだと、ようやく思い出す。
何が起ころうとも――この憎しみを手放すつもりはない。憎しみを負の力と変え目的を果たすまでは――
忘れてはならないと自分に戒める感情がまだ自分の中には在る。
他に守りたかったものは全て失った。せめて、この気持ちだけは――最後まで、守り通したいのだ。
皮肉なものだと自嘲する。
自分はこんなものが守りたかったのか? 違うだろう?
他に何も守れなかった。その残滓を拾い集めて形にして、全く欲しくもないものなのに大事に大事に抱えている。
馬鹿な男だと、自分でもそう思う。だが、そう言ってくれる人はもういない。

ようやく手が伸ばせた。けれども手を伸ばせば伸ばすほどに、ガウルンの影は遠ざかっていく。
再び感じる、無力感。だが今度はそれを虚ろな炎を燃やす燃料とする。
今は届かなくても。
次は、絶対にこの手で。

――覚醒の時は、すぐに終わった。
クリアになった感覚が、先ほどまで微塵とも感じなかった蟲たちの不快感を捉える。
ぞわりと全身の毛が粟立つ。と、同時に、抑えきれない嘔吐の衝動。
吐き気を感じるより早く胃の内容物が逆流を起こす。二度目の嘔吐で、もう胃の中に残っていたのは胃液だけだった。
喉を焼く胃酸は酸っぱい。つんと鼻につく臭いのせいで、再び吐き気。
少しでも楽な体勢を取ろうと横になろうとするもどこが地面なのか分からない。
天地がぐるんぐるんと回っているような男が真っ直ぐに立てているはずもなく、それならば自分は倒れているのだろうと見当をつける。
けれど自分の三半規管は自分が今、地面と垂直に横たわっているという矛盾した姿勢でいると教えているのだ。
はは、と乾いた笑いが思わずこぼれる。
まったくどうして――どうしようもない。

 ◇

アキトが苦しみに悶えている姿を――ユーゼス=ゴッツォは、実に満足愉悦の表情で眺めていた。
興味深いデータだ。一時的に感覚器官を強化――或いは復活させ、戦闘力を強制的に向上させる。
その代償がこれ。酷使の反動か、はたまた別の要因か――それは解析をしてみないことには分からない。
だが――面白い。戦闘力の強化に関しては、今更取り立てて調べるほどのものではない。
薬物により人間の性能を強化するという概念は、太古の昔から伝わる原始的なものだ。結局は、効果の強弱が違うというだけのこと。
完全なコピーを作ることは難しいかもしれないが、限りなくオリジナルに近い模造品ならば、AI1の解析が済み次第生産が可能だろう。
問題なのは、これもまた、主催者からテンカワ=アキトへのプレゼントかもしれない――ということだ。
それならば、薬の副作用についても合点がいく。ゲーム的なペナルティといったところだろう。
機体の支給、首輪、禁止エリア、補給システム、見せしめ――何故かは分からないが、この殺し合いの主催者は、演出に力を割いている。
だがしかし――そこには、愉しみは感じられない。あくまでゲームか何か――ある意味では、酷く公平に、殺し合いを進めている。
今の人事不省な様子を見ている限りでは、薬がなければ戦えないというアキトの言葉に嘘はないだろう。
いくら戦闘力が向上したとしても、その後に別機体に殺されたのでは意味がない。
あれだけのデメリットを受け入れるということは、元々のハンディが理由だと考えられる。

ならば、あの薬はゲーム開始当初からアキトに持たされていたのだろうか?
ユーゼスは、それは違うと考える。
殺し合いをさせることが目的ならば、薬を別に支給するという面倒をせずとも、補助コンピュータ、或いはパイロットの負担を軽減する独自の操縦システムを備えた機体を支給すればすむ話。
元はユーゼスが乗っていたアルトアイゼンを、アキトのために設えなければいけなくなったために、急遽用意した――そう考えるのが自然。

次の疑問は、どうして一参加者であるはずのアキトがそこまでの待遇を受けているのか――ということ。
主催者の送り込んだ進行役の一人かとも考えた。殺し合いを円滑に進めるために、時には自らが戦い、また或る時には不和を撒き散らす――そんな存在だ。
だが、パイロットとしての素養はともかく、継戦能力が極端に欠けているこの男をジョーカー役として用意するというのは不自然すぎる。
つまり――アキトは、一参加者でありながら、主催者と取引をしたのだ。
アルトアイゼンを補修させ新しい乗機とし、戦うために薬物を受け取り――ジョーカーへと、成った。
本来ならば有り得ないこと。まず、主催者との接触が叶わない。主催者からこのような取引を持ち掛けるか? いいや、それはノーだ。
少なくとも取引の対象がアキトとなることは、上記の理由から有り得ない。
アクションを起こしたのは、アキトから――どうやって?

手を組んだその時は、メディウスが完治するまでの繋ぎだと考えていたが――気が変わった。
テンカワ=アキトは面白いサンプルとなる。出来ることならば十分に納得するまで情報を搾取し、その後処分する。
主催者への糸口が、キョウスケ=ナンブの他に見つかるとは好都合だ。

そして――と、ユーゼスは『ブラックゲッター』を動かす。
現在地はF-7補給ポイント。ここでユーゼスは、あるテストを開始する。
補給ポイントが破壊されていたG-6基地では不可能だったテストだ。

ブラックゲッターの残エネルギー総量を確認。
ゲッター炉心がまともに動いていない現状では、出力は万全の状態のおおよそ半分程度。
戦闘に関する挙動ではそれで十分だが、一度に大量のエネルギーを扱うことになるゲッタービームは使用不可能である。
エネルギーそのものも、残り数回の戦闘で完全に空になるだろう。
エネルギーを補給しても、ゲッター炉心を通すことが出来なければ、ブラックゲッターの機動力とはならない。
アキトの言うナデシコに相応の施設があるのならば、首輪の解除と同時進行でゲッター炉心の本格的な修理をすることも考えておく必要があるかもしれない。

だが――今からユーゼスが行おうとしていることには、そんなブラックゲッターの機体事情など関係がない。
これは、単なるテスト。ブラックゲッターが補給を行えるかどうか――それだけを確かめるものだ。
ブラックゲッターを補給ポイントのすぐ傍に座らせ、補給を開始する。
機体の傷などを除いて、弾薬、エネルギーは補給され機体は万全の状態へと戻るはずだった。
だが――補給装置は、幾らかの弾薬の補充を済ませ、八割ほどエネルギーを供給した後、補給完了という四文字をパネルに映し出す。

ユーゼスは、自分の仮説が正しかったということを確認し――歯噛みする。
やれやれだ。これで――ゲームの難易度は更に上がる。

『ブラックゲッターの失われたエネルギーは、完全には戻らなかった』

この事実、それはつまり――この会場のエネルギー事情を端的に表している。
カミーユは、バルキリーの反応弾は補給されなかったと言っていた。
機体から取り外されただけでは消費したと見做されず、補給の対象にならないのだろう。
カミーユは、反応弾――つまり、核兵器を持った者がバルキリーのパイロットを殺した参加者だと考え、その存在を危険視していた。
だが、その話を聞いた時点でユーゼスが危惧したのは、エネルギー問題についてだ。
消費された分しか補給されないというルールがどこまで適用されるのか、それを確かめようにも、基地には補給ポイントが存在しなかった。
カミーユの話の通りならば、殺し合いが進めば進むほどに、機体が破壊されればされるほどに、会場の総エネルギー量は減少していくということになる。
いざとなれば、一旦外部電力にエネルギーを備蓄し、再度補給――それにより十分なエネルギーを確保することが出来るだろうと思っていたが、それは無理、と。

そして、メディウスが吸収したブラックゲッターのエネルギーは補給されなかった。
八割まで戻ったのは、メディウスが基地での戦闘でそれだけのエネルギーを消費したからだろう。
残り二割ほどのメディウスのエネルギーに、ゲッターから取り込んだものも含まれているために完全補給には至らなかったということだ。

メディウスが吸収した分のエネルギーも、消費と見做されず補給の対象にならないのだとしたら。
残存機体が減れば、それだけ超神への可能性が潰えていくということになる。
ユーゼスがメディウスにゼストという名を付けたのは――あらゆる技術とエネルギーを吸収し、進化していくメディウスとAI1が、ゼストの雛型としてこれ以上なくうってつけだと考えたからである。
もし手をこまねいているうちに、メディウスを進化させるためのエネルギーが失われてしまえば、目も当てられない結果となる。
それだけは避けねばならない。
そうなる前に――メディウスに十分な餌を与える必要がある。
最悪の場合、更なる進化を果たしたメディウス単騎でも――この会場からの脱出は、成る。

こうなると結局は――自分が行おうとしていることが、主催者の狙いそのものだということに気づき、少しだけ笑う。
だが――手段が同一であろうと、その結果まで同じであるとは限らないのだ。

ブラックゲッターから降り、メディウスの元へと歩み寄る。
自己修復の速度は時間の経過とともに上がっていっている。コックピットもほぼ再生が完了し、あと数時間もすれば新品同然のものが出来上がるだろう。
完全に手足が欠損しているのが痛いが――コックピットが再生次第補給すれば、再生効率も上がるだろう。
見やれば、アキトもまた二本の足で大地を踏んでいる。薬の副作用も切れたようだ。

さぁ――狩りを始めよう。獲物は、大きければ大きいほど良い。
可愛い子供には――少しでも栄養のあるものを食べさせてやるのが、親の務めというものだろう?



【テンカワ・アキト 搭乗機体:ブラックゲッター
 パイロット状態:マーダー化、五感が不明瞭、疲労状態
 機体状態:全身の装甲に損傷、ゲッター線炉心破損(補給不可)
 現在位置:F-7補給ポイント
 第一行動方針:ナデシコの捜索(とりあえず前回の接触地点であるD-7へ)
 第二行動方針:ガウルンの首を取る
 第三行動方針:キョウスケが現れるのなら何度でも殺す
 最終行動方針:ユリカを生き返らせる
 備考1:首輪の爆破条件に"ボソンジャンプの使用"が追加。
 備考2:謎の薬を3錠所持
 備考3:炉心を修復しなければゲッタービームは使用不可
 備考4:ゲッタートマホークを所持】

【ユーゼス・ゴッツォ 搭乗機体:メディウス・ロクス
 パイロット状態:若干の疲れ
 機体状態:全身の装甲に損傷、両腕・両脚部欠落、EN残量20%、自己再生中(コックピットの完全修復まで残り数十分程度)
 現在位置:F-7補給ポイント
 第一行動方針:ナデシコの捜索、AI1のデータ解析を基に首輪を解除
 第二行動方針:他参加者の機体からエネルギーを回収する
 第三行動方針:サイバスターとの接触
 第四行動方針:20m前後の機体の二人組みを警戒
 第五行動方針:キョウスケにわずかな期待。来てほしい?
 最終行動方針:主催者の超技術を奪い、神への階段を上る
 備考1:アインストに関する情報を手に入れました
 備考2:首輪の残骸を所持(六割程度)
 備考3:DG細胞のサンプルを所持
 備考4:機体の制御はAI1が行っているので、コックピットが完全に再生するまで戦闘不能】

【二日目 8:55】


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